御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の十五 

            夢 

            むこく 




  石動山から七尾を跨いだ北西の地に

  能州に於いては石動山の三百六十坊に次ぐ霊山御前山別名

  赤蔵山が存る

  社領五里四方と広大な社域を有して居た御前山であったが

  五年前戦禍に巻き込まれ灰塵に帰した

  其の御前山の土に埋もれ僅かに顔を覗かせて居る石段を踏みしめ乍ら

  亀山社跡へと続く裏参道を登り続ける男が暗闇へ向けて


「 俺だ 善行だ 」

「 鳥居の辺りで暫し御待ち下され 」

「 取り込み中か 」

「 はっ 」

「 御前らに夜伽の番をさせるとは … 済まぬな 」

「 いえ 此れも大事な御役目でござる 」

「 気取られては居らぬであろうな 」

「 我らに夜伽の番をさせて居るのでござる 御懸念には及びませぬ 」

「 済まぬ事がもう一つある 」

「 既に承知で居り申す 」

「 であろうな … 皆に引き上げよと継ぎを付けてくれ 」

「 ほおうっ あの男 少しは気を遣う事を覚えましたか 」

「 御前達の為では無い 己れの為だ 」

「 はっはっはっ でしょうな 何れにせよ良うござる

  此れ以上手の者を失うては組の体を為しませぬので … 名無し 」

  枝がざわと揺れたかと思う間も無く 影が一つ土に埋もれた石段を駆

 け下りて行った

「 他には 」

「 左近組は巫女(ふじょ)組と共に眉丈山(びじょうざん)を引き払い石動山

 へ移る故 右近組は其れと入れ替われとの事だ 」

「 ほおうっ 其のまま墓穴に閉じ込める積もりですかな 」

「 其れで済むなら 越した事は無いがな 」

「 我らは 」

「 命ある迄潜んで居れと … 言う迄も無いが 」

「 其の間 御嬢を守り通す可し 」

「 うむ 遊佐様から此の御山を教えて頂いた代わりにあの女御を御守り

 致すと約束したのだ 約を違えては成らぬでな 」

「 成れど善行殿 我らが去りし後はあの女御 如何に相成るので 」 

「 然(さ)ては黒丸 あの女御に情が移ったか 」

「 はっはっ やも知れませぬな …

  遊佐様からは 気の触れた女御としか伝えられて居りませぬが 何が在

 ったのかは首の刺し傷の痕から凡そ察しは付きますものの 普段は童女

 の様に無邪気な笑顔を絶やさぬ女御なれど 時折りまるで観音菩薩様の如

 く清白で真に慈悲深い面を見せてくれるのでござる

  御陰で 御嬢の傍に居るだけで我らの穢れた心も浄化されて行く様で 

  別れと成りますれば ちと寂しいものでござる 」

「 其う成らぬ為にも黒丸 其方ら傍人組があの御方を 遊佐様を死なせて

 は成らぬ 」

「 では遊佐様は 真に四箇院を 」

「 と迄は行かぬ迄も せめて身寄りの無い者や老いた者らを収する悲田院

 の様なものを創りたい とは申されて居るのだ 」

「 御嬢の様な 」

「 うむ と言うより あの女御の為 やも知れぬな 」

「 御嬢の為ならば 」

  御任せ下されと 黒丸の大きな顎が小さく頷く

「 黒丸 奴は 御影は出来る あの男に 左近めに傷を負わせた程の男だ

  若いからと言うて侮るで無い 」

「 既に承知でござる が 奴は 」

「 左近めは 俺が殺る 」

「 御一人で … 」

「 其れは 扨措いてくれ 其れより

  済まぬ次いでにもう一つ頼みを聞いてくれ 」

「 何なりと 」

「 七尾の杉江屋を存知て居るか 」

「 船宿を兼ねた船問屋 でございますな 」

「 うむ 其の杉江屋は旅籠も営んで居るのだが 其此に於夕(おゆう)と申

 す女御が御付きの者と部屋を取って居る故 右近組が此処を引き払ったな

 らば其の者らを此処に匿ってくれ 」

「 於夕殿 でございますな 」

「 うむ 頼んだぞ 」

  言いつつ 石段を登り終えた善行が 焼けて倒れた鳥居の残骸に腰を下

 ろした途端影が忍び寄り 御酒入りの瓢箪と干し肉を置いて消えた

⦅ 黒丸め 気を利かせ居って ⦆

  有り難しと 瓢箪の口に唇を当てごくりと喉を鳴らす

⦅ … 黒丸よ 遊佐様同様 汝(うぬ)らにも死なれては困るのだ …

   だが 巫女(ふじょ)組を人質として取られて居る以上下手は打てぬ

   かと言うて 今の俺では奴を殺れぬ … 

   考えろ善行 何か良い策が在る筈だ … ⦆

  御酒は程好く冷えて居て 山椒を利かせた干し肉との相性も良いのだが

⦅   にしてもあの男 女御は子を産む道具と抜かしやがった

   赦さねえ … 俺は絶対赦さねえ … ⦆

  干し肉をぎりりと噛み切り 御酒を一気に呷る

⦅   御前と妹の於ゆうが密かに通じて居たのを 此の俺が知らぬと思う

  てか 於ゆうが子を産めぬ女御であると知った御前は 無情にも於ゆう

  を捨てた 為に 為に於ゆうは ちっ 畜生めえいっ … 

   其して其の夜 母も消えた 気持ちは解らんでも無いが今でも何処ぞ

  で生きて居るのであろうか 

   生きて居るならば 一目なりとも会うてみたいが 其れは無理だな

   今の俺には 昔から其うだが あの男は殺れぬ 

   幾ら考えても 殺るには刺し違えるしか手は無さ其うだ … ⦆

  廃墟と化した亀山社から喘ぎ声が洩れて来る

  心で舌を鳴らし唾を吐くも 無視を決め込んだ善行は瓢箪の御酒を飲み

 干し 最後の干し肉を口に咥えたまま朽ちた柱にごろりと横に成る

⦅ … 四箇院を建てる際 鳥居は石であらねば成らぬと聞いた事が有る

 … やはり 銭が要るか …

 … 然し 美しいのう  …

   七月七日は於ゆうの命日故 其の夜は空など見上げる気さへ起きずに

  居たのだが 美しき物に罪は無い のう 於ゆう … … …


  … あの夜 …

  私(わたくし)は 何時もより早目に着いてあの御方を御待ち致して居り

 ました

  あの夜も 今宵の様に天の川が清らかに流れ まるで私達の向後を祝う

 てくれて居るが如く美しく煌めき満天の星の下 あの御方に抱かれると想

 うただけで私は正に天にも昇る心地で居たのでございます

  何時もより早く着きました訳は 久方ぶりに御会い出来る嬉しさと 蛍

 ならば風情もござりましょうが夏虫は煩わしいものでございます

  かと言うて あの廃寺迄蚊帳を持って行く訳にも参りませぬ故 虫除け

 の為でもございましたが場所が場所でございます 不浄を祓い心識(しんし

 き)を清らかにす可く事前に香を焚く積もりで早目に参って居たのでござい

 ます … とは申しましても 

  流れる汗も気にかかります故真に高価な物ではございましたが 母は既

 に亡くなって居りましたので用いる者は私しか居りませぬ故麝香を 耳の

 裏と脇の下に塗香(とこう)して出て参りました

  実を申しますれば 腿の内側にも少しだけ …

  ほんの少しだけでございます 塗って居りました …

  嗚呼 … 今思い出してみましても頬が赤らみまする …

  麝香の芳しい香りに自ら酔いしれ心は膨らみ胸の鼓動も高鳴る中 床が

 きしりと軋んだのでございます

  嗚呼 あの御方の左手が私の肩へ 其して胸元へ … … … …

  何故(なにゆえ)唇を求めて来ぬのでございます

  何故乳首へ触れては下さりませぬ

  私を焦らしておいでなのですね

  嗚呼 もう堪りませぬ源心様 … 

  源心様 … どっ 何処へ 何処へ行かれるのです源心様 …

  あの御方は一言も言葉を発せられぬまま 再びきしりと音を立てて去っ

 て行かれたのでございます

  私と 胸元に差し入れた御別れの文を残して …

  私は 幼い頃からあの御方の妻と成る事を望み只其れだけを願うて生き

 て参ったのでございます 其れなのに … 嗚呼 …

  其の時でございます 暗闇の中 嘆き悲しむ私の心を嘲笑うかの如く女

 御共の笑い声が近付いて来るではござりませぬか 途端 私の身体は無意

 識の内に其の声のする方へ向こうて居たのでございます

  声の主は私の父の妾と其の娘 高笑いして居る様も然る事乍ら 娘が待

 ち望んで居た稚児(ややこ)を漸く授かったと喜び合う二人の会話が 子を

 産めぬ身体の私の癇に障りましたは言う迄もござりますまい

  私は母娘の前に飛び出し様娘の腹を強く打ち 打った其の手で首を括っ

 て差し上げたのでございます

  娘の母は命惜しさに声を限りと何やら叫んで居りましたが 其の声が私

 の耳には何とも心地好くたっぷりと甚振(いたぶ)った後で 彼の世で閻魔

 様に余計な事を言わんでも良い様に 眼を潰して舌を抜き耳を削いでから

 逝かせて遣ったのでございます

  其の瞬間 足の爪先から頭の天辺迄 男の其れとは比べ物に成らぬ程の

 快感が一気に突き抜けて行くのを 今でも覚えて居りまする

  とは申せ あの妾を甚振って居ります内は真に愉しい一時(ひととき)で

 はございましたが 息が絶えてしもうてはもはや用済みでございます

  其此で 骸(むくろ)は切り刻んで豚の餌にしてやったのでございます

  ほほっ 豚は何でも食す生き物の上に人の骨すら跡形も無く噛み砕き呑

 み込んでくれます故 真に調法な生き物なのでございます

  調法次いでに申し上げますならば 其の革は使い道により固くも柔らか

 くも仕上げられ糞は肥料に 尿は火薬作りには欠かせぬ上に其の肉は力の

 源を為し 春の内に多く食して措きますれば今夏の様な酷暑にも堪えうる

 身体を内から造り上げる事が出来るのでございます

  其れより何より 豚の肝の臓を食さぬ事には夜目が利きませぬ 夜目の

 利かぬ伊賀の者など誰も雇うてなど下されは致しますまい

  長々と取り留めの無い話しをして参りましたが そろそろ行かねば成り

 ませぬ … おっ 其うじゃ善行 

  豚のお味は 其方の母を食した豚のお味は如何であった

  嘸や美味なるものであったろうのう …

  ほほほほっ ほほっ … ほおうっほっほっほっほっほっ … …


「 うっ ぐっ ぐうっ ぐうえっ ぶっ ぷっ はっはあっ はっ はっ

  はあぁ … … … 」

  飛び起き様 胃の腑の物を全て吐き出した善行の額から脂汗がじっとり

 と滲み出 激しい動悸に息も荒く手の甲で汗を拭いながら 目の前の荒屋

 を睨み付ける

⦅  くっ 何だ今のは … ⦆

「 如何為された善行殿 」

「 すっ 済まぬ 折角の持て成しを 」

「 いえ 悪い夢でも見てしまいましたか 

  随分と魘(うな)されて居りましたぞ 」

「 善行様 元々此処は霊の集う御山だ其うで 

  過去に手を掛けた者の霊でも現れましたか 」

「 名無し 戻って居たのか 」

「 はっ 」

「 手に掛けた者では無い 其うでは無いが … 

  名無し 倫組の頭領 今は何処に居るか判るか 」

「 はっ 張りの者によりますれば 弟組の若い者と赤浦へ向かったと 」

「 小頭は 二人の小頭は 」

「 はっ 赤浦の倫組の屋敷に居りまする 」

「 二人共 手の者を殺された恨みを忘れられるか 」

「 倫組と弟組に対し でござりまするか 」

「 其うだ 」

「 … 善行様が其う申されるのであれば … 御頭は 」

「 … 我らの大儀とあらば 」

「 二人共 良う言うてくれた 」

「 なれど善行様 御影が遊佐様を襲いし時は 」

「 言う迄も無い 其の時は全力で遊佐様を御守りしてくれ 」

「 はっ 御任せ下され 」

  頷く黒丸を見詰めつつ 懐から矢立と紙を取り出した善行は継ぐ可き言

 葉を認(したた)め 認めた文を苦無の持ち手の輪に結び様 荒屋目掛けて

 力任せに打ち込み

「 黒丸 名無し 俺が戻らぬ時は大儀も遊佐様の事も諦めよ

  あの男は 左近めは 巫女(ふじょ)組も始末する積もりだ

  故に 其の前に巫女組を連れて山を抜けよ

  其の折りは あの女御と於夕も頼む 」

「 善行殿 一体何を為さる積もりでござる 」

「 黒丸 此れは俺の仕事だ 尾(つ)いて来るな 」

「 … 真逆 赤浦へ 」

「 善行様 今宵の赤浦は何時にも増して厳しい張りとの事にござる

  御近付きは御止め下され 」

「 名無し 御前もだぞ 尾いて来るな 」

  言うなり 善行は 今一度荒屋を睨み付けて土に埋もれた石段を駆け下

 りて行き 透かさず後を追おうとした名無しへ

「 待て 今追おては如何に御前でも気付かれ様 」

「 しっ 然し御頭 」

「 行き先は倫組の組屋敷と判って居るのだ 間を措いて行こう 」

「 御頭 善行様は何を為される御積もりで 」

「 判らぬ 判らぬが 善行殿を死なす訳には行くまい 」

「 真逆 倫組の組屋敷に忍び入ると 」

「 忍び入るのは俺だけだ 御前は茂菜様へ継ぎを入れろ 」

「 … 茂菜様へ … 」

「 何だ 不満か 」

「 いっ いえ … 」

「 あの御方はそんじょそこらの男では満足せぬ御方だ

  久方振りに御前が行って抱いてやれ 」

「 おっ 御頭っ 御存知でしたか 」

「 当たり前だ 

  逝かせてくれぬ男の首を掻き切らぬとも限らぬでな

  たまには腰の立たぬ程慰めてやるが良い 」

「 はっ はあ

  にしても御頭 倫組と左右組 共に伊賀の者であるのに此の二組の間に

 一体何があったのでござろう 」

「 ふっ … 元凶は あの善(よ)がり声の主よ 」

「 あの女御が 」

「 ふっ 名無し 聞いて驚くな 

  あの女御 真は女御では無く男なのだ其うだ 」

「 … はあっ … おっ 男 まっ真逆 …

  一度 用を足して居る処を覗き見させて頂きましたが 竿も玉も付いて

 は居りませんでしたぞ 」

「 … 名無し 御前 」

「 おっ 御嬢は覗いては居りませぬ 」

「 真だな 」

「 はっ 此ればかりは嘘偽りはござらぬ 」

「 全く 御前の女陰(ほと)好きには呆れるわ 」

「 はは … 其れで あの女御の何処が男なので 」

「 己れで己れの物を羅刹 … 切り取った其うだ 」

「 なっ 何と勿体無い … 

  故に 右近を名乗らず亜由などと女御の名を 」

「 其の様だな 」

「 其れで 元は男のあの女御が一体何をしたのでござる 」

「 あの女御 倫組の頭領 服部源心の情夫(おとこ)だったのだが 女御に

 成った途端別れの文を渡された上源心が妻を娶ったのを恨み 倫組の留守

 を狙うて屋敷を襲った其うだ

  右近組の動きに気付いた右近の父は 直ぐ様左近組を率いて後を追うた

 のだが時既に遅く 留守居の者らは膾(なます)に斬られて皆殺しに遭い 

 源心の女房は右近組の者らに輪姦(まわ)された挙げ句 眼は潰されて舌も

 抜かれ耳を削がれた上 … 腹も裂かれて居った其うだ 」

「 … 子を … 宿して居りましたか 」

「 うむ まだ在る 

  あの善(よ)がり声 取り出した子の尻に小槍を突き刺し真っ赤に焼いた

 鉄鉢を頭に被せて脳を割り 其れでも飽きたらぬのか終いには臭水(くそう

 ず)をぶっ掛けて火を着け 庭に晒して高笑いをして居った其うだ 」

「 … 何とも 惨い仕打ちを … 」

「 其の時だ 間が良かったのか悪かったのか 高笑いをして居る最中に

 役目を終えた倫組が戻って来た其うだ 」

「 倫組の頭領の顔の傷は其の時の 」

「 うむ 善(よ)がり声を守る可く立ち塞がった右近の父を源心が斬り 其

 の源心の顔面を左近が斬り 左近の背中をあの御影が斬った其うだ 」

「 御影も其処に居りましたか 」

「 善行殿が申すには 倫組は前田に従い越前の府中に移ったばかり

  新屋敷へ招く可く誘ったのであろうと … 」

「 … 前田が府中に移りしは確か … 」

「 天正三年(1.575年)の事だ 奴の歳が気に掛かるのか 」

「 既に調べてござる 」

「 だと想うたは 御前程他人の歳を気に掛ける者は外に居らぬでな

  で 奴は幾つだ 」

「 永禄四年(1.561年) 三月の生まれ との事にござりますれば今年で

  … 二十二と成りまするが …

  左近は十五の若造に斬られた事に成りまするな しかも背中を 」

「 乱撃とは其う言うものであろう

  何時 何処から刃(やいば)が飛び出して来るか判らぬものよ …

  名無し 御主とて 散々験(けん)して居ろう 」

「 はっ 確かに 」

「 だが 相手はあの左近なのだ 

  乱撃の最中とは申せ あの男に一撃を加えるなど

  あの若造 やはり只者では無い 」

「 歳や経験に関わり無く 其の時勝った方が強い でございましたな 」

「 うむ 当たり前の事だがな 

  殺し合うのにたらればは無いのだ 其の時勝った方が生き残る

  其れだけの事よ 」

「 然し … 可笑しな事に成ってしまいましたな 」

「 全くだ 」

「 天目山で勝頼様らとはぐれた我らは 木賊(とくさ)村で織田勢に囲まれ

 もはや此れ迄と覚悟を決めた其の時 左近の使いで現れたのが善行殿でご

 ざいましたな 」

「 命を救うてやる故仲間に加われとは …

  武田の傍人(ぼう)組も随分と舐められたものよと 初手は斬る積もりで

 居たのだが 」

「 命を救うてくれると言うて居るのでござる 

  乗らぬ手はござるまい 」

「 なれど 既に勝頼様らが御自害為されて居られたとはのう … 」

「 言うてし申ては我らが後を追い兼ねぬと想うたのでござりましょう

  いや 我らと言うより 巫女組の身を案じたのやも知れませぬな 」

「 妹御の於ゆう殿とは真の兄妹なるも 未だ行方知れぬ母は育ての母と言

 うて居られた故 身の上は我らと同じ 」

「 はい … 戦で父も母も失い頼る縁者も居らず 其の日を生きる事さへ

 難い我らを今は亡き巫女組の頭領 望月千代女(ちよめ)様が母と成って育

 てて下されたのでござる 」

「 巫女(ふじょ)組を守る傍人(ぼう)人組としてな 」

「 其れも生きる為でござる 飯を喰わせて頂くには御役目を果たさねば成

 りませぬ故 」

「 代わりに 人を殺す技を身に付けねば成らぬがな 」

「 御陰で此れ迄生きて来れたではござりませぬか …

  御頭は後悔為されておいでで … 」

「 後悔 … 判らぬ …

  然れど 御前の言う通り生きて来れたのも又事実 …

  だが 其れで何が残った 

  我らの様な浮浪の子が増えただけではないか 」

「 … 善行殿も 同じ事を申されて居られましたな 」

「 うむ … 」

「 其して 会わされた御方が 」

「 遊佐秀光様 若いが学の有る御方よ …

  此度の院 集まり来る子らに人を殺す技など教えては成らぬ 代わりに

 学を教えて頂くのだ 其の為には … 」

「 遊佐様と其れを佐(すけ)る善行殿が居らねば成りませぬ 」

「 其う言う事だ … 

  一度救うて貰うた命だが

  我らは捨てる覚悟で臨まねば成らぬ 」

「 では御頭 そろそろ … 」

「 うむ 」

  応えるなり

  音も無く 土埃が舞った

                         つづく




 




 


 

   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の十四

           誑 か し

           たぶらかし



「 戻ったぞ善行 何か判ったか 」

「 はっ 村島の手の者が多根道の崩れた岩肌に柵を据え続けて居りまする

 は一見 防柵の様にも見受けられますものの 真は … 」

「 … 桟(えつり)か 」

「 はっ 防柵など此の期に及んで必要無き物なれば 」

「 ふっ 考えたな狐蛇め 渡っては落とし道を下る積もりか …

  後は何処で奪うかだが … 善行 汝(うぬ)ならば何処で仕掛ける 」

「 はっ 奴ら 下り終えの多根村から二宮へ出二宮の船着き場から芹川

 長曽川 邑地の潟と川船で下り気多大社前の宮之浦で海船に乗り換えるも

 のと思われます故 どうせなら海船に積み込ませた処で … 」

「 うむ 俺も其うする 」

「 成れど御頭 下り終えは前田方も手薬煉(てぐすね)引いて待って居りま

 しょうに あの男如何にして抜ける積もりでしょうや 」

「 ふっ 其れは知らぬ だが 奴には抜ける策が有るので在ろうよ

  其処は奴を信じ任せて遣るさ 」

「 御頭らしゅうござる …

  御頭 奴が 御影が又候(またぞろ)出張って参ったと耳にしましたが

  やはり殺りますか 」

「 殺らんでどうする 行き掛けの駄賃と云うやつよ

  あの餓鬼 俺の邪魔ばかりしおっていっ 此度此其決着を付けてやる」

「 … 倫組は … 源心の兄貴は 如何為されます 」

「 元を正せば 奴と右近との間の事よ

  故に 倫組は右近組に当たらせる 右近も其の積もりで居る故な 」

「 … 囮にしますので 」

「 言わずもながよ あ奴の御陰で我らは伊賀を追われる身と成ったのだ

  其ればかりか … くっ 思い出しただけで背中の傷が痛むわっ 

  此れ迄 組の力が落ちては成らぬとあ奴らを生かして措いたが もはや

 容赦はせん 兄弟と謂えども此の責任はあ奴の命で償うて貰わねば成らぬ

 でな 手の者らも同罪よ 右近組丸ごと倫組にくれてやる

  ふっふっふっ 右近組だけでは倫組には勝てぬ 時を稼いでくれたなら

 ば其れで良い のう 」

「 はっ 」

「 処で善行 御前の人妻好きが此んな処で役に立つとはな 流石我が左近

 組の小頭 誑かしの善様とは良う言うたものよ 」

「 御頭 誉めて居られるのか貶(けな)して居られるのか何れでござる 」

「 誉めて居るのに決まっておろう 

  瓢箪から駒とは正に此の事 真逆御前が誑(たらし)込んだ女御が熊沢の

 女房であり あの狐蛇の妹であったとはのう … 」

「 はい 甲斐では好みの女御に巡り逢えぬまま越後へ戻った其れがし 久

 方の市井の香りに股間が疼いて堪らず 艶紅売りに身を扮したまま春日山

 の城下を物色して居りましたならば 漸く其れがし好みの内儀が艶紅を唇

 に点(さ)しつつ物欲しげに色目を使うて来ました故 其れがしも然り気無

 く粉を掛けた処 … 」

「 股を拡げたか 」

「 はい 余程男に飢えて居った様で 哀れな程枯れて居りました故夫が留

 守な事に此れ幸いと其の夜から毎夜通い詰めた或る夜の筝でござる

  能登での戦が終わりますれば夫や兄に従い新発田へ行かねば成りませぬ

 故善様 せめて其れ迄の間だけでも私を御慰み下されませ

  と言うて来ました故 此れは何か在ると急ぎ御頭へ御報せした次第でご

 ざる 」

「 うむ 越後は蒲原郡 新発田城主新発田重家なる男

  上杉の御館(おたて)の乱の折りには景勝へ付いて居たが今では反景勝方

 の急先鋒なのだ

  御前の其の報せに直ぐ様新発田を探らせたならば 温井の村島が手土産

 持参で降ると言うではないか 奴らに手土産などあろう筈も無く再び御前

 の手練の出番と成ったな 」

「 はい 其の手土産 初手は温井の首かと想いましたが今更奴の首など何

 の価値もござりませぬので 其れが何で在るのかを口にした時には朝にな

 って居りましたは 」

「 ふっ 御前の物が絶えず上下の口を塞いで居たのであろうよ

  言いたくても言えぬ筈だ 」

「 はっはっはっ 御尤も 

  成れど其の内儀名を於夕と申しますが 真は熊沢と別れる積もりで居っ

 た其うにござる 」

「 兄の村島との仲を気づいて居ったのか 」

「 其の様で …

  兄の尻の穴を塞いだ物で己れの女陰(ほと)を突かれるなど想うただけで

 堪えられぬと 熊沢との交(まぐ)わいはずっと拒み続けて来たとの事なれ

 ば 哀れな程枯れて居たと言うのも納得でござる 」

「 内儀では無いが 女御の尻でさへ好かぬのに男の穴に一物を入れ合うな

 ど 想うただけで反吐が出るわっ 」

「 其れがしも女御の女陰(ほと)が一番でござる 」

「 御前の場合は但しが付くのであろう … 年増の人妻とな 」

「 はっはっはっ 確かに 年増も年増 大年増が好みでござる

  後腐れ無く別れられますので … 其の為には如何なる情を持っても掛

 けては成らぬのでござる 後に何かと面倒な事に成りかねませぬ故 」

「 全くよ 女御の情に絆(ほだ)される男の気が知れぬ

  女御など 子を産む道具に過ぎぬ生き物よ 道具に過ぎぬ生き物に情な

 ど 持つ事も掛ける事も出来ぬわっ 」

「 … … 真に … … 

  とは申せ 少々出遅れてしまいましたな 」

「 いや … 早過ぎた程だ … 

  狩られたのは今日で三人目 此れ以上失うては流石に黒丸も良い顔はせ

 ぬであろうしな 」

「 引き上げさせますか 」

「 うむ 俺の命ある迄御前山(おまえやま)に潜んで居れと伝えよ 」

「 はっ … 右近様へは 」

「 我らは明日にも此処を引き払う 故に右近組は我らと入れ換わり此の眉

 丈山(びじょうざん)へ移れと申し伝えよ 」

「 はっ で 我ら左近組は何れへ 」

「 石動山城だ 無論巫女(ふじょ)組も連れて行く 」

「 石動山城へ 此れは又何故でござる 」

「 般若員快存(はんにゃいんかいそん)からの申し出よ

  温井らに籠らせては成らぬとな 近付く者在らば … 」

「 斬っても良いと 」

「 うむ あの城は 七尾城攻めの戦況を把握す可く謙信が築いた城だ其う

 だが 物見櫓に過ぎぬ故守るには向かぬ城よ 

  だが 其の様な城でも侍とは何かと籠りたがる生き物であろう 」

「 確かに 」

「 衆徒らに取っては天平寺の寺院が正に一所懸命なのだ 故に 目障りな

 あの城は戦が始まったと同時に火を放ってくれとの事だ 」

「 背火(はいか)の陣 と成れば 温井らとて後へは退けませぬな 」

「 うむ 端から退けぬがな

  今日は七月の七日 開戦迄恐らく後二十日も在るまい … 

  のう善行 多根道は石動山城の真下を通る 故に其れ迄間諜狩りの振り

 をしつつ高見の見物と洒落込もうではないか 」

「 はっ … では其れがしは此れで 」

「 善行 」

「 其の於夕とか申す女御は 始末したのであろうな 」

「 はっ 熊沢の死の報せに後を追うた事に致しましたが 」

「 うむ 其れで良い

  何事も 後腐れの無い様にせねば成らぬでな … 」

                         つづく















  

      此れ迄の登場人物 順不動

 

  水神 流夷    御影畠山の初代 畠山義治

  水神 絹     流夷の妹 奥州の覇者藤原泰衡の側室 於結の母

  畠山 義続    能登畠山第七代当主  

  畠山 義綱    能登畠山第八代当主  義続の嫡男

  畠山 義慶    能登畠山第九代当主  義綱の嫡男

  畠山 義春    能登畠山第十代当主  義慶の嫡男

  畠山 春王丸   能登畠山第十一代当主 義春の嫡男

  御影畠山 蔵治  能登畠山第七代当主畠山義総の臣 尊治の祖父

  御影畠山 秋実  能登畠山第七代当主畠山義総の臣 蔵治の弟

  御影畠山 政治  能登畠山第八代当主畠山義続の臣 尊治の父

  御影畠山 宏実  能登畠山第九代当主畠山義綱の臣 御影兄組 頭領

           尊治の兄

  御影畠山 尊治  御影弟組 頭領

  原  広之進   御影弟組 一番組頭

  天野 勝明    御影弟組 二番組頭

  鹿島 傳助    御影弟組 三番組頭

  円山 香梅    御影弟組 遊撃組

  須藤 菊花    御影弟組 遊撃組

  金子 松之丞   御影弟組 一番組小頭

  手塚 龍蔵    御影弟組 一番組小頭

  阿部 万亀丸   御影弟組 一番組 探索方

  古藤 小虎    御影弟組 一番組 探索方 

  平  続重    畠山義続の臣 

  平  加世    続重の孫娘 天野勝明の妻

  阿部 尼和    万亀丸の妻 経貞の娘

  井口 経貞    浅井の旧臣 尼和の父

  作兵衞      平館の小者

  杉江 次郎兵衞  七尾杉江屋の主

  熊沢 鬼三郎   温井景隆の臣 物見番頭

  村島 竜三郎   温井景隆の臣 荒山砦の守将

  温井 景隆    能登畠山の旧臣

  三宅 長盛    能登畠山の旧臣 景隆の弟 

  左近       伊賀抜け左右(そう)組の頭領

  蓮次丸 (於蓮)  村島竜三郎の従卒

  遊佐 続光    能登畠山の旧臣 秀光の祖父

  遊佐 盛光    能登畠山の旧臣 秀光の父

  遊佐 秀光    遊佐家の当主

  遊佐 長員    秀光の叔父

  堺  十蔵    遊佐盛光の臣 徒組(かちぐみ)頭

  橋本 長兵衛   鷹匠 鷹絵師 別名牛欄 浅利政吉

  田中 清六    鷹商 鷹田屋の主

  田中 清太郎   清六の兄 国友村の加治屋田中屋の主

  蒲生 賢秀    織田家の臣

  蒲生 氏郷    賢秀の三男

  蒲生 重郷    賢秀の四男

  浅利 勝頼    奥州比内郡の領主 

  大木戸 忠彦   重忠の臣

  大木戸 秀彦   忠彦の長男

  大木戸 保彦   忠彦の次男

  大木戸 頼彦   忠彦の子孫

  大木戸 比呂彦  頼彦の長男

  畠山 重忠    鎌倉幕府の御家人

  畠山 重秀    重忠の長男 庶子

  畠山 重保    重忠の次男 嫡男 正室北条義子の子

     於結    於絹の娘 重保の妻

     重行    重保の長男

     時麿    重保の次男

  平沢 武秋    重忠の臣

  木村 剛夫    重忠の臣

  石田 為猛    武蔵の国 平子郡 石田家の当主

  石田 久猛    為猛の弟

  石田 時猛    為猛の嫡男

  雲林院 松軒   安土城留守居役 天真正伝香取神道流兵法者

  服部 源心    前田利家の直属の配下 伊賀倫組(みちぐみ)の頭領

  前田 安勝    前田家の将 前田利家の兄

  前田 利好    前田家の将 安勝の嫡男

  佐脇 家久    前田家の将 戦目付け

  岡島 某     前田家の臣

  横山 某     前田家の臣

  弥助       織田家の臣 モザンビーク出身の黒人

  足利 義純    重忠の未亡人 北条義子の再婚相手

  北条 時政    義子の父

  牧の方      時政の継室

  平賀 朝雅    牧の方の娘婿

  北条 義子    畠山重忠の未亡人

  稲毛 重成    北条義子の妹の夫

  大日出王     遥か昔 遥か西の彼方の地に君臨した王

  総門の王     大日出王の息子

  小川 欣祐    石動山天平寺阿弥陀院の院主 善の衆徒の長

  般若員 快存   石動山天平寺 悪の衆徒の首魁

  長  続連    能登畠山の旧臣 連龍の父

  長  綱連    能登畠山の旧臣 連龍の兄

  長  連龍    前田の臣 続連の子

  研ぎ師      源心の手の者 何者かに斬殺される

  真ん中の男    研ぎ師殺害の解死人(犯人)

  雑兵       壱 弐 参 四 荒山道で討ち死に

  郎党       壱 弐 参 羽咋郡小石川村で討ち死に

  衛士       壱 小丸山城外で非業の死

  

  ✳   スマートフォンの方は横にしてお読みください

  

  

  

    

  

  

  

  

   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の十三

          口 寄 せ

          くちよ せ

 

 

 

  小丸山城の搦め手に

  廃材が所狭しと

  積み上げられて居る

  嘗て此処に

  御影畠山家の館があった

 

⦅ … あの時 連龍の言葉通り

   御爺殿と兄上が貝毒に当たったと言うのは偽りであった

   俺を構えの刑に処させる可く

   連龍が俺を甚振り 

   俺が其れへ返すであろう事を読んでの偽りであったのだ

   我が家を保つ為の御爺殿の苦肉の策であった其うだが …

   俺が口走ってし申た事が真に成ってし申た …

   平殿を介して弟組丸ごと蒲生家預かりにして貰うたのに

   其の蒲生家の許を離れた俺を 御爺殿は赦してくれぬであろうな …

   追放の身と成った俺は 

   表門から出る事は許されず 裏門からでたのだが … 

   其の裏門は此の辺りの筈 …

   流石に偲べるものは何も無し … か … ⦆ 

  感慨深気な尊治へ 前を行く菊花が源心へじゃれ乍ら問うて来る

「 尊治様 

  連龍の兄様は もはや奴らを恨んでは居らぬのでござりまするか 」

「 奴はあの日 父や兄のみならず一族の半数以上を失うたのだ

  恨んで居らぬ筈は無かろうよ 順じる番を入れ替えただけの事だ 」

 

  天正五年(1,577年) 七月

  上杉謙信は 昨年から続いて居た能登勢との戦に決着を付ける可く二万

 の兵を率いて進軍を開始し其の凄まじい進撃振りに 能登方は全ての城を

 棄て総勢を以て七尾城へ籠る事とし更に 連龍の父続連は徹底抗戦を呼び

 掛け領民迄をも籠らせたのである

  だが … 為に 城内は兵と民とで満ち溢れ 真夏の籠城が祟り疫病が

 発生するなり瞬く間に蔓延し死者が相次ぎ 己れの策が招いた惨状に続連

 は信長に援を請う可く 僧籍であった子の連龍を使者として安土へ派した

 のであった

  連龍の求めに応じた信長は 柴田勝家を総大将とした織田勢を急遽派し

 たのだが 七里頼周(しちりよりちか)率いる加賀一向衆に行く手を阻まれ

 七尾城は落城寸前であった

  其の最中 以前から親上杉派であった遊佐続光 盛光親子は 兼ねて

 から親信長派の長続連へ不満を抱いて居た温井景隆と弟の三宅長盛と謀

 らい 九月十五日 十五夜の月の夜

  突如として反旗を翻し 城門を開け放って上杉勢を迎え入れたのである

  頼みの柴田勢は間に合わず 温井らに従わぬ者らは悉く討ち取られ 此

 の時其のまま還俗した連龍は復讐の鬼と化し 生き残った一族を率て織田

 方へ身を投じたものの 私の戦は他の者には疎まれるものであり 柴田勝

 家には信を得られぬまま其の許を離れ 心を入れ替えた連龍は前田利家に

 従順に仕えて信を得たのであった

  一度(ひとたび)合戦とも成れば 勇猛果敢で知られた長一族である

  今では前田勢にとり 無くては成らぬ一勢と成って居た

  父や兄 一族の半数を失ったと謂えども尊治は連龍や長の者らに同情な

 どしては居ない

  畠山義続 義綱親子の能登追放の主導を執ったのが連龍の父続連なのだ

 から …

  連龍の命も狙って居た尊治であったが 七尾城落城の事実を探り知り其

 の名を羅列から外して居たのであった

 

⦅ … 連龍は変わった …

   あれから十一年も経つのだ 変わったとて何の不思議も有るまいが

   俺は変わったのであろうか …

   にしても 昔の連龍の般若の顔も好かんかったが 丸い般若の顔など

  尚好かぬ 何年経とうが嫌な奴に変わりは無い

   人は 変わらねば人として成長せぬと云う …

   変わらぬ俺は成長して居らぬ と言う事だ ⦆

  尊治の口から溜め息が衝いて出る

「 尊治様 」

  尊治の後ろを歩いて居た香梅が 左に寄り添い声を掛けた

「 私(わたくし) 尊治様が恨み言の一つでも申されてしまうのではないか

 と 襖越しに気を揉んで居りましたが 要らぬ心持ちでございましたな

  尊治様とて もはやあの頃の尊治様ではござりませぬ

  御自身にもっと自信を持たれても良うございましょう

  溜め息は 命を削る鉋(かんな)と申します程に 二度と衝かぬ様心懸け

 下されませ 」

⦅ … 見透かされて居たか … ⦆

「 香梅 俺は連龍は好かぬだが あの日の事を恨みに思うては居らぬ

  奴はあの日 何があったのかを知らぬのだ

  知らぬ者を恨める筈も無かろう

  恨みに思うて居るのは寧ろ香梅 其方の方ではないのか

  幼き頃 良く苛められて居ったではないか 」

「 ほほっ 真に 良く苛められました …

  其の度に 尊治様に助けて頂きましたな 」

「 御前の屋敷とは隣同士 塀越しに礫を打ち込んだだけだ 」

「 其れは何時も 私の事を気に懸けて頂いた と思うても宜しゅうござい

 ますのか 」

「 御前の泣き叫ぶ声が大きいのだ 嫌でも耳に入る 其れだけだ 」

「 元々気性の荒い御方ではございましたが 其の気性の荒らさ故に 其方

 は人を束ねる事が出来ぬであろうと 父上の続連殿から武士(もののふ)に

 成る事許されず我が本行寺へ預けられた御方でございます

  今は亡き我が祖父梅月 父の梅花に其れは厳しい行を課せられて居られ

 ました 察しまするに 己れの人生が思うがままに成らぬ事が余程悔しか

 ったのでござりましょう 其の鬱憤を私を苛める事で晴らされて居られた

 やも知れませぬ … 

  成れど 父や兄 一族の半数が殺された事で己れの長年の思いが叶えら

 れ様とは … 皮肉と言えば皮肉 何とも酷い運命(さだめ)を御仏は課せ

 られたのでございましょう …

  連龍殿の存念 推して測れども 測り知れぬものでございます … 」

⦅ … 香梅 御前の方が遥かに俺を越えて居る … やはり俺は … ⦆

  人として成長しては居らぬ様だと 又溜め息を衝きかけた尊治の左手の

 甲に 香梅の右手の指先が歩を進める度にさわりと触れて来る

  菊花は変わらず源心にじゃれて居る

  源心は嫌な顔一つ見せず 寧ろ楽しそうにまとわり付かれて居たのだが

  菊花が行きなり源心の背中へ飛び乗り 一つしかない源心の右目を塞ぎ

 に掛かる

「 こっ 此れっ なっ何を為さる菊花殿 」  

  透かさず尊治へ抱き付いた香梅は

「 少しだけ … ほんの少しだけ 此のままに … 」

「 香梅 … 」

  香梅は尊治の厚い胸板に頬を埋め其の頬に 熱い吐息が吹き掛かる

「 … 香梅 決して無理をしては成らぬ

  危ういと感じたならば 躊躇う事無く御山を抜けよ

  何か有れば直ぐ迎えに行く 故に継ぎを欠かすで無い 良いな 」

「 … あい … 」

  尊治は 頷く香梅の顎先へ指を当ててそっと上を向かせる

  二人は暫し見詰め合い今一度胸板へ頬を埋めた香梅は 背中をぎゅっと

 抱き締めた其の手で尊治の手を握りつつ徐に後退り 艶やかな袖をひらり

 と翻して踵を返し

  源心の背中から飛び降りた菊花は

  お ま か せ く だ さ り ま せ 

  と唇で告げて香梅の後を追った

  愛とは 後ろ髪を引かれながら心を残して立ち去る姿 なのだと伝う

  香梅の立ち去る姿に 溜め息が衝いて出たのも気付かぬ尊治へ

「 尊治殿 手の者の仇を討って下さり 心から礼を申し上げる 」

「 御止め下され源心殿 

  あの中に 我が手の者も居りました故出張る外無かったのでござる 

  礼を申さねば成らぬのは寧ろ其れがしの方でござる

  倫組との合力 ああもあっさりと御認め頂けるとは …

  源心殿の御口添えの御陰でござる 」

「 いやいや やはり昼の一件があったれば此其でござろう 成れど

  安勝様は元より いや其れ以上に強い佐脇様の後押しがあった事は御伝

 えてして措きまする 」

「 有難い事でござる 」

「 とは申せ 

  尊治殿には真に無理な御願いをしてしまい申し訳もござらぬ 」

「 いえ 源心殿の申された通り 其れがしが諾致さねばあの御二人を止め

 る事など出来ますまい 」

「 故に 利家様に措かれましては御影弟組の参陣願い 此れ幸いなのでご

 ざる

  あの御二人が陣立てを 筋立てを破り無謀な突撃の果てに命を失いまし

 たならば 例え戦に勝利したとしても 他の将らの手前利家様は安勝様に

 対し何らかの御処分を下さねば成らず ましてや其れが元で負けてし申た

 ならば … 」

「 あの安勝様の事 自ら腹を召され兼ねぬ 」

「 左様でござる 真に仲の良い御兄弟なれば …

  利家様は其れを一番に危惧為されて居るのでござる … とは申せ

  連龍の手で温井と三宅を討たせて遣りたいのも 又本心でござる 」

「 援軍の要請受けども 間に合わなかった事を未だに気に掛けて居られま

 すのか 」

「 あの折り 確かに一向衆に行く手を阻まれては居りましたが 信長様が

 授けて下された四万の兵を以て押しに押しますれば 抜けられぬ相手では

 無かったのでござる

  利家様と羽柴様は 我らだけでも行かせてくれと強く申し出たものの 

 あ奴が 柴田めが 挟撃を恐れて其れを許さず 羽柴様は何の為の 誰の

 為の出陣じゃと軍議の席を蹴り 怒りに任せて陣を引き払ってし申たので

 ござる 為に 七尾城が落ちたばかりか … 

  兄組のみならず其の縁者の方々迄もが …

  申し訳ござらぬ尊治殿 其れがしの継ぎが遅れたばかりに … 」

「 いえ 戦の筋立てが決まらぬうちは動くに動けませぬ故 致し方も無き

 事でござる 」

「 其れを聞いて胸の支(つか)えが取れ申した … 

  成れど尊治殿 あの折りは兄組を含めて凡そ二百 此度は七百を越える

 数でござる 真に抜けさす事など出来ましょうや 」

「 源心殿 其れがし 山抜けの成否は抜ける数と思うては居りませぬ

  此度の山抜け 兄上らの二百と比べ確かに多ござる 欣祐殿を含め高齢

 な方々も少なからず居りまする 成れど 兄上らは其の大半が疫病に冒さ

 れ乍ら迫り来る追っ手を払いつつ見事に七尾の城を 松尾の山を抜けたと

 聞き及んで居りますれば 老いたりと謂えども皆健脚揃いの方々でござる

 一人も欠ける事無く抜けさす事が出来ぬとなれば 其れは其れがしの策に

 穴が有ると言う事に外なりませぬ

  自策に自惚(うぬぼ)れてなど居りませぬが 其れがしなりに練りに練り

 考えに考え抜いた末の策でござる

  故に 後は己れを信じ 手の者らを信じ貫徹するのみでござる

  只 … 左近の出方が判りませぬ … あ奴 あからさまに気を発して

 居りましたが 敢えて己れの存在を示すなど 一体何を考えて居るのか

  奴らの出張り 何か裏が在るのやも知れませぬ … 」 

「 尊治殿 奴は其れがしのみならず尊治殿の命も狙うて居るのでござる

  あからさまに気を発しましたは 真は裏も表も無く単に我らに対する宣

 戦の積もりやも知れませぬ 何れにせよ 奴らの事は我ら倫組に御任せを

  尊治殿は尊治殿の御相手に専して下され 」

「 忝(かたじけ)のうござる …

  其れは其うと 源心殿 

  そろそろ教えて頂けませぬか 何故(なにゆえ)行方(ゆきかた)知れずの

 御刀の名を御存知なのでござる 真に存るかどうかも判らぬ御刀故此れ

 迄口にした覚えはごさりませぬが 

「 はあぁっ … 実は 

  武蔵の国は久良岐郡の玄庵様より文が参って居ったのでござる 」

「 応っ 永田服部の玄庵殿 此れは御懐かしい

  源心殿の祝言以来 御会い致して居りませぬが 皆様息災でござりま

 しょうや 」

「 其れが … 昨年 信長様の伊賀攻めの折り 我ら倫組は参陣も案内役

 も務める事無く御陰で同族討ちをせずに済んだのですが …

  玄庵様は 戦難に遭われた縁者の方々を御救いす可く手の者率いて伊賀

 へ向かわれた其うにござる 」

「 あの場に居られましたか 」

「 はい 成れど 流石は玄庵様率いる永田服部の者共 見事に縁者の方々

 を救い出し無事に帰国の船に乗られた迄は良かったのですが …

  中には手負いの者らも居りました故 沼津で船を降り箱根で湯を浴びな

 がらの道行きをして居った其うにござる

  処が … 明日は小田原と言う所で何者かに襲われ 嫡男の玄永殿を初

 め其の大半を討ち取られたとの事にござる 」

「 なっ 何と あの玄永殿迄も 」

「 襲われし場所は道幅の狭い湯坂なる峠道 既に日も暮れ永田服部の者

 らは手負いの者と女御子供を庇い乍ら戦うた其うにござる … 成れど

  長い時間(とき)は支えられず遂には陣も崩れ 玄永殿は決死の手の者ら

 と共に踏み留まり相果てたとの事にござる 」

「 ぬううっ して 襲いし者らの正体は 知れましたか 」

「 心当たりは有るものの 何せ闇の中での乱撃なれば と … 」

「 手懸かりもござりませぬか 」

「 一つだけ … 殿(しんがり)を務めて居た者が其の退き際に玄永殿が何

 事かを叫んで居たのを 最近に思い出した其うにござる

  玄庵様は其れは人の名やも知れぬと 鎌倉は由井の利阿と申す婆様に口

 寄せをして貰うた其うにござる 」

「 口寄せ … 其れは何時の事でござる 」

「 先月の … 十九日の夜の事 と記されて居りましたが … 」

⦅ … 十九日の夜 … 金丁を為したあの夜か … ⦆

「 … 如何為された尊治殿 」

「 いえ 続けて下され 」

「 では 由井の利阿と申す婆様に口寄せをして貰うた処 御目当ての御霊

 は現れず代わりに想いもよらぬ御方が現れた其うにござる 」

「 想いもよらぬ御方 … 真逆 … 其の御方とは … 」

「 はい 其の真逆な御方でござる尊治殿 …

  其の真逆な御方とは御影の初代 水神流夷殿其の人との事にござる 」

「 … 其れで … 流夷様は何を口に為されましたか 」

「 はい 蝦夷の水断ちの御刀を持ちし者が其の一味

  故に 尊治は弟組を率いて永田服部と合力し其の罪を暴く可し

  暴いて後 蝦夷の水断ちの御刀を褒美として貰い受けよ 然(さ)すれば

 政治の行方も知れる 其う尊治へ伝えよ と 」

「 ちっ 父上の行方 … ばっ 馬鹿な … あっ いや … 」

「 はっはっ 其れがしも文を読んだ時には信じられず 為に尊治殿へ御伝

 えす可きか否か迷うて居たのでござる

  其れと申しますのも 玄庵様は昨年小田原北条家より久良岐郡の小代官

 に任命されたものの 湯坂の峠道での一件以来手の者の数が足りず御役目

 を全う出来ずに居るとの事なれば 尊治殿を弟組共々永田服部へ迎え入れ

 る為の策ではと疑うて居たのでござる … 成れど

  玄庵様は嘘偽りなど申されぬ御方な上に 先ほどの尊治殿の家伝話し

 と文の中身が寸分違わぬ事につい口走ってし申たのでござる … 尊治殿

  御影畠山家の家伝 全て 真の事やも知れませぬな 」

⦅ … … 兄上では無うて父上とは … …

  流夷様は 父上が 生きて居ると … 真逆 … ⦆

  今宵何度目の真逆であろうかと 数えあぐねる尊治の前に若い影が駆け

 来たり片膝付いた

「 万亀丸 如何した 」

「 はっ 鷹田屋の主 田中清六殿が杉江屋様にて御待ちでございます 」

「 清六殿が … うむ 源心殿 御先に失礼仕(つかまつ)る 」

「 尊治殿 文は今宵の内に届けさせますので目だけでも通して下され 」

「 はい ならば万亀丸を付けさせます故 」

「 此れは忝ない 御借りして居た巻物も御返し致します 」

「 御役に立ちましょうか 」

「 其れは今宵其れがしが戻りましてから験する手筈と成って居り申す 

  万亀丸殿 宜しければ見分為さらぬか 」

「 はっ … 尊治様 … 」

「 構わぬが 邪魔をするで無いぞ … 源心殿 では此れにて 」

⦅ … 今宵も眠れぬ夜に成り其うだ … ⦆

  想いつつ 駆け下る坂道の先に見覚えの有る木を目にした尊治は

  此ちらが近しと其の木を過ぎるなり

「 … 消えましたな … 」

「 はい 」

「 では我らも 」

  二人も 尊治の後を追う様に其の木を過ぎるなり

  藪の中へと姿を消した 

                        つづく

 

     

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の十二

          嫌 な 奴

          いやなやつ




  其の夜 

  安勝は尊治を労う可く

  小丸山城へ招き入れ細やかな酒宴を催す事とし

  安勝親子と佐脇 其れに源心が顔を揃えて居たのだが 

  場にはもう一つ席が用意されて居り

  尊治には誰かも知らされぬまま其の者が来席する迄

  御影畠山家の家伝で間を繋ぐ事と成り 

  皆 尊治の話しに耳を傾けて居た


「 なっ 何と 畠山泰国殿は足利義純殿の御子では無いと 」

「 左様でござる 佐脇様

  重忠様の未亡人となられた義子様が 義純様の許へ再嫁為された其の折

 り 義純様は三十一の御歳でございましたが義子様は齢四十をとうに過ぎ

 て居られ 御子を成せぬとは申しませぬが … 」

「 生きて生まれ出るは現在(いま)でも奇跡に近い … 

  成らば尊治 泰国殿は誰の子じゃ 」

「 … 泰国 … 成る程な 

  尊治 泰国殿は藤原泰衡殿の血を引いて居るのだな 」

「 左様でござる安勝様

  一本杉館で御自害為された織り姫 名を於絹(おきぬ)と申され実は流夷

 様の妹御にして泰衡様の側室だったのでござる

  其して 御二人の間に産まれた御子が … 」

「 重保殿の御内儀 於結(おゆい)殿 」

「 はい 」

「 … もしや尊治 泰衡殿は

  其の母娘を守る可く自ら囮に成られたか 

「 はっ 其の様に伝えられて居りまする 」

「 … 確かに 泰衡殿と河田次郎なる者の命乞い余りに女々し過ぎる

  あれでは どうぞ斬って下されと言うて居る様なものだ …

  あり得るやも知れぬな … 其れで 」

「 はい 流夷様の養女と成られて後 重保様と夫婦(めおと)に成られた於

 結様は重行様 時麿様と二人の和子(わこ)様に恵まれたのですが …

  重保様が由井の浜で壮絶な御最期を遂げられた頃 於結様と重行様も館

 へ押し入った石田為猛の子 石田時猛の手に掛かり既に息絶えて居られた

 のでござる 

  止む無く流夷様は 館の者らが命に代えて守り抜いた時麿様御一人を抱

 えられ落ちて行かれたのでござる …

  重保様は時麿様が元服為された折りには 乱世を重ねて後治(おさむ)る

 の意を込められ 御名を重治と決めて居られたのですが 経緯はどうであ

 れ亡国の憂き目に遭われた泰衡殿を憂い且つ忘れては成らぬと 義純様は

 時麿様の御名を泰国と名ずけられ 自らは畠山を名乗らず泰国様より名乗

 る様 御遺言を残され逝かれたのでござる 」

「 何故か 」

「 はい 義純様は生木を裂くが如く妻子と義絶させられたのでござる 

  其の御心中 いかばかりか … 

  北条家に対する細やかな抗い であったと 想われまする 」

「 尊治 重保殿は母上に信を置いては成らぬと申して居たのであろう

  もしや 其の母上も … 」

「 はい 御察しの通りでござる 佐脇様

  事の発端は北条時政の継室牧の方の娘婿 平賀朝雅と重保様との口争い

 が切っ掛けではございましたが 重忠様が奥州へ遠征して居られた正に其

 の時 とある宴席に臨席為された義子様は義純様を一目見るなり心奪われ

 てし申たのでござる

  其の思い断ち切れぬまま募る情念叶える可く 自ら其の片棒を担いでし

 申たのでござる

  重行様が元服を迎える筈であったあの日 使者として菅谷の御館へ向か

 わせて居た義子様の妹の夫稲毛重成が 重忠様らを二俣川へ誘(おび)きだ

 し 鎌倉では三浦義村の命を帯びた石田時猛が偽りの陣触れを以て重保様

 らを由井の浜へ誘(さそ)い出し謀殺に至ったのでござる 」

「 … げに恐ろしきは 女御の性(さが)じゃな 」

「 佐脇様 飽くまでも家伝でござる 」

「 信を置くなと申すか

  其れが真である成らば 畠山家は姓を源姓から平姓に戻さねば成らぬで

 なあ はあっはっはっはっ 」

「 さっ 佐脇様 洒落にも成りませぬ 故にくれぐれも他言成されませぬ

 様 御願い申し上げまする 」

「 案ずるな尊治 儂の口は軽すぎて儂の話す事など誰も信は置かぬ 」

「 佐脇様っ 」

「 はあっはっはっはっ 戯れ言じゃ戯れ言じゃ … 処で尊治 」

⦅ … 重郷殿を斬られた時は 後を追い兼ねぬ落胆振りであったが …

   どうやら元の尊治殿に戻られた様だな … 然し …

   人とは 一日も経たぬ内に此れ程変われるものなのか … 

   いや 此れが此の男の真の姿やも知れぬな … ⦆

  … 心殿 … 源心殿 」

「 はっ 何でござろう尊治殿 」

「 御影畠山の家伝は まだ其の先が在るのだと言うて居られたそうな 」

「 あっ 申し訳ござらぬ尊治殿 … つい … 」

「 佐脇様 其処から先は余りに長く 余りに荒唐無稽に過ぎますので 」

「 振り出しで良いのだ 尊治殿 聞かせてくれ 」

⦅  殿と来た 此れは又 …

  余程気に入られた様だな … 其うか 成る程な 」 

「 尊治 儂も聞きたい 」

「 安勝様迄 … 宜しゅうござる では振り出しだけ  

  昔も昔 大昔 気が遠退く程の昔の話でござる

  我が御先祖様は 天竺より更に西の遥か彼方 西に海を見下ろす小高い

 丘の上に建つ宮殿の警護の任を担って居た其うにござる

  暗闇の中 忍び入る曲者へ音も無く忍び寄り音も立てずに葬る術を身に

 付けた一族だった其うにござる 」

「 音も無く忍び寄り 音も立てずに葬る 胸の入れ墨の蛇の様にか 」

「 弥助殿との召し合わせを御覧に成っておいででしたか 」

「 うむ あの折りは目に施した隈取りの御陰で顔が良う判らんかったが

 其の幅広の刀の柄で判じられたのだ 」

「 くっくっくっ 名迄は思い出せんかったがな 」

  源心は思わず吹き出すも佐脇は構わず続ける

「 王はさぞかし枕を高くして寝れたであろうな 」

「 其れが 佐脇様 … 」

「 家久で良い 」

「 はっ では家久様 

  実は王以上に護らねば成らぬものが在るのでござる 」

「 ほおうっ 王より大事なもの … 其れは何じゃ 」

「 はっ … 我らで言う神輿でござる 」

「 神輿とな … 大事なものには違い無かろうが … 」

「 其の神輿は 神の御指示通りの材料を 御指示通りの寸法に切り揃え

  御指示通りの意匠に仕上げた神輿で 王の巡幸の際神殿の代わりとして

 無くては成らぬものなのですが …

  真に守る可きものは其の中に納められし土板 なのでござる 」

「 … 土板 … 何が刻まれて居るのじゃ 」

「 細い棒で突いた刺突紋が左から三つ 五つ 四つと刻まれて居るので

 ござる 」

「 … 三つ 五つ 四つ … 三(さん) 五(ご) 四(よん) みごし

  真逆 其れでみこし(神輿) か 」

「 … やも 知れませぬ 」

「 … やも 知れぬと成れば 其れは何を意味するのじゃ 」

「 はっ 直角でござる 」

「 直角 …      」

「 はい 例えますれば長さ三寸 五寸 四寸の辺を持つ三角の三寸と四

 寸が接する角は必ず直角を為すのでござる …

  直角を得られなければ 

  神殿はおろか柱を建てる事さへ出来ませぬ故 … 」

「 成る程のう … 当たり前過ぎて考えた事も無かったが 言われてみれ

 ば確かに其うじゃ … 

  直角を得られなければ 此の小丸山の城も建たぬでなあ … 」

「 はい 王は 其の刺突紋の数列を神が与えて下された智恵として崇め

  我れ此其が神に成り代わり此の世の事業の全てを為す者と 秘中の秘と

 為されて居られたのですが … 

  或る夜 王が最も信を置いて居た臣に其の土板を盗まれてし申たので

 ござる

  御先祖様は其の責任取る可く 土板を奪い返す迄は決して国には戻ら

 ぬと王に約し 一族を率いて暑く乾いた土地を後にし 盜臣の一族を追う

 内に此の列島に辿り着いた其うにござる 」

「 面白い 尊治殿 其方の話しは実に面白い 

  のう安勝殿 利好殿 」

  振られた利好は 余程尊治の幅広の刀が気に掛かるのか

「 … 尊治殿 其の業物は打ち直された御刀か 」

「 はっ 鎌倉は稲村の金山と久良木郡は金沢村で産する鉄を加えて打ち直

 して頂いた三振りの内の一振りでござる

  水神一族の御神刀でござりますれば 拵(こしら)えも其の儘に

  其れがしの御刀は蝦夷の鉄断ちの御刀と申し

  我が兄宏実(ひろざね)が持ちし御刀は蝦夷の火断ちの御刀と申しまする

  其して最後の一振りは 重保様の御館へ押し入った石田時猛に奪われた

 まま未だ行方は知れませぬが 其の御刀の名は

「 蝦夷の水断ちの御刀 」

「 … 源心殿 何故其の名を 」

「 ははっ 其の御話しは後程 … おっ 参られましたぞ 」

  ふっくらとした面立ちの入道頭が 艶消しを施した黒備えの甲冑姿の

 まま姿を現し 尊治へちらりと眼を遣り尊治はこくりと頭を下げた

「 皆揃うた処で尊治 本日の仕儀 真に見事であった

  此の安勝 改めて礼を申す 」

「 礼など … 戦を前に大事な兵を失うてしまい申し訳ござりませぬ 」

「 既に戦は始まって居ると言う事よ

  源心の気を 散じさせる程の男が居ったと言うではないか

  人害が二人で済んだのだ 其れで良しとせねば成るまい …

  然て 其方ら 既に見知り合うて居るか 」

「 … 連龍殿 御久しゅうござる

   あの折りは 歳若き頃とは申せ大変失礼な物言いを致し 嘸や御気を

 害された事でござろう 今此の場を御借りし謝辞を申し上げる

  御赦し下され 」

「 いっいや 儂の方此其

  大人気無い仕儀に至る処であった … 赦されよ … 」

⦅  … くっ … 真逆 此奴に頭を下げねば成らぬ日が来ようとは …

    嫌な奴 … 此奴は 餓鬼の頃から好かぬ奴であった …  ⦆

  長 連龍(ちょう つらたつ) 

  尊治より一回り程歳上の男である


  畠山義続 義綱親子が能登を追放された五年後

  元気二年(1.571年)

  温井らは 義綱の嫡男畠山義慶(よしのり)を新当主として祭り上げ修理

 太夫を称させたのである

  其の祝いの席へ出席する筈であった尊治の祖父蔵治と 兄の宏実が其の

 前夜共に貝毒に当たり 仕方無く尊治が二人の名代として其の席に臨む事

 と成ったのだが 

  祝いの儀は滞る事無く進み酒宴と成った

  大人に交じり乾杯の杯を干した尊治へ

「 此れは此れは 其処に御座(おわ)すは御影の次郎殿ではござらぬか

  既に元服を済まされたと聞いたが 名は何と為されたかな 」 

  連龍である

⦅ ふんっ 知って居るくせに ⦆

  心で唾を吐きつつ

「 はい 御影畠山次郎改め 尊治と申しまする 

  御一同の皆様 御見知り措きの程を 宜しく御願い申し上げまする 」

  涼しい顔で応じ

「 うむ 儂から一献差し向けよう 尊治近う寄れ 」

⦅  ふんっ 義慶 御前の御酒など受けたくも無いが … 

  御酒に罪は無い故受けて遣る ⦆

「 … 其方ら御影の家は 真はあの親子を追う積もりで居たのであろう

  … 二人揃うて貝毒に当たるなど どうせ顔を出したく無い為の偽り

 であろう 

  其の様な家の者に 御願い申すと言われてものう …

  のう方々 どの様に宜しゅう致した成らば良いのでござろうのう 」

  年端も行かぬ尊治を 甚振り始めたのである

  此れでも此の時此の男 名を宗先と称し臨済宗考恩寺の住職を務めて居

 たのである 尊治は宗先の言葉を耳にする成り杯を一気に飲み干し颯(さっ

 )と席に戻るや 整った面立ちの父続連(つぐつら)兄綱連(つなつら)とは似

 ても似つかぬ面へ向けて

 「 此れは此れは宗先殿

  何でも御仏の教えの中に般若の智恵なる教えが有る其うで 御酒を般若

 湯と呼んで居る其うに 成れど何も般若の面を当てて迄飲らずとも良いと

 は思われませぬか 方々 」

  座が一瞬で凍り付いた 

  だが 尊治は口撃の口を弛めず

「 宗先殿 …

  我ら御影 家を守る為で有る成らば其の家を二つに割る事など厭わぬ家

 でござる 故に万が一(いっ)其れがしが宗先殿の敵に廻りし時は 我が家

 に伝わりし此の蝦夷の鉄断ちの御刀を刎き申し 真っ先に考恩寺の門前へ

 推参任(つかまつ)り御相手致しまする 其の折りは 覚悟召され 」

  もはや 年若の物言いでは無い

  宗先は隣に座して居る兄 綱連の刀へ手を掛けた

  元々自ら望んで僧籍に身を置いて居る訳では無い 気性は人一倍激しい

 ものを持って居る

「 宗先っ 義慶様の祝いの席ぞ

  御酒に酔うた小童(こわっぱ)相手に 何と大人気無い仕様よ

  控えよっ 控え居れえいっ 」

  父続連の声に 流石に思い止まった宗先であったが 年端も行かぬ小童

 に満座の席で恥を掻かされたのである

⦅  俺は酔うては居らぬ 売られた喧嘩は買うものであろう

  大人の口真似をした迄だ ⦆

  心で呟いた尊治であったが 其の三日後

  祝いの席を汚した廉(かど)により構(かまえ)の刑に処され 尊治は能登を

 追われたのであった


⦅  あれから十一年 相も変わらぬ涼しい顔をし居ってい

  昨年の遊佐の一件と言い 何処迄俺の気を逆撫でするのだ

  此れから此奴に頭を下げねば成らぬと思うただけで気が滅入るわっ ⦆

  連龍は むくむくと湧き上がる嫌気を鎮める可く一気に杯を呷る

「 … 尊治 」

  安勝の長い首が尊治へ向く

「 此度 蒲生家の許を去って迄我が勢に参陣望んだは 温井と三宅の首が

 所望と源心から聞いた 其れに相違無いか 」

「 はっ 相違ござりませぬ 」

「 其方ら弟組は 倫組に劣らぬ探索働きが出来るとも聞いて居る …

  其処でだ 遣り様は源心と其方に任せる 倫組と弟組とで曲者を狩

 りつつ石動山を探ってくれ 其して戦が始まりし其の時石動山を後ろ

 から撹乱するのだ

  事が成った暁には 温井と三宅の首くれて遣る

  どうだ 異存は在るか 」

「 まっ 真でござりますか安勝様 …

  其れがしに異存など在ろう筈もござりませぬ ござりませぬが … 」

  面(おもて)は安勝を向いた儘 眼だけがちらりと入道へ位する

  安勝は尊治の位視に気ずかぬ素振りで

「 其の代わりと言っては何だが …

  連龍から一つ頼み事が有る其うだ だが其れに付いては倫組を用いる

 のは許されぬ故 受けると成れば弟組のみでして貰わねば成らぬ 故に

 安請け合いなどしては成らぬ

  一つ間違えば 弟組は皆殺しの目に逢い兼ねぬでな …

  連龍 事此処に至り石動山攻めの陣立ても筋立ても変えられぬ 故に

  尊治が出来ぬとあらば潔く諦めよ 良いな …

  利好 其方もじゃぞ … 

  さあでは佐脇殿 我らは消えると致しましょう 」

  安勝に促され 渋々腰を上げた佐脇であったが

「 尊治殿 御先祖様が仕えたとされる王の名は伝えられて居るか 」

「 はっ はぁ … 大日出(だびで)と云う名を父に持つ総門(そうもん)と

 申される王でござる … 家久様 … 」

「 だびで … と そうもん … じゃな …

  どの様な字を当てるのじゃ 」

「 はぁ 大いなる日の出と数多在る族を束ねると言う意で総(す)べるに

 門の字を当てて居りまする 」

「 大いなる日の出に 数多在る族を束ねると言う意で総門じゃな

  うむ 二人共良い名じゃ … 其うじゃ尊治 文字はどうじゃ

  文字は伝えられて居るか 」

「 はぁ 其の大日出王の頭(かしら)の文字が三角の形を為す字であると伝

 えられて居るのですが 南蛮の御人が持ち込みし書物の中にも三角の形を

 為した文字など何処にも見当たりませんでしたので やはり家伝は家伝の

 域を出ぬものと思うて居りますが … 」

「 其の大日出王の だ の字が三角の形をした文字で始まるのじゃな 」

「 はい … 家久様 一体何を … 」

「 案ずるな尊治 家伝が真実だと言う事を此の儂が証明してみせる 」

「 角を持つ蛇の事も御忘れなく 」

「 応っ 任せ措け 」

  源心の冷やかし声を背に 家久は無邪気な足取りで奥へと消えた

  ぎこち無い沈黙の時が暫し流れ 中々口火を切らぬ連龍に代わり

「 … 連龍殿 頼み事とは 一体何でござる 」

「 … うむ … 」

「 連龍殿 」

「 … 此度 石動山を攻める事と相成ったが … 

  俺は 小川欣祐殿と其の一派 善の七十二坊の方々を何としてでも御救

 いしたいのだ … 」

「 御気は確かか連龍殿 七十二坊と申さば其の数優に七百を越える大所帯

 其の方々を戦の最中 御山を抜けさせよと申されるか 」

  口を真一文字に引き結んだ儘 連龍はうむと頷く

「 尊治殿 連龍は七十二坊の方々を引き連れて御山を下りて下さる様 幾

 度も説得を試みて居たのだ

  欣祐殿もやっと承知為されたのだが 其の頃にはもはや抜けられぬ事態

 に陥ってし申たのでござる … 

  悪いのは般若員快存と其の一派 欣祐殿らに罪はござらぬ 」

「 … 利好様 其れがしとて欣祐殿らを御救い致す事吝(やぶさ)かではご

 ざらぬ 成れど … 此度ばかりは … 」

「 … 尊治殿 其れがしの初陣 其れは悲惨なものであった 」

「 利好様 あの折りは其れがしが 』

「 深追いしたと申すか      」

「 はっ 」

「 確かに 初手は其うであったが 断を下したは 此の利好だ 」

「 利好様 一体何が 」

「 … あれは 四年前の事であった …

  柴田様の援を得て奴らを 温井らを石動山から追い落とし穴水迄追って

 居た時の事でござる

  連龍率いる長(ちょう)勢が奴らを追い込んでくれた事に其れがしは 手

 柄を立てねばと心ばかりが逸り 手の者率いて突撃してし申たのでござる

  … 気が付けば 手の者は皆討ち取られ危うい処を連龍が救うてくれた

 のも束の間 伏せて居た三宅の勢に追い立てられ行き場を失った我らを御

 救い下されたのが阿弥陀院の院主 小川欣祐殿であったのだ

  … 其の欣祐殿を見棄てる訳には参らぬ故 … 」

「 … 利好様 連龍殿 一つ御尋ね致す

  此度の先陣 将は利好様 先鋒は連龍殿率いる長勢でござろうか 」

  利好は小さい顎を軽く引く

「 … 仮に 其れがしが否と申さば 長勢は他には目もくれずひたすら阿

 弥陀院を目指す御積もりか 」

「 … 其れには 応えられませぬ 」

「 … 尊治殿 我ら長勢 誰一人死を恐れては居らぬ

  人間誰しも何時かは果つる身 成らば其の命意義在るものにして果つる

 は本望でござる …

  欣祐殿は申された 此の御山を一度灰塵に帰し其の灰の中から新たな善

 の芽を出し 育まねば成らぬと …

  俺は其の新たな芽こそ 欣祐殿と七十二坊の方々であると信じて疑わぬ

  故に 其の方々を真の灰にしては成らぬのだ

  今 我らが命を繋いで居られるのもあの方々の御陰 例え此度の戦に勝

 利し温井と三宅の首討ち取ったとて 欣祐殿らを失うてし申ては我ら長一

 族 此の面(つら)下げて彼の世へ逝けぬ … 

  無理を承知で頼んで居る 此の通りだあっ 尊治殿

  頼むっ 頼むっ頼むっ頼むっ 諾と言うてくれえいっ … 」

  連龍はがばと平伏し 真新しい板敷きへ此れでもかと額を擦り付ける

「 … 諾 … 」

  連龍の大きな耳がぴくりと応ずるも面は上がらず

「 面を上げて下され連龍殿 」

  尊治に促され 面を上げた連龍の大きく釣り上がった大きな目は赤く

 腫れ上がり似つかぬ涙で濡れ 横で俯く利好の目元爽やかな其の目から

 光る粒が つうっと落ちて行く

「 … 御二方の決意の程 此の尊治 確(しか)と承わったでござる

  其れがしとて 能登で生まれ育った者なれば石動山を只灰にしてし申て

 は 心苦しく寂しいものでござる

  連龍殿が申された通り 其の灰の中から新たな芽を出し育て為さる可き

 方々とは 欣祐殿と七十二坊の方々なのでござりましょう …

  利好様 連龍殿 御約束致しまする

  此の尊治 必ずや善の衆徒の方々を御救いして御覧に入れまする 」

⦅  … 連龍は変わった … ⦆

  恨みの激情に駆られる余り 己れのみならず手の者や利好の命迄危険に

 晒した連龍はもう居なかった

⦅  憎っくき温井と三宅の首を討ち取る事よりも 命を繋いでくれた者達

 の為に自ら其の命を棄て去る事も厭わぬ積もりで居るのだ …

  利好迄も … 

  其れに比べて俺は … 俺は … ⦆

「 さあ 其うと決まれば飲り直しと致しまするか

  御待たせ致しましたな 御入り下され 」

  源心の声掛けに襖がそろと開き 艶やかな着物の女御と禿頭(かむろあた

 ま)が 敷居の手前に三つ指付いた

「 連龍の兄様 御久でござる 須藤菊花でござりまする 」

「 応っ 其方は須藤殿の娘御 菊坊か

  あの頃と変わりは無いのう … 」

「 御初に御目に掛りまする利好様 

  円山香梅 と申しまする 連龍殿 御久しゅうござりまする 」

「 円山 … そっ 其方は まっ 真逆 尊治殿 」

「 美しい女御殿に成られたでござろう 」

「 まっ … 真に … 美しい女御でござる 」

  見惚れる連龍の横で利好の手から杯がかちゃりと転げ落ち 透かさず香

 梅が濡れた戦袴(いくさばかま)の上へ懐紙を当てる

  懐紙が御酒を吸い取る間 香梅の身体から立ち昇る芳(かぐわ)しい香り

 が利好を包み込み 爽やかな目元は微熱を帯びたのか 紅く染まった

                         つづく







     



 

  



  

 

  


  

  



   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の十一

           夏 の 蝿

           なつのはえ





  七尾に新な城が築かれて居る

  完城を目の前にし 様々な職人(しきにん)共が将兵と入り乱れ其れを目

 当てに雑多な物売り共もあざとく縄張りの外に群がり 其の群れは松尾山

 の尾根に聳える七尾城迄達して居た

  堅城を誇る七尾城であったが前田利家は利便性を考慮し 七尾湾に程近

 い小丸山に新な城を築く事とし昨年能登へ入部を果たすと同時に築城を開

 始して居たのであった

  物売り共と所を分けられた一画に研ぎ場が設けられ 非番の兵は組毎に

 刀や槍を研ぎに出し翌朝点呼の時刻迄引き取らねば成らず 其の時刻に間

 に合わせる可く研ぎ師らは正に火を吹く忙しなさであった

  物売り共は気の抜けぬ衛士を尻目に 日暮れと共に酒を持ち寄っては輪

 を作りあちらこちらで酒盛りを始め出し 手際の良い研ぎ師は未だ研ぎ終

 えぬ者を残して輪に加わり 其の夜も又輪が作られ一時の快事に興じて居

 たのだが 暗闇の中一人の研ぎ師が殺された

  此の御時世 研ぎ師が一人殺され様とも皆毛程も気にはして居らぬ様で

「 喧嘩の末に殺されたのよ 」

「 戦を前に 殺気立った兵の勘気に触れたのであろうよ 」

  口性無く騒ぎ立て 其れを肴に飲る始末であったのだが 翌朝には衛士

 の数も増え種子島を携えた兵が現れるに及び

「 此れは只事では無さそうじゃぞ 」

  額を寄せ合う

  其れも其の筈 殺された研ぎ師は前田利家直属の配下 伊賀倫組の頭領

 服部源心の手の者であったのだ

  間諜炙り出しの任を担って居た手の者は

「 昨日 研ぎに参った者の中に一人怪しき仕草が見受けられ

  本日 刀は返したものの不信拭えず 確かめた上で改めて御報せ致しま

 する 」

  源心へ継ぎを入れて居たのである

  新城 小丸山城には利家の兄 前田安勝と安勝の嫡男利好が城代として

 詰めて居り 直ぐ様厳しい詮議が始められ其の者が殺されたと想われる其

 の時刻 其の場に居らぬ事を明らかに出来ぬ者三名迄絞り込む事が出来た

 のだが 其の後の取り調べは遅々として進まず 築城の進捗振りを見に立

 ち寄った軍(いくさ)目付け佐脇家久の献言を容れた安勝は 詮議の場を物

 売り供も目にする事が出来る様城前の竹垣の内へと移したのである

  目にした者が居るやも知れぬと 期待を込めての移場であったのだが

 名乗り出る者など一人も居らず 三名の刀も念入りに調べられたものの

 血糊は既に拭き取られて居るのであろう 三振りとも血糊の血の字も見

 当たらず判じ難さは増すばかりであった

  雨の降らぬ今日此の頃昼も近くになると暑さも増し 安勝らは焦りの色

 を隠せず佐脇が苛立ち露に

「 … 安勝殿 聞けばあの者ら新規召し抱えの者共 …

  いっその事三人まとめて … 」

  堪え切れず安勝を急かす

⦅ … 斬るのは容易い だが 罪の無い者迄斬る訳には行かぬ …

 … かと言うて 此のまま解き放つ訳にも行かぬ … ⦆

  然(さ)しもの安勝も思案に暮れるばかりであったのだが

「 其れがしに御任せ下さりませえいっ 」

  突然 武者溜まりの中から若武者が一人進み出 大音声で宣った

「 分を弁(わきま)えず 出過ぎた真似を致して居ります事重々承知の上で

 申し上げまする

  其れがしも一昨日 害を被りし者に刀を研ぎに出して居りますれば 始

 めて会うた者なれど知らぬ仲ではござりませぬ 故に 此処は其れがしに

 解死人(げしにん)を挙げさせて下さりませえい 」

  幅広の刀を佩(はい)た若武者は臆する事無く言い終え 竹垣に黄色い歯

 が列を為す

「 … 見ぬ顔だな … 上士は誰で御主の名は何と申す 」

「 はっ 新たに召し抱え頂きました者なれど 上士様は未だ決められては

 居りませぬ故 前田利好様御支配 岡島様御配下 横山様預かりの身の者

  名は …

「 黙れ下郎っ 汝(うぬ)の様な者がしゃしゃり出る場では無いわっ 」

「 御待ち為され佐脇殿 先ずは腰を下ろされよ …

  此のままではどの道埒は開きませぬ

  如何でござる 此の者に任せてみては 」

「 しっ 然し 」

「 どうじゃ 利好 」

  目元爽やかな利好の其の目は 幅広の刀が気に掛かるのか顔だけ安勝へ

 向けて頭(こうべ)を垂れ 安勝は長い首の先の顎を突き出し

「 … 若いの … 」

「 はっ 」

「 解死人を挙げられぬと成れば 其の首貰い受ける事に成るが …

  異存は在るまいのう 」

「 御意の儘に … 但し

  一刻程時間(とき)を頂きまする

  其れ迄 ゆるりと御過ごし下されませ 」

  慇懃無礼とも取れる物言いをさらりと言いのけ

「 おいっ 何を企んで居る

  小細工の為の時を稼ぐのであれば 赦さぬぞ 」

「 其れがし 何も致しませぬ 

  代わりに 御疑いの者らの刀を抜き放ち柄と鍔も外して刀身のみを其の

 辺りへ並べて下されれば其れで宜しゅうござる 」

  佐脇が言葉で圧するも若武者は涼しい顔で言い終え 幅広の刀を外し

 て日陰に腰を下ろし様 腕を組んで眼を閉じた

  皆 呆気(あっけ)に取られ乍らも安勝は衛士に顎をしゃくって席を立ち

  佐脇は

「 其奴と刀身から眼を離すで無いぞ 」

  言い置いて 鼻息荒く席を蹴り

  利好は 未だ其の離れ難い気を仕舞い込み 二人の後を追った

  竹垣の外の者らは商いそっち退けの賭けを始め出し 其の中に鯰の髭の

 様な眼をした男が仕方無く賭けに乗るものの 若武者から其の眼を離す事

 はなかった

  安勝親子と佐脇は日陰を求めて曲輪の隅に床几を据えさせ 風は然程通

 らぬが陽に当たらぬだけまだ増しよと 各々扇子を取り出しぱさぱさと風

 を送り出す

  目の前を木枠だけの障子や襖 畳縁は内へ運び入れてから部屋に合わせ

 た畳縁を縫い付けるのであろう 畳床を畳表で包んだ物だけを荷車に重ね

 て運び込んで行く

  其れを眺め乍らひたすら風を送り続ける三将の前に 一人の武者が走り

 来たりて片膝付いた

「 横山でごさいます

  其れがし預かりの者 身分を弁えず出過ぎた真似を致しました様で …

  全く以て其れがしの不行き届き 真に申し訳ござりませぬ 」

「 横山 あの者 誰の口利きで雇い入れたのか 」

  顔面蒼白の横山へ 安勝が穏やかに問う

「 はっ 其れがしの上役岡島様と倫組の頭領服部源心殿でごさいます …

  実を申しますれば 本日あの者を岡島様並びに源心殿と共に利好様の御

 前へ御目通り致す段取りでごさいましたが 昨夜の一件以来源心殿とは継

 ぎが取れぬまま探し倦(あぐ)ねて居りました処へ此の騒ぎ

  此の横山 如何様な御処分成りとも 謹んで御受け致しまする 」

  深く頭を下げた横山の膝前に汗が滴り 自ら巻き上げた土埃を打ち水と

 して消して居た

「 案ずるな横山 あの者既に其方の手を離れた

  利好との目通りも済んで居る故 其の旨岡島にも伝え措け」

  安堵の色を浮かべた横山は直ぐ様踵を返し土埃の中へと消え

「 岡島殿の申して居った男とは あの者の事でごさいましたか …

  父上 あの者の名を聴きそびれてしまいましたな 」

「 あの者の名か 」

「 何やら御存知で居られる様な口振りでござりまするな 」

「 其方 弥助を存知て居ったか 」

「 弥助 会うた事はごさいませんが 身の丈六尺を優に越える大男にして

 十人力と称された黒い御人 」

「 うむ 」

「 … おうっ 其う申しますれば 其の弥助が若い男に投げ飛ばされたと

 耳にした事がごさいますが … 真逆 あの者が其の若い男 と 」

「 うむ … 昨年の秋 安土の御城で上覧相撲が催された其の折り 弥助

 と召し合うたのがあの者であった …

  其の帰り際着替えたあの者を見掛けたが 腰に佩た刀の柄があの者の刀

 の柄と同じ毛抜きの形に透かされて居った故先ず間違い無い 」

「 因みに 決まり手は 何でごさいました 」

「 決まり手 … あの者弥助と立ち会うや否や くるりと背を向けたかと

 思うた途端 弥助の身体は宙を舞いもんどり打って倒れ込んで居った

  正に投げたのだ あの様な技初めて眼にしたは

  背に背負うて投げて居った故背負い投げ とでも申さば良いか

  見ていた者の中には 敵に背を向けるなど己れの身を危険に晒すだけよ

 と異を唱える者も居たが 信長様は小さき者が大きな者を倒すのに真に理

 に敵った技であると 大層誉めて居られたな … 」

「 其れで あの者の名は 何と 」

「 … 確か … 蒲生家御預かりの み … みか みかげ … 」

「 御影畠山弟組の頭領 尊治殿でござる 」

「 ひゃっ 源心 何時から居った 」

  佐脇は 床几から転げ落ち其うに成るのを何とか踏ん張り 其れを取り

 繕う可く言葉を繋ぐ

「 源心 御主の口利きと聞いたが何故あの男と見知り合うて居るのだ 」

  眼の堀深く精悍な面立ちの男なのだが 其の堀の深い左眼をえぐる様に

 額から顎の先迄刀の傷跡が残り 見えぬ眼を佐脇へ向けた儘

「 … 古い話でござる …

  応仁の乱の折り 敵方に追われた畠山義忠様が暫く伊賀の我が屋敷に隠

 れ潜んで居られた事がござる 義忠様は其の恩忘れず恩を返しに参られた

 御使者が御影畠山家の御当主だったのでござる

  以来代々誼を通じ現在(いま)に至って居るのでござる … 」

「 源心 如何に御主とあの者が知己の間柄と謂えども 儂はあの者に信は

 置けぬ 鎧も身に付けずあの様な変わり刀を佩き居ってい 他の者より目

 立ちたいだけのかぶき者であろう

  其れにあの者 刀身を只天日に干して居るだけなのだぞ あの様な事で

 解死人を判じられる筈も無かろう

  今程聞いた話だが あの然程大きくも無い身体で弥助を投げ飛ばすなど

 怪しげな術でも使うのではあるまいのう 飛び加藤の例もある過ぎた術で

 あるならば 如何に解死人判じられ様とも斬らねば成らぬぞ 」

⦅ … 果たして … 尊治殿がどう為さるのか全く見当も付かぬが 此の男

  が一度信を置いた成らば 其れは揺るぎの無いものとなる …

   ふっ 楽しみなものよ ⦆

「 佐脇様 尊治殿が解死人判じられると言うのであれば 其れは間違い無

 く判じられるものなのでござる 怪しげな術など使いも致しませぬ

  更に 其れがしを以てしても斬れる御方ではござりませぬ 」

  利好が風を送る手を止め 源心を正面に見据えて真摯に問う

「 源心 其処迄あの者 尊治に信を置ける事由は何なのだ 」

「 … 其れがしの 命の恩人でござりますれば … 」

  風が吹いた

  そちこちで小さな旋風(つむじかぜ)が巻き起こり土埃が舞い上がる

  衛士が其の一つを掻き消し乍ら姿を現し片膝付いた

「 御待たせ致しました そろそろ刻限でございます 」

  非番の休日を反故にされ急遽呼び出しを受けたものの いよいよと成っ

 た解死人解き明かしへの期待と 此れでやっと照り付ける陽射しの暑さか

 ら解き放たれる喜びに 汗と埃にまみれ膝頭を見詰めて俯く衛士の目元に

 笑みが浮かぶ

  一刻待つ間 竹垣の外は其の数を増し黒山の人だかりと成って居た

「 賭けはまだ間に合うか 俺は左 いや右だ 右の男に賭ける 」

  未だ騒声が飛び交う中 安勝らの背後に床几が幾つも据えられ報せを受

 けた前田の将が順次腰を下ろし場は整った

「 おい 御影 約束の刻限と相成ったが …

  解死人は判じられたのであろうのう …」

  佐脇が蔑みの色を浮かべ乍ら問い掛けるも 尊治は意に介さず

「 はい 御疑いの者らを己れの刀身の前へ立たせて下され 」

  涼しい顔で応じ 疑われし者らは衛士に促され各々の刀身の前へ立った

  此れからの成り行きが楽しみなのであろう 佐脇の面は人を弄ぶ様な面

 に変じ竹垣の外の者らも漸く静まり皆 尊治の口が開くのを固唾を呑んで

 待って居る

「 … 御影 … 如何か 」

  安勝が促すものの尊治の口は開かず 物売り共は竹垣を引っ掴んで揺ら

 し出し 衛士が止めよと穂先を向ける

  尊治は源心を待って居た

  其の源心が漸く姿を現し 三人の後ろに片膝付いた

「 … 真ん中の男でござる 」

  竹垣の外 鯰髭の様な眼がぎらりと開く

「 なっ 何を申すっ 根も葉も無い濡れ衣じゃあっ

  御主 此の俺に何か恨みでも有るのか

  此の俺が解死人だと言うのであれば 其の証を見せてみよ 」

  真ん中の男は物凄い剣幕で怒鳴り散らし 鬼の形相で尊治を睨み付ける

「 おい御影 皆が得心の行く事由が在るのであろうのう …

  当て推量では赦さぬぞ 」

  佐脇の眼は冷たく光り 出て来る言葉は怒気を含んで居る

  真ん中の男は足元の刀身へ眼を落とし 尊治へゆるりと眼を向け直す

  背中で源心の気を感じ取り 尊治との間を測った様である

  だが 源心は重く粘る様な視線が傷跡に当たるのを気に留めずには居ら

  れず 源心の気は散った


「 … … 蝿 でござる 」


  尊治の其の言に皆己れの耳を疑い 隣の者と顔を見合わせては首を傾げ

 て吹き出し やがて哄笑の渦へと変わる

  真顔の者は真ん中の男と源心 其れに鯰髭の眼をした男だけであり尊治

 は相も変わらぬ涼しい顔を安勝へ向けて居る

  其の涼しい顔に佐脇の何かが切れた

  左の手の平をぴたぴたと打ち続けて居た馬上鞭を放り投げるなり 立ち

 上がり様刀の柄へ手を掛け

「 其処へ直れえいっ 下郎っ 

  言うに事を欠き居っていっ 

  蝿だとう … …

  我らを愚弄するにも程があろう

  儂が成敗してくれるうっ 今直ぐ其処へ直れえいっ 」

  家格の高さだけで此処に居る男である 愈々底が知れたが竹垣の外の者

 らの期待は 真夏の空に響く佐脇の甲高い声と共に頂天へと達する

  … 殺れ … と

「 御待ち為され佐脇殿

  御影の話しはまだ終わっては居りませぬぞ 」

  安勝は尊治の言を素直に受け容れ 真ん中の男の一挙手一投足に眼を配

 り 確信を得た

⦅  間違い無い あ奴だ 人を観る眼は出来て居る積もりだ … だが

  如何にして看抜いたのだ 確かめずには居れまい ⦆

  利好や他の将らも 真ん中の男を見て居た

  皆 確信迄は至らぬものの 

⦅  あ奴やも知れぬ ⦆

  程には感じて居る

  尊治は真ん中の男の気を真面に受けつつ 記憶に残る悪気(あっけ)を竹

 垣の外から感じ取り 源心の気が散じて居るのを看て取った

  … … 場は 未だ騒がしい … …

  尊治は身体ごと安勝へ向き直り視線を送って促し戻り様 然(さ)り気無

 く刀を己れの左りへ置き直す

「 皆の者 静まれえいっ 静まり居れえいっ 」

  此れぞ正しく大音声であろう

  数多な戦場(いくさば)を駆け抜けて来た真の将の音声であった

  先程迄の喧騒も何処へやら 場は水を打った静けさと成る

「 … 続けまする …

  一昨日此の三名刀を研ぎに出し昨日引き取って後 人は勿論の事犬猫

 さへも斬っては居らぬとの事 方々 其れに相違ござりませぬな 」

  三人は無言で頷き 真ん中の男はじわりと気組みを高め出す 

「 成らば 其処に並べられし三振りの刀身には何の兆しも現れぬ筈でご

 ざる 」 

「 おい御影 何を言い居る

  其の者の刀身に何の兆しが現れて居ると言うのだ 」

「 真ん中の男の刀身にのみ 蝿がたかって居るのでござる 」

「 何 … 真か … 」

「 何故か迄は其れがしにも解りませぬが 

  研ぎ終えたばかりの刃物に蝿は決して集らず又 血糊を拭うたぐらい

 では蝿を誤魔化す事など出来ませぬ

  故に 解死人解き明かしの事由を 蝿 と申し上げたのでござる」

  安勝が透かさず衛士へ顎をしゃくる

  衛士は確かめる可く 真ん中の男の前で立ち止まり

  三振りの刀身を見比べ

「 … 確かに此の

  衛士の首から虎落笛(もがりぶえ)の如き音を立てて血が噴き出 戻る可

 き筈の衛士の休日は永遠なものと成った

  真ん中の男は衛士が背中を向けた途端 拾い上げた刀身で衛士の首を掻

 き切り其の刀身を尊治へ投げ付け 倒れ逝く衛士から刀を抜き取るなり

 尊治目掛けて突進し飛び上がり様上段から一気に斬り掛かる

  既に抜刀を終えて居た尊治は 飛び来る刀身をがちりと叩き落とし腰を

 低く落としつつ勢い良く前に出 下から男の両腕をばざりと断ち斬り返す

 刀でどかりと首を叩き斬った

  男の両手首は刀を握り締めたまま二度三度と宙を舞い ぽかりと口を開

 けて其れを目で追う佐脇の足元へづかりと突き刺さり 刎ね飛ぶ首を掴み

 挙げた尊治は刀を後ろへ廻し乍ら振り返って膝を付き

「 御前を汚し 真に申し訳ござりませぬ 」

  男の首を安勝の面前へぐいと差し出す

「 みっ 見事成りいっ みっ 御影尊治うっ … 」  

  床几から転げ落ちた佐脇の甲高い声が 夏の昼空に高らかに響き渡り

  鯰髭の眼の男は舌を鳴らし様 耳元で喚声を上げる男の鳩尾(みぞお

 ち)へ猿臂(えんび)を喰らわし 人混みに紛れて其の姿を消した 

                        つづく  

 

  

 

  


  

  




   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の十

         天 女 と 羽 衣

         てんにょとはごろも




  尊治が天翔けて居た頃

  月も星も見えぬ夜空を肴に

  一人静かに飲る男が居た


⦅ … 困った事に成った …

  望みが叶うたのだ 何も困る事は有るまい

  然し 

  何も此の様な時に

  此の様な時だから此其の申し出と言うて居ったではないか

  しかも 

  継重殿では無うて 加世殿本人から達ての願いと言われては男

 冥利に尽きると言うもの 何を迷う勝明(かつあきら)

  既に受けてし申たのだぞ 良い加減腹をくくれ

  一人酒の夜も今宵限り 今夜はゆるりと飲ると致そう …

  然し 

  雨も止んだというのに 何も見えぬ …

  あの夜と同じと言わぬ迄も せめて一つなりとも

  現れてくれぬかのう … ⦆


  五年前のあの夜

  七尾で激闘が繰り広げられて居た七夕の夜

  暑さに耐え兼ねた勝明は

  こっそり酒を持って余呉の湖(うみ)へ出た

  桟橋に繋がれた小舟に乗り込み

  天を仰いで飲る算段であったが

  其の目論見は見事に当たる


⦅ … 数多瞬く煌めきが群れを為し 帯と成って河を為す …

  神々しいとはあの様に 

  人の手では為し得ぬ美しさを言うのではなかろうか …

  此の美しい夜空の下 今も何処かで人が殺し合うて居るのを

  あの星々はどの様な想いで見て居るのであろうのう …

  父上は 此の野も山も其して海さえも 自(おのずか)らの本性(ほんせい)

 に従い 自(みずか)ら然る可く在るもの 故に人も自(おのずか)らの本性に

 従い自(みず)ら然る可く殺し合うて居るのであろう …

  致し方も無き事よ と申して居られたな  

  今宵は致し方も無いものに想いを馳せるのは止めて措こう

  此の麗しの夜に 一人乾杯だ ⦆

  

  湖面を静掃と流れる湖風が汗ばむ肌に心地良く

  小舟も揺り篭の様に優しく揺れ 

  飲る内に 

  勝明は何時しか眠りの湖(うみ)へと舟を漕ぎ 

  新な朝が幕を開けた其の時 

  水音が鳴った

  重い目蓋を擦りつつ 

  船縁(ふなべり)から顔を出した勝明は思わず息を呑む

  

⦅ … てっ 天女が舞い降りて居る … ⦆

  枝に掛かる今様色(いまよういろ)の小袖と 其れを縁取るかの如く風に

 棚引く浅葱色の帯を背に 濡羽色の髪をすき乍ら湖水と戯れる天女の肌は

 月白(げっぱく)の如く際立ち 森の緑も彩り豊かに色を添え其の一景は美

 麗な絵画へと昇華し感動の余り小舟は大きく揺れて水が音を為し 天女の

 悲鳴が上がる

  月白の肌は小袖の色に負けぬ程見る見る紅く染まり 小袖を胸へ当てて

 駆け出す天女の姿に閉じる事を忘れて居た勝明の目蓋が力無く閉じ 天女

 が残して行った浅葱色の帯が 羽衣の如く空しく風に揺れて居た

  其の後 勝明の前に天女は姿を現す事は無く兄組を迎えに行く可く弟組

 出張るの命に 勝明は余呉を後にしたのであった


⦅  あれから五年 諦めて居た俺の宝が 思いも掛けず此の手に飛び込んで

  来てくれたのだ 

   此れも生きて居れば此其の妙と言うもの …

   俺はもはや一人では無いのだ 加世殿の為にも俺は死なぬ

   此度の戦 如何に困難を極め様とも 必ずや生きて戻ってみせる ⦆

  

  金丁を為した其の夕 

  続重と加世が尊治の部屋を訪れ

「 形だけで良いのだ どうか加世の願いを叶えてくれぬか 」

  端から其の積もりの尊治には断る理由も無く 翌日急遽 勝明と加世

 の祝言と成ったのである

  弟組が総員揃う日は今日を措いて他には無く 急ぎの事でもあり賄い

 方が間に合わず 時間の許す限り加世も手を貸す事と成ったのであった


  早速菊花が摺り寄り 根掘り葉掘りと尋ね出す

「 何故(なにゆえ)天野様なのでござりまする

  加世様程に美しい御方ならば 引く手数多でござりましょうに

  弟組の中にも まだまだ良い男は居りまするぞ 」

「 良い男とは 小虎殿の事でござりましょ 」

「 尼和様 其れは違いまする

  小虎があたいに気が有るのでござりまする 」

「 加世殿 菊花の失礼な物言い 御赦し下さりませ 」

  其う声を掛けた香梅の目元は 未だ薄(うっ)らと赤味を帯びて居る

「 良いのです香梅殿 何故かと問われましても 此ればかりは私と勝明

 様の運命(さだめ)としか御応え出来ませぬ 」

「 加世様 其の運命とは 何なのでござりまする 」

「 幼き頃 勝明様は父上様と七尾の我が館を御訪ね下さる度に 何時も

 私の遊びの相手をして下さり 私も其の様な勝明様が大好きでごさいま

 した … … そう あれは勝明様が十二の御歳 私は十の春を迎えた

 年の事

  勝明様が珍しく御一人で御見えになられ 真逆能登を離れる事を告げ

 に参られたとも知らぬ私は一日中遊んで頂けるものと 嬉しさの余り

 勝明様目掛けて駆け出したのですが … 

  私(わたくし) 何かに躓(つまず)いてしまい危うく転び其うに成る処を

 勝明様がしゃがみ乍ら手を広げて私を受け止めて下されたのでごさいます

  其の拍子に … … 」

「 … 其の … 拍子に … 」

  首を傾げて加世の顔を覗き込む菊花の唇がにいっと横へ伸び

「 … 勝明様の唇が 私の唇に … 触れたのでごさいます 」

  菊花と尼和は 互いの目と目が触れる程顔を見合わせ 必死に笑いを

 堪えて居たのだが

「 勝明様は申されました

  加世殿 此の責任は取る

  勝太郎 必ずや加世殿を嫁として迎えに参る と … 

  其れからと言うもの 其の日が来ますのをひたすら待って居たのです

 が … 一向に其の気配も無く … 」

「 其れで五年前 此の御館に来られたのでござりまするか 」

「 はい 上杉方が攻めて来る日も近いと 

  父上の進めもごさいましたので 」

「 其の御気持ち 良おおく 解ります 」

  尼和が同意を口にするも

「 其う申しますれば 尼和様も唇を奪われた責任を取って下されと 押し

 掛けて来られましたなあ 」

「 あっ あれは … 今だから申し上げますが

  何時迄も煮えきらぬ万亀丸殿を其の気にさせる可く 私から奪ってやっ

 たのでごさいます 

  其れを 女御(おなご)から奪われたとあっては面目が立たぬ

  俺から奪った事にしてくれと …

  全く 弟組の殿方は奥手に過ぎまする 」

「 … 私も其の気に成って頂く可く 此の御館に参りました年の夏に一度

 だけ策を用いたのですが … 若い女御(おなご)の浅知恵だったのでござ

 いましょう いざと成った其の時 私に意気地が無かった様で …

  端無(はしたな)い女御と思われてし申たやも知れませぬ … 」

「 五年前の夏 … 確か … 水を浴びて居る処を村の若い衆に覗き見され

 たと 小袖一枚羽織っただけで帯も締めずに御戻りになられた事がござい

 ましたなあ 」

「 菊花殿の記憶の良さには頭が下がります …

  御酒が過ぎたのかなかなか目を覚まして頂けず 待つ内に気が萎え始め

 勝明様と目が合うた時にはすっかり怖じ気付いてし申たのでございます

  御陰様にて長の夏風邪を引いてしまい 治りました時には弟組の方々は

 御出張り為された後でごさいました … 」

  菊花と尼和は声に出して笑い出したが 加世は構わず続ける

「 御戻りになられた後もばつが悪い素振りで 真面に目を合わせて下され

 ぬまま五年の月日が去って行ったのでごさいます …

  ああでもしませぬ事には何時までも私を貰うては下されませぬ故 … 」

⦅ … 加世殿も 覚悟為されておいでなのですね …

   此度の戦が生きて再び戻れるかどうか判らぬ戦なのだと …

   故に 生きて居る今 契り合うておきたいと …

   私も 同じ想いでごさいます … ⦆

「 あのう … 」

「 あら作兵衛 何用じゃ 」

「 御取り込みの中 真に申し訳ござりませぬ尼和様

  直ぐ済みます故鍋蓋の寸法を計らせて下さりませ 」

「 鍋の蓋の … 其れは構いませぬが 数は足りて居りますのに 何の為

 じゃ 」

「 はい 昨日尊治様より 木を伐って来てくれと頼まれまして 村の者ら

 の手を借りて作事場へ運び入れた迄は良かったのですが 歳は取りたく無

 いものでござりまするなあ いざ切り出しに掛かろうとしましたならば 

 測った筈の蓋の寸法を忘れてし申たのでごさいます 」

「 作兵衛 尊治様は其れで何を為さると 」

「 はい 何でも手立てを講じるてだてと 」

「 手立てを講じる手立て … はて 何の事でござりましょう 」

  問い顔を向けて来る尼和へ

「 尼和殿 御覧あれ 」

  言うなり 香梅は俎板の上の出刃を取り様 菊花目掛けて打ち込んだ

  かっ と音がし 出刃は菊花が咄嗟に手にした鍋蓋の裏にぐさりと突き

 刺さる

「 … 少々近うござりまするぞ 香梅様 … 」

「 覗き見した罰じゃ 」

「 てだては手盾 あはっ あの尊治様が洒落ましたぞ 」

  尼和のはしゃぐ声に香梅の面にも漸く笑みが戻り

「 あのう 香梅様 手盾成れば御紋を御入れせねばなりませぬな 」

「 入れてくれるのか 」

「 はい 丸に二つ引きで宜しゅうござりまするな 」

「 … いえ … 作兵衛 其方絵心が有りましたな 」

「 はっ はあ 有るかどうかは判りませぬが 長谷川先生が御滞在の折り

 に手解き頂いて以来 其の楽しさに病み付きに成ってし申た様でして 

  今では 何時でも何処でも描ける様 絵筆と紙を肌身離さず持ち歩いて

 居る程でごさいます 」

「 何も高尚なものを望んでは居らぬ

  其れと判れば其れで良いのじゃ 』

「 はい では何を描けば宜しゅうごさいますか 」

「 盾の縁は鋸(のこぎり)の歯の如く三角の形を連ねて縁取って下され

  其して其の中には 角を持ち尾を絡めて見つめ合う二匹の蛇を描いて下

 され 」

「 つっ 角を持つ蛇 此れは又 …

  香梅様 何か掛け軸の様な御手本に成る物はござりませぬか 」

「 手本とな 」

  香梅の困り顔に 菊花の口が横へ伸びた

「 作兵衛 其方 口は固いな 」

「 はい 其れだけが取り柄の男でごさいます 」

「 成らば 良く見りゃれ 」

  言い様 手早く帯を解いた香梅は襟に手を掛け ばっと胸をはだけた

「 なっ 何を為されます香梅様 … こっ 此れは 香梅様 …

  あっ 貴方様は … 」

「 良いな作兵衛 決して他人(ひと)には漏らすまいぞ 」

「 はっ はいっ 決して 決して 」

  作兵衛は其の場に膝を折り深く頭(こうべ)を垂れて後 素早く筆を走ら

 せた

  勝明と加世の祝言は簡素なものではあったが 皆良く食べ良く飲み唄い

 祝った

  翌早朝 鹿島傳助率いる三番組が出立し 日を置いて勝明率いる二番組

 が 続いて女御衆の三人が発ち尊治は広之進の一番組と共に清太郎の荷を

 待って発つ事とし 晦日の前日待ちに待って居た荷箱を開けた尊治の目が

 思わず潤む

  届けられた輪鎖の帷子は滑らかに仕上げられ膝が隠れる程に長く 同じ

 繋ぎ方の頭巾も添えられて居り 別箱には大量の矢と棒手裏がびっしりと

 納められて居たのであった

  翌日 御影の者は皆余呉を離れた

  加世は 尊治らを村境迄送り其の姿が消えても尚一人佇み

⦅ … 私(わたくし)も もはや御影の御身内

   皆様が御戻りに成られる其の日迄 留守は御任せ下さりませ

   今日は 六月三十日 夏越の祓え 生まれ変わりの日でごさいます

   涙を流す日は本日限りと致します故今日だけは 今日だけは

   存分に泣かせて下さりませ … ⦆

  朝陽を浴びた加世の頬を 勝明を見送る時は我慢出来た筈の涙が止めど

 無く流れ 

  淡い紅色で染められた一斤(いっこん)染めの帯を色濃く染めた

                        つづく




   


 



  


   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の九

             禿 

            かむろ




  金丁を為した其の夜  

  眠りが足りぬ筈の尊治は

  又もや眠れぬ夜を過ごして居た


⦅ … あの時 真の見届け人は雲林院松軒殿であった … ⦆


「 尊治殿 信長様は其方を試されたのだ

  非常に徹し切れるかどうかをな

  初手は躊躇って居た其方であったが 最後の一撃は見事であった 

  故に結果のみを御伝え致すとするが 何時迄も仕掛けて来ぬ其方へ

 重郷殿は 俺を秀光と想え と叫んで居られた

  其の秀光と言う男 其方に取り余程憎い男の様だのう …

  此度の仕官御辞退の真の訳は 

  仇討ちに名を借りた其の男への復讐か …

  己れの復讐の為に 己れのみならず組の者らの仕官の道迄閉ざすとは

  … 其れは其れで非常じゃがのう …

  信長様が其方を御気に召された事由は 其処に在るのやも知れぬな

  成れど尊治殿

  信長様は御自身から約を違えぬ御方 故に約を違えた者を決して御赦し

 には成られぬが 義続殿は其方の意も確かめず其方らの為と思うて先走っ

 てし申た様じゃな

  故に案ずるな 信長様は誰も咎めはせぬ

  だがのう 信長様は未だ諦めては居られぬ

  其方らを召し抱える事も 其方の御家に伝わる家伝の真偽を確かめる事

 もな …

  復讐を果たした暁には 断る事由も無うなる

  其の時は素直に従うのじゃぞ

  加えて伝えて措くが 此度の重郷討ち

  如何に余の命と謂えども 蒲生家御預りの身の尊治が重郷を手に掛けた

 と知れては 中には心良く思わぬ者も居るであろうと 信長様は岡野と石

 原の手に依るものとせよと此の儂に申し付けられたのだ

  あの場に居った者らは皆我が門下故外には漏れはせぬ

  其方は能登から戻ったばかり 暫くはゆるりとするが良い …

  其れは其うと 其方には釈迦に説法であろうが 讐とは何れが正しいか

 を神に判じて頂く意 其方と秀光なる男 何れが正しいのであろうのう

  此れが真の神のみぞ知る処 かのう …

  御気に障られたならば相済まぬ

  年寄りの戯れ言じゃと想うて聞き流して下され 」


⦅ … 其の松軒殿が 山崎の戦いで見事な御最期を遂げられたと聞いた

  松軒殿 信長様並びに信忠殿亡き今

   我が家に伝わる家伝も然ること乍ら 俺と秀光の何れが正しいか

  否かなど何の意味も為しませぬ … 今の俺には秀光を斬る事 …

   只 其れだけでござる ⦆

  想いつつ 

  尊治の脳へ睡魔が忍び入り漸くうとうとし始めたのも束の間

  突然身体が痺れ出し喉は締め付けられ 然程時を置かぬ間に尊治は身動

 き一つ出来無く成った

⦅ … くっ … 此れは なっ何事か ⦆

  思う間も無く 

  身体が宙に浮いた

  天井から屋根を透ける様に抜けた尊治は 昼とも夜とも付かぬ天を凄ま

 じい速さで飛び続け何処迄飛ぶのかと想いきや 其の身体が行き成りぴた

 りと止まる

  眼下に砦を兼ねた館が見える

  館の東側は大きな川と接し船着き場と水門が設けられ 西側には櫓を備

 えた美しい杉の木が一本聳え立ち 南北へ通じる道が館を貫いて居る

⦅ … あの御館は … 一本杉の御館か …

  開けた野を流れる川の上流に津 … 正に上津野だ ⦆

  納得するなり尊治は 又もや昼とも夜とも付かぬ天を翔け巡り塲景は

 一瞬にして変わる

  白兎にも似た小波が東の陽を浴びて煌めき 煌めく波が打ち寄せる砂

 浜は緩い弧を描き乍ら東西に翼を広げて横たわって居る 

  其の明媚な景色とは裏腹に 二十名程の一勢が凡そ十倍の兵を迎え撃

 ち 数の劣勢に怯む事無く果敢に刀槍を振るい ばたばたと敵を斬り 

 突き 射斃して行く 

⦅ … 此処は何処だ … あの砂浜は … まっ真逆 由井の浜 ⦆

  其の刹那

  尊治は瞬く間に乱擊の只中へ舞い降り 馬上で毛抜きの形に透かされた

 柄を握り 凄まじい太刀風を巻き起こす武者の傍へゆらりと浮いた

⦅ … あの刀は 蝦夷の鉄断ちの御刀 … 此の御方が … ⦆

  想う中

  如何に剛の者らと謂えども 多勢に無勢は変わり無く一人 又一人と討

 ち取られ脆弱な陣が今正に崩れ様とした其の時

「 義父(ちち)上っ 義父上っ 

  御願いでござる 義父上は御館へ御戻り下され 」

「 何を申される重保様っ 」

  敵の首がどかりと刎ね飛び 血に塗れた黥利目(さけるとめ)がぎろりと

 眼を向ける

「 我が父と兄上は既に菅谷の御館を発って居られ様が 此の儘鎌倉へ参ら

 れては御命が危ういと 我らが謀(はか)られた事を もはや母上に信を置

 いては成らぬ事を 御伝えせねば成りませぬ …

  故に義父上御願いでござる

  義父上は於結(おゆい)と我が子らと共に館を落ちて下され

  其して 其の儘我が父の許へ 」

「 成りませぬ重保様 」

「 行けっ 行くのだ流夷っ

  後ろを取られてはもはや抜けられぬ

  頼むから行ってくれえいっ 」

「 流夷っ 御主とは一度仕合うてみたかったぞ

  此の十六年 真に楽しかった

  何れ 別の世で仕合おうぞ

  去らばだ 流夷っ 」

  一本杉館で共に戦った 剛夫と武秋が其処に居た

  二人は 返り血を浴びた面を流夷へ向け様にやりと笑みを送り 最後の

 突撃を試みるのであろう 

  匆々(そうそう)と馬首を揃え 先頭に立つ重保は一度大きく振り返り

「 義父上っ 

  此れ迄 我が妻於結と共に真に良く尽くして下された

  此の重保 心より礼を申し上げまする … では … 去らばでござる

  剛夫 武秋 いざ参ろう 皆の者 突撃じゃあっ

  掛かれえいっ 掛かれえいっ 」

「 しっ 重保様っ 重保様 

  重保 … さま … しげ … や … す … 」


「 … さま … 様 … はる様 …

  たか治様 … 尊治様 」

「 … こっ 香梅か 如何した 」

「 如何したではござりませぬ とうに御昼も過ぎて居りまする 」

「 昼 … 」

「 於菜惠(おなえ)殿が又 枕元に立たれたのでござりまするか 」

「 いや 其うでは無い 」

「 嘘を申されますな あのうなされ様 尋常ではござりませぬ

  尊治様の悪夢は 於菜惠殿の仇を討たねば消えぬものなのでござりま

 しょう 故に其の悪夢 消せるのであれば私(わたくし)に出来る事をさせ

 て下さりませ 」

「 其れは成らぬと言うた筈だ 」

「 私とて 御影の者 

  尊治様の御役に立ちとうござりまする 」

「         …         」

「 尊治様っ 」

  高まる情を抑え切れぬ香梅は 抱き付き様尊治の唇を奪う

「 よせ香梅 御影の者ならば法度を存知て居ろう 」

「 存知て居りまする 存知て居りますとも 成れど 成れど …

  ううっ … 」

  香梅はよろとくずおれ涙がぽろりと落ちた

「 誰だ 」

「 … あたいでございます 」

  襖が静かに開き 垂れた前髪を揺らして俯く菊花の唇が にいっと横

 へ伸びた

「 何用か 」

「 あい 加世様も御手伝いに来て下さりましたので 香梅様を呼びに参っ

 たのです … が … 」

  香梅は 濡れた目蓋を袖口で覆いつつ足早に部屋を後にし

「 菊花 何時から居った 」

「 … たった今 … 」

「 …  …  …  」

「 … 端から …  」

「 全て聞いたか 」

「 いえ … あい 」

  俯く菊花は 尊治に悟られぬ様短い舌をちろりと出した

「 菊花 其方に頼まねば成らぬ事が在る

  其方にしか出来ぬ事だ 頼まれてくらるか 」

「 あい 何なりと 」

「 うむ 真に相済まぬが 頭を禿(かむろ)にしてくれ 」

「 あい 御安い御用 … へっ 」

「 着物の裾も短くな

  あともう一つ 香梅の事を頼んだぞ 」

  あい と溜め息混じりに肩をすぼめて菊花は退がり 尊治は今見たばか

 りの夢の跡を辿る

⦅ … 重保様は 兄上と瓜二つ …

  黥利目(さけるとめ)を施されては居たが 流夷様の面は此の俺と同じ面

 であった …

  我が家に伝わる家伝は真の事なのか … 真逆

  一昨夜

  我が家の始まりを思い返したが故に あの様な夢を見たのであろう

  安土の御城での戦い以来 ずっと眠りが足りずに居たのだ 今宵も眠れ

 ぬ事は目に見えて居る 故に今は眠る可し ひたすら眠る可し

  其れに尽きる ⦆

  思うなり

  尊治は ばさりと布団へ潜り込む

                         つづく




    


   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の八

         金 丁 を 為 す

         きんちょうを なす




⦅ … … 手盾か … 其の手があったな … … ⦆

  人の気配に開けた尊治の眼に 

  濡れ縁の奥に佇む女御の影が朧気に映る

「 … 尼和殿か 」

「 はい 雨戸を開けてもよろしゅうございますか 」

  歯切れの良い透き通る声が届く

「 俺が気づく迄 声を掛けずに居ったのか 」

  尼和はごくりと頷きそそくさと雨戸を開け始めた

「 気を遣わしてし申た様だな 」

  とんでもござりませぬと首を振る尼和は 振り向き様其の場に平伏し

「 御願いでございます尊治様 私も … 能登へ … 」

「 万亀丸の身が心配か 」

「 そっ 其うではござりませぬ

  何かと 女手が要り用と想うての事でございます 」

「 父上は 経貞殿は 諾為されたか 」

「 はい 其方はもはや万亀丸殿の妻なれば井口の者に有らず と 」

「 成らぬと言うても 付いて来る積もりなのであろう 」

「 はい では宜しゅうございますね 」

  言い置いて 残りの雨戸を小気味良く開けつつ尼和は奥へと消え 其

 れを見送る尊治の面が 開け放たれた濡れ縁の外へ向く

  東の山の峰が緋色に染まり 闇が薄れ夜が明けようとしている

  篠で編まれた簾の目から日が射し込み 陽射しが扇の様に広がり始め

  雲一つ無く青としか伝え様の無い空が緋色を凌駕し 昨日迄の灰色の

 空と取って代わった

「 … 美しい … 

  青一色の空が

  此れ程美しく想えた事など嘗て在ったであろうか … 」

  小さな感動が思わず口から零れる程真に美しく 其して清しく良く晴

 れた朝と成った

⦅  … 其れ程俺の心は荒んで居る ということか … ⦆

  湖面を吹き撫でる風が客殿迄忍び入り心地良く吹き抜けて行くものの

 蒸し暑さは変わらず 首筋から流れ出た汗が胸元を滴り落ちて行く

  衣擦れの音が近付いて来る

「 何時から居られたのでございます尊治様 

  御約束の刻限には随分と早うござりまするぞ のう香梅様 」

「 張りの者より 尊治様は既に斎戒を済まされたと聞き 桟橋は大変 

 な騒ぎでございましたよ 」

「 御陰様にて あたいと香梅様は庭の水場でゆるりと浴びる事が出来ま

 したし 香梅様の美しい御姿も眺めさせて頂きましたが … 」

「 菊花っ 互いに振り向かぬと約束したではないか 」

「 えへっ 」

  ちろりと舌を出した菊花が脇息(きょうそく)を上座の左へ置き 寄懸

 (よりかかり)は二人で抱えて右に据えた

「 義綱様も御見え下さるのか 」

「 あい 尊治が意を決したのであれば 顔を出さぬ訳には行かぬと 」

「 近頃は食も進んで居りまする …

  元には程遠いものではございますが … 」  

  席を整え終えた二人と入れ違い 此の館の主平(ひら)続重の孫娘加世

 が濡れ縁に膝を揃えた

「 … 尊治様 … 愈々でござりまするか 」

「 うむ 愈々だ 」

「 私(わたくし) 尊治様に是非とも御聞き入れ頂きたき儀がござります

 れば 後程御部屋迄伺わせて頂きます事御許し下さりませ 」

  加世は言うだけ言うと尊治の言を待たずに膝を立てた

⦅ … 加世殿も 愈々意を決したか ⦆

  暫しの静寂の後 尊治の後ろが静かに騒ぎ出し騒がしさが収まった頃

 大殿畠山義続が平続重に誘われて席に着き 其の後ろから香梅と菊花に

 支えられた畠山義綱が腰を下ろし様 寄懸(よりかかり)に身体を預けて

 大きく息を付く 

  義綱の息が整ったのを見計らい

「 両御本家様 御尊顔を拝し恐悦至極にござりまする 」

  尊治に続き 後ろから野太い声が響き渡り 一同ざっと平伏す

「 御影畠山弟組 裃姿での総出の辞儀

  壮観でござりまするな 」

  長年 義続 義綱親子に陰日向無く仕えて来た続重が 扇子で風を送り

 乍ら優しい目を向け 義続は脇息に肘を置く事無く情味有る眼差しで満座

 を見渡し

「 うむ 皆 面を上げよ 」

  皆 面を上げたものの尊治一人が未だ平伏し為に 後ろの者らも慌てて

 平伏し 義綱の口元から白い歯が覗く

  此れが 今生の御別れに成ってしまうやも知れぬと想うと 中々面を上

 げずらい尊治であったが頬や鼻頭 顎の先から汗が滴り 古くはあるが良

 く磨き上げられた板敷にもう一つの湖(うみ)が産まれ様として居る事に見

 兼ねた続重が 身を乗りだし扇子の要の辺りで尊治の肩を二 三度突(つ

 つ)く 其れでも面を上げ様とせぬ尊治の其の様に続重は困り果て困り果て

 た続重の姿を目にする義綱が今度は声に出して笑い出し

  其の笑い声は此処数年来 誰も耳にした事の無い笑い声であり其の声に

 尊治は漸く面を上げた

「 下手な狂言より面白かったぞ尊治 …

  だがのう 儂に元の気を取り戻させ様と致して居る成らば 余計な謀(は

 かりごと)ぞ 儂は近頃すこぶる良い加減なのじゃ

  今程も館を一廻りして来た処での

  早起きはするものじゃな 朝から裸祭りと水祭りを見せて貰うたわ

 はあっはっはっはっ ごっ ごふっ ごっごふっごっ ふっうっ 」

  透かさず香梅が背中をさするものの 菊花が差し出す椀を手にする義綱

 の指は骨が浮き出 肌の色は濃い榛(はしばみ)色と化して居た

⦅ … 何と御労(おいたわ)しい御姿なのだ 

  御身体は義続様の半分も無いではないか

  此れでは 人を遠ざけ為されるのも無理は無い … ⦆

「 … 行くのか 」

  義続の 恰幅の良さは変わらぬものの寄る年波には抗えぬものなのか 

 前にしただけで人を圧する嘗ての迫力は減じて居る様である

「 はっ 温井景隆 三宅長盛の兄弟

  昨年来虎の威を借る狐の如く 上杉の陰に隠れて中々姿を現しませんで

 したが 此度は自ら其の姿を現したのでございます

  此の機を逃しましては 次は無きものと想われまする 」

「 奴ら 石動山に居ると言うのは間違い無いのか 」

「 ござりませぬ 」

「 勢は如何程か 」

「 温井 三宅の兄弟勢凡そ一千 上杉の勢は五百

  衆徒らは逆修講結集を謳い 他国の御山へ散って居る者共を呼び集めて

 居り其の数既に二千 来月には三千に膨れ上がるものと想われ其れに遊佐

 の残党を加えますれば 総勢五千に満たぬ迄も四千五百は下らぬものと推

 察致して居りまする 」

「 前田は今 何故(なにゆえ)攻めぬ 」

「 奴らの為に信長様の弔い合戦に間に合わず 利家殿にしてみますれば

 其の恨み骨髄でござりましょう

  更に 織田家の御継嗣が決まらぬ今 向後何が起きるか予測も付きませ

 ぬ 故に何時何時(いつなんどき)何が起き様とも直ぐ様兵を動かせる様 

 後顧の憂い断つ可く一網打尽を狙うて皆殺しに処す所存と想われまする」

「 … 皆殺し …

  故に 伊賀倫組(みちぐみ)の頭領 服部源心の申し出を諾したのか 」

  何故其れを御存じなのかと 義続の面を窺う尊治の眼に 口を真一文字

 に引き結び垂れた前髪を揺らして俯く菊花の姿が映り込む

「 … 諾致さねば 御山へ忍び入る事出来ませぬ故 … 」

「 此度の戦 其方は何と観る 」

「 戦は水ものと申しますが 前田の勝利に揺るぎはござりませぬ 」

「 真か 」

「 はっ 上杉方は今以上の援を派する余裕も積もりも無く 柴田殿より

 佐久間殿の勢のみの援ではございますが二千五百を約してござる

  其れに 石動山五道の内使える道は荒山道の一本きりでござりますれば

 もはや袋の鼠も同じの奴らに 今の前田勢を相手に生き抜く術はござりま

 せぬ 」

「 … 成らば 其れで良しと致さぬか 」

「 …     …     …    」

「 温井と三宅の兄弟確かに憎い 赦せぬ奴らよ

  善の衆徒らの命も惜しい … だがのう尊治

  儂は其れ以上に其方らの命が惜しいのじゃ

  其方らが遣ろうとして居る事は 火中の栗を拾う処の話では無いのじゃ

 ぞ … のう尊治 考えを直す気はもはや何処にも無いのか 」

  義続の面は苦渋に満ちて居る

  続重同様 尊治の兄 宏実(ひろざね)へ命じた事の顛末を未だに悔いて

 居るのであろう

  其の横で温井の名が出る度に苛立ち露にぎしりと歯噛みし 義綱は骨が

 浮き出た手をぐっと握り締めて居る

「 真に有り難き御言葉なれど 歯車は既に回り始めて居りますれば

  もはや止める事など出来ませぬ 」

「 成らば問う 其れ以前の歯車は何故止めた 」

  一体何の事であろうと 尊治の後ろがざわつき出すも

  義続は構わず続ける

「 蒲生家の四男 

  重郷殿を手に掛けて迄 回して居た歯車を何故止めたのだ 」

  ざわめきがどよめきに変わり どよめく中から原 広之進が声を上げる

「 恐れ乍ら 我ら重郷殿を手に掛けし者は岡野平兵衛殿と石原源八殿の両

 名と聞き及んで居りまするが 」

「 あの二人 確かに腕は立つだが重郷殿に敵う相手と思うてか …

  あの両名 真は見届け役として臨んで居たのだ

  それぞれ 十名の手練れを従えてな 」

「 なっ 成れど何故尊治様が 」

「 重郷殿が自ら望まれた事なのだ 尊治と尋常に立ち合いたいと

  其れで命果つる成らば本望 とな 」

「 皆も存知て在った筈だ

  あのままの重郷殿で居れば 何れ蒲生家に害を為すであろうと …

  信長様の命でもあったのだ断ろうとて断り切れぬ …

  とは申せ尊治 其方には辛い御役目であったなあ … 」

  続重の言葉に 尊治は無言で眼を閉じた

「 … して 回して居た歯車とは 一体何の事でございます続重様 」

  広之進がじりりとにじり寄る

「 其方らが何時迄も蒲生家御預りの身であってはと弟組を丸ごと織田信忠

 殿に召し抱えて頂く可く 大殿から信長様へ申し出て居られたのだ 」

「 広之進 信長様は以前から御影畠山の家伝に興味を示されて居ってな

 何れ其の真偽を確かめる可く信忠殿の名代として其方ら弟組を彼の地へ

  陸奥の国は鹿角郡の小坂村へ派する積もりで居られたのだ 」

「 広之進 信忠様の出羽の介 秋田城の介と続けての御任官は其の意の表

 れであったのだ 」

  続重の言葉に広之進は 元の座に膝を揃えた

「 尊治 重ねて問う 

  真の兄弟の様に育った重郷殿を手に掛けて迄 回して居た歯車を何故止

 めた 其方が諾して居れば 信忠殿は命を落とさずに済んだのやも知れぬ

 のだぞ 」

  濡れ縁から忍び込む影が客殿を侵し始めた

  雲が又空に張り付いたのであろう

  吹き抜ける風が冷やりと湿り気を帯び 

  続重は義続へ風を送る手を止めた

「 両御本家様の恨みは我らの恨み

  我ら両御本家様の臣として其の恨み晴らしとうござる 」

  言うなり 尊治は両手をがばと付き深く頭(こうべ)を垂れた

⦅ … 嘘だ …

  晴らすのは誰の恨みでも無い

  俺の恨みだっ … ⦆

「 良う言うたあっ 尊治っ … ちっ 父上っ わっ 儂はっ

  儂は父上とは違いまするぞうっ 」

  突然 義綱の声が響き渡る

「 義綱様 御身体に障りまする

  どうか御気を御鎮め下さりませ 」

  香梅の優しい声掛けも功を奏さず 痩せ細った身体でよろと立ち上がり

 わなわなと震える枯れ木の如き両拳を固く握り締め 皺にまみれた喉から

 声を枯らして泣き叫ぶ

「 わっ 儂は赦さあぬっ … やっ 奴らは わっ儂の二人の子のみなら

 ず 孫まで手に掛けたのだ

  儂の身体が此の様な身体で無ければ …

  儂一人でも 直ぐ様馬を飛ばして奴らの両首屠って参るものを …

  嗚呼 口惜しや …

  今の儂には 馬に乗る処か一人で歩く事すらままならず

  此の手では 重すぎて弓も引けず刀も持てぬ …

  此の様な儂はもはや人では無い 生きる屍じゃあっ …

  嗚呼 … くっ くううっ … たっ頼む尊治

  わっ 儂の望みは只一つ 温井景隆と三宅長盛の首二つ

  此の眼で見る迄 わっ 儂は 死んでも死にきれぬうっ 

  … … うっうっうっ 嗚呼 … 」

  最後は泣きじゃくり

  始めて目にする義綱の場景に一同息を呑み込む他手立てを知らず 其れ

 に耐えられぬ者は嗚咽を漏らす

  義続とて真は同じ想いなのであろう

  大きな身体故に小さく見えてしまう瞳は涙で溢れ 肩を震わせて咽び泣

 いて居る

「 … 義綱様 …

  我ら御影弟組 必ずや温井景隆 三宅長盛の両首揃えて御前に御披露致

 します事 今此処に御誓い申し上げまする 」

  尊治は 御家に伝わる御神刀 蝦夷の鉄断(かねだ)ちの御刀を手に取り

 様 鐺(こじり)で床をどんと打ち鳴らし抜けば刃(やいば)が己に向く様刀

 を立てた

「 皆の者 我に続け 」

  一同刀を取って床を打ち

  香梅と菊花も取り出した懐刀を顔前で構え

  尊治は幅の広い夏鹿の毛皮仕上げの鞘を左手で支えつつ 毛抜きの形に

 透かされた柄を右手で逆手に握り 平姓畠山の代表紋 村濃紋(むらご)模

 様の鍔(つば)をゆるりと引き上げる

  鎬地(しのぎぢ)から平地(ひらぢ)に掛けて彫り込まれた角を持つ蛇の彫り

 物と美しい刃文が光りを放ち

  皆が整い終えたのを背で察した尊治は 右の手の内を蕨(わらび)の飾り

 を施した柄頭(つかがしら)迄ずらして其れを包み込み

  勢い強く刀を納めた

  力強く 其れで居て典雅な音色が漂い流れ

  其の流れが止まらぬ内に同じ想いの金音(かなね)の色が満ち溢れ

  時を置くこと無く空気に溶けて逝った


  己れの刃を己れへ向けて金丁を為し

  己れの心に刃を仕舞い込む

  事が成就する迄

  如何なる困難にも堪え忍ぶのだ


「 … たっ 尊治 … まっ真だな

  まっ 真に奴らの首を … 首を …くっ くび … 」

  其れ迄踏ん張って居た足が力尽き

  義綱は香梅と菊花に抱えられて奥へと消え

  ぽつりぽつりと降り出した雨は

  涙雨と成る

                         つづく



 

 




   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の七

         水 神 流 夷

         みずかみ るい




⦅ … 今宵は眠れぬ 眠れぬ夜は徹す可し … ⦆ 


  濡れ縁から外に出 雨を仰いで沐浴とした尊治は

  新(さら)な衣を身に纏い 己が離れを離れて本館の客殿へと

 向かう

  荒れた脳と心を鎮める為でもあるが 幼い頃から父の顔が大

 殿と瓜二つなのだと聞いて育ち 拝謁の度に父の面影を大殿 

 畠山義続へ重ねて見てきた尊治である

  此の御館を発つ日が今生の御別れと成ってしまうやも知れず

 少しでも御側近くに 少しでも長く侍らせて頂く可く 一人控

 えて待つ事にしたのであった

  客殿に着くなり 気紛れな空(そら)の籠は元の小さな籠へと

 身を縮め 中の小豆も数を減らして疎らとなり終には空(から)

 と鳴る

  残り雨が瓦を伝って流れ 軒から垂れ落ちる雫も次第に間延

 びし やがて無音の夜となった

  闇の客殿に端坐し 眼を開けて居ても闇は闇なのだとそっと

 眼を閉じるも 未だ脳心の乱れは収まらず平静を取り戻すには

 如何にす可きやと思い倦(あぐ)ねた末に 今は亡き祖父蔵治か

 ら 身に心に染み込む程に聞かされた御影の始まりを思い返す

 事とし 尊治の記憶の歯車は再び文治五年へと巻き戻る


  文治五年(1.189年)

  此の年の夏

  源頼朝は奥州の覇者平泉の藤原氏を攻め 当主藤原泰衡は

 代々の郎党であった比内郡贄(にえ)の柵の主 河田次郎に裏切

 られ敢えなく果てた

  此処に 四代に渡り栄華を極めた奥州藤原氏は滅び戦は終わ

 りを告げたのだが 手柄に溢れた将兵の略奪が止まず憂慮を覚

 えた頼朝は 先軍の大将畠山重忠へ其の取り締まりを厳しく命

 じ更に 比内郡の東隣り鹿角郡は小坂村の一本杉なる館を狼藉

 勢に襲われぬ様守備せよと 別命も与えて居たのである

  重忠は 此れも経験と元服を終えたばかりの長男重秀へ騎馬

 五十徒(かち)百五十を授け 其れを補佐する三将を伴わせて小

 坂村へ向かわせたのであった

  紫波郡の陣岡を発った三日目の朝

  重秀は馬首を並べる将の一人 平沢武秋なる武者へ声を掛けた

「 武秋 我らが御守り致す一本杉館の御宝とは 一体如何なる物

 なのであろうか 」

「 其れならば 良く知る者に語って頂きまする

  大木戸(おぎと)殿 此れへ 」

  武秋は新参の将大木戸忠彦へ道を譲り 忠彦は畏まりましたと

 語り出す

 

  和銅六年(713年)

  律令の時代 好字二字の令が発令され上津野(かみつの)の地

 は鹿角(かづの)と成った

  此の地を流れる大きな川が 鹿の角の如く枝状に流れて居る

 からなのだと伝う だが

  京の都人達は 誰も其うは呼ばず狭布(けう)の里 又は希婦

 (けふ)の里と呼んで居た         ※読みは共にきょう

  此の地で織られる布の幅が狭いのが其の由縁であり 其の布

 を織る娘と錦木(にしきぎ)を売り歩く若者との悲恋の地でもある

  其の錦木と狭い布は対を為して歌にも歌われ


  錦木は立てなからにこそ朽ちにけれ

     けふの細布(せばぬの)胸合わじや


  とは 能因法師の歌である

  後の時代 此の悲恋物語りは世阿弥の謡曲錦木として下々の

 間に迄広く知れ渡る事と成るのだか 互いに想い乍らも其の想

 い報われぬ儘此の世を去った二人の残念を歌い謡ったもの成る

 も うたい手の想いとは裏腹に下々の人々の中には 織り幅が

 狭い故に胸で合わぬ布と 解して居た者も少なからず居た様で

 ある

  織り幅が狭いから 細いから胸で合わぬと言うのであれば

 縫い合わせて幅を広げれば済むであろうに …

  古代 高貴な御婦人方が挙って首から肩に掛け左右に垂らし

 て飾りとし 美を競った帛布(はくふ)又は肩巾・領巾(ともにひ

 れ)と呼ばれた布が在った

  狭布の細布(きょうのせばぬの)は其の爐劼〞として尊ばれ

 元来胸で合わせる物では無い

  又 希婦とは高貴な御婦人方を意味し 風を孕み揺れ乍ら美

 しく棚引く優雅な様も然る事乍ら 絹と共に鳥の羽根を織り込

 んで居る処から羽衣とも称されし布なのである

  織り込まれる羽根は鶴 白鳥 朱鷺など白を基色に魔除けの

 為に三角の図柄を連ねた意匠を織り込むものなのだが 織り手

 の意に反し望まれたものは 好みの色に染められた無地のもの

 であった

  奥州藤原氏第二代当主 藤原基衡の名で当代随一の仏師運慶

 宛に狭布の細布二千反を贈ったとの記録が残る

  二人の没年から察すれば 贈り主は次代の藤原秀衡と想われ

 るのだが …

  其の布は真の狭布の細布なのであろうか …

  俄には信じ難いものである

  延喜十五年(915年)

  鹿角郡(ごうり)の北東の山が突如として噴き飛んだ

  太古の昔から幾度も噴火を繰り返す内に何時しか中湖(なかうみ)

 が産まれ 此の後十和田の湖(うみ)と称される十和田火山が大噴

 火を起こしたのである

  大地を揺るがし大音響と共に 真っ赤に燃え盛る泥が地の底か

 ら勢い良く噴き出て流れ 幾つもの村と数え切れない程の無辜(む

 こ)の人々が容赦無く焼かれ呑み込まれて逝った

  燃え盛る泥は五里程流れて川迄達し 川の流れと形を変えて漸

 く止まり 降り注ぐ灰は米の磨ぎ汁を流した様に川を白く濁らせ

 以来 其の川の名は米代川と呼ばれる事と成る

  燃え盛る泥が川の流れを変えた辺りから北へ二里の地に小坂村

 は在る

  小坂村は東の山々が堤と成って燃え盛る泥を防ぎ 此の地を治

 めて居た当時の長(おさ)は 生き残った織り手を一本の大きな杉

 の木が目印の館へあつめて保護し織り手の育成に努め様としたも

 のの 降灰に拠る飢餓に追い討ちを掛けられ冬の訪れと共に其の

 殆どの者が命を支え切れず 春を迎える頃には皆無と成り此れ以

 降都への布の供給も途絶えたのであった

  尤も 此の頃には高貴な御婦人方の装いも様変わりして久しく

 狭布の細布は保持する事で己の出自の高さを示す証の一つとされ

 輿入れの際其の母が新(さら)な布を持たせて送り出す事が慣わし

 と成って居たのだが 布の供給が途絶えたまま代を重ねて行く内

 に布も霧散し 其の名と悲恋物語りだけが記憶に留められて来た

 のである

  奥州藤原氏が如何に財力を誇ろうとも

  其の技を受け継ぐ者らが集団として存在し 且つ組織されて居

 らねば 二千反もの狭布の細布など贈る事はおろか 織り貯めて

 措く事すら出来ぬ事であろう

  十和田火山の大噴火から運慶への贈年迄凡そ二百五十年が経ち

 都人は元より 奥州藤原氏でさへ狭布の里で織られた布であるな

 ならば 其れで良しと信じて疑わすに居たのではなかろうか …

  だが

  真の狭布の細布は 今日の此の日迄

  間違う事無く

  紡ぎ繋がれて居たのであった


「 … … 此処が其うなのか … 何も見当たらぬが … 」

「 あの 伏せ犬の如き石でござる 」

「 応っ あれか

  地に埋もれたままでは 正しく浮かばれぬ

  鎌倉へ引き上げる前に 我らの手で石を掘り起こし塚を築直

 して祠なりとも建てて進ぜよう 」

「 畏れ乍ら若様 家が釣り合わぬとの事由で二人を死に追いやっ

 てし申たせめてもの償いにと 娘の父が二人の御霊の鎮魂を願

 い祀った塚なるも 人の手で埋めし物は地の神の御遺志に依り

 何人たりとも掘り返しては成らぬとの掟が在るのでござる 」

「 其うか … 童子の教えの中に 郷に入りては郷に従えとの

 教えがあった 真に忍び無いが 重秀は掟に従うと致す 」

「 若様の美しき心根

  必ずや天の二人に届いて居りましょう 」

「 おだて下さるな大木戸殿 」

「 若様 我はもはや畠山の御家の臣なれば

  忠彦 と御呼び下され 」  

「 成らば忠彦 真の若様は鎌倉に居る故

  其方も若様は止めよ 」

「 はっ 仰せの通りに 」

  真顔で返す忠彦へ重秀の清しぃ八重歯が煌と光り 忠彦の面

 も思わず綻ぶ

「 ともあれ 真の狭布の細布とは如何なる物か 早く目にした

 いものよ 」

「 はっはっはっ 重秀様 一本杉館は逃げは致しませぬ

  花輪村を早う発って良うございましたな

  此の爐量召砲△笋り 今は錦木村と名を変えし此の村から

 小坂村はもう目と鼻の先 ゆるりと歩を進めましても昼には着

 きまする

  今頃は 我が愚息が触れて居る頃なれば館の主 流夷殿と織

 り姫に御挨拶して後篤と御覧に入れて差し上げまする 」

「 うむ 楽しみなものじゃ

  成れど 佐(すけ)殿は狭布の細布を如何に為される御積もり

 なのであろうか … 質実を旨とされる御方故 只の土産とも

 想えぬが … 」

「 そっ 其れは 我からは何とも … 」

「 忠彦殿 畠山の御家は何事も腹を晒けて語り合う御家でござ

 る 故に何の遠慮も要り申さぬ

  想うてる事 想うて居る儘に御応え下され 」

  今一人の将 木村剛夫なる武者の言葉に問い目を向ける忠彦

 へ 重秀の若い顎がこくりと頷く

「 はっ では腹蔵無く申し上げまする

  鎌倉殿の御評判 此の奥州は元より京の都にてもすこぶる悪

 いものと聞き及んで居りまするが 九郎殿の横死により其の悪

 評揺ぎの無いものと成りましょう 」

「 其れは佐殿とて百も承知 と申すより悪評など御気に為され

 る様な御方ではござりますまい 」

「 仰せの通り 成れど其れでは望むものを得られぬのでござる 」

「 … 望むもの … 

  天朝様は征夷大将軍の官を授けぬと 」

「 重秀様 鎌倉殿へ歯向かう事無く降った我らとて 征夷と耳

 に致しましては … 」

「 あっ 相済まぬ 其うよな 心穏やか成らぬな 」

「 中には過ぎたる者も出て参るやも知れませぬ 」

「 乱が起きかねぬと … 成る程 …

  佐殿は此れから治める奥州の民の心をおもんばかり 征夷を

 外した大将軍の官を御望みなのだな 」

「 御意 成れど 天朝様は望んでも手に入らぬものがあるのだ

 と言う事を思い知らす可く田村麻呂公の事跡に倣い飽く迄征夷

 大将軍の官を と …

  決して引きのく事はござりますまい … 」

「 … 成る程 … 

  察するに 佐殿は狭布の細布を御公家の 其れも奥の方を取

 り込む駒の一つに為される御積もりなのだな 」

「 左様 悪評の元は女御の口でござる

  先ずは其の元を断たねば成りませぬ故 」

「 成れど 織り手が其の姫一人では幾ら何でも賄えぬで有ろう 」

「 其れで良いのでござる

  賄えぬから此其狭布の細布は希布であり 其れを手に入れた

 御方が真の希婦と成るのでござる 」

「 狭布の細布は希布であり 故に希婦と成る 成る程

  忠彦 一本杉館の御宝とは其の織り姫なのだな 」

「 御意 」

「 うむ 得心が行った 折角だ皆の者 共に詣ろう 」

  言うなり ひらりと馬を下りた重秀は さらりさらりと秋草

 を押し分け ぽつりと突き出た石前に跪きそっと手を合わせた

⦅ … 忠彦は 掘り返しては成らぬとのみ言うて居った

 … やはり 祠は建てて進ぜよう … ⦆ 

  沈黙の時が暫し流れ 重秀は其の乾いた唇を忠彦へ向け

「 忠彦 泰衡殿は伊達(いだて)小次郎と自称為されて居たと 

 聞く 其方は伊達の出 何か関わりが御有りか 」

「 はっ 泰衡様が元服の折り 御父上の秀衡様から

  天朝方の軍勢と一戦交えねば成らぬ時 其方は如何にして

 戦う と問われた事がござる 其の問いに対し泰衡様は

  伊達の阿津賀志山から大隈川(現阿武隈川)迄塁を築き 其処

 で迎え撃ちますると御応えに成られ 透かさずぽんと膝を御打

 ちに成られた秀衡様は 良くぞ申した泰衡 伊達は其方にくれ

 て遣わす想うが儘にせよ と仰せられたのでござる 」

「 其れがあの長大な防塁 

  築いたのは其方であろう 故に大木戸と 」

「 はっ 成れど 絵図を描きましたは流夷殿でござる 」

「 其う申さば 

  阿津賀志山の西に小坂なる村がございましたぞ 」

「 真か武秋 」

「 はっ 我が勢 其の村の東の峠から攻め入りました故 間違

 いござらぬ 」

「 武秋殿 あの村は塁を築く際 屯す可く流夷殿が拓いた地で

 ござる 流夷殿が居を構えるのであれば其処は小坂村と 誰と

 も無く其う呼ぶ様に成ったのでござる

  尤も 当の流夷殿は少々不満気でございましたがな 」

「 何故か 」

「 其の昔 小坂村は黄色い砂の処で黄砂処(こさか)と称して居

 りましたので 」

「 黄色い砂 … 金か 」

「 左様でござる 阿津賀志山の小坂村は 金のきの字も出ま

 せぬ故 」

「 しかし乍ら忠彦殿 二重の堀に三重の土塁を築くなど 正に

 鉄壁の防塁 真に手を焼きましたぞ 」

「 御言葉乍ら剛夫殿 流夷殿は攻塁と呼んで居たのでござる 」

「 攻塁 … 」

「 はい 攻め来る軍勢を引き付けるだけ引き付けて 

  油と数多な藁束を浮かべて火を点じ 機を見て堰を切り

  一気に大隈川へ押し流す為の塁でござる 」

「 忠彦殿 此度は何故其の手を使わずに居ったのだ 」

「 武秋殿 其の仕組みを知る者は 我(わ)と流夷殿のみでござ

 りますれば 」

「 むううっ 水攻めと火攻めを同時に仕掛ける仕組みか 

  正に攻塁 水神流夷 水を自在に操る男と聞いては居たが

 如何なる御仁か 早く会うて見たいわい のう武秋 」

「 うむ … すがる藁さえ燃えて掴めぬ …

  あの水量を諸に喰ろうては一溜りもなかったな …

  俺も早く会うて見たいが 慌てる事は無い

  忠彦殿の申す通りゆるりと参ろう 」

  二将が言葉を交わして居る間に 既に川辺に下りて乾いた

 唇を潤した重秀は 土手に腰を下ろし様足を投げ出し辺りを

 ぐるりと眺め見る

  何とも長閑(のどか)な地である

  北から小坂川が東から大湯川が先ず交じり合い 暫し流れ

 て南から流れ来る米代川と合わさり 重秀の目の前で大きな

 弧を描き西へ向かって流れて行く

⦅ … この川の流れ 正に鹿角  

  此処が 燃え盛る泥を断ち切ったと伝う場所か …

  水を神として祭り乍ら其の水を自在に操る男

  水神流夷殿

  父上の申しでを心良く御受け下さるであろうか ⦆

「 御安じ召されますな重秀様 

  流夷殿は鎌倉行きを既に決してござる 」

  言い乍ら 忠彦は重秀の横へ腰を下ろす   

「 真か忠彦 … と言うより 其方は他人(ひと)の心が読める

 のか 」

「 はっはっはっ 真逆 重秀様の不安気な面持ちの事由は其れ

 しかござるまい 」

「 うむ … 鎌倉の地を流れる柏尾川なる川が 大雨が降って

 は溢れ其の度に人々が難して居るのだ

  父上は流夷殿が御承知下されれば 御一族が住まわれる地を

 小坂村と名付けても良いと申されたのだが … 金のきの字も

 採れぬ地では 其の名は御気に召さぬであろうか 」

「 はっはっはっ 既に其の名が在るのだと申されれば其れで良

 うござる … 例の例え通り … 」

「 郷に入りては郷に従え か 」

「 はい 」

「 はははっ 面白い男だな 」

  微笑み合う二人に 川のせせらぐ音が何とも心地良く

  秋晴れの汗ばむ頬に 川風が涼しげに吹き流れ 其れに釣

 られて綻ぶ重秀の口がそろと開く

「 … 忠彦 幾つか問うても良いか 」

「 何なりと 」

「 今来た道を行き進めば一本杉館へ行き着くのであろう 」

「 左様 」

「 其の先の善知鳥(うとう)村の安潟(あんかた)迄は如何程か 」

「 二日乃至(ないし)三日も有れば 」

「 安潟から夷狄(いてき)島迄は 」

「 海の御機嫌が宜しければ半日で渡り切れまする 」

「 半日 … 」

「 はい … 其れが … 何か … 」

「 泰衡殿は 夷狄島で再起を図る可く平泉を落ちたのではなかっ

 たか 」

「 … 其の様に 聞き及んでは居りますが … 」

「 一本杉館から三日乃至四日で夷狄島へ行き着けるのであれば

 何故泰衡殿は此の道を左に折れ比内に向かわれたのであろう 」

「 … そっ 其れは 流夷殿も降ったと知り 避けられたのや

 知れませぬ  … 」

「 其うであろうか … 重秀には其処が何とも腑に落ち…

  重秀の言葉を遮り 蹄の音が迫る 

「 父上っ 父上っ 」

「 保彦っ 大将は重秀様ぞっ

  告げる事が在れば 重秀様へ御伝えせよ 」

「 はっ 重秀様 下馬せぬ無礼何卒御容赦を 」

「 何事か 」

「 一本杉館 襲われて居りまする 」

「 なっ 何とっ 」

「 保彦殿 如何程の勢か 」

「 騎馬 徒 共に我らと同勢なるも 館へ通ずる橋を落としに

 掛かって居り其れを阻止す可く 我が兄秀彦が手の者らと仕掛

 けて居りますものの流石に太刀打ち出来ませぬ 故に方々

  御急ぎ下され 」

  言い終えるなり 馬首を返す保彦へ剛夫が重ねて問う

「 旗は 幟旗は眼に為されたか 」

「 われらを眼にするなり地に伏せ置きましたが 三つ引きの下

 に石の字を印して居りましたぞっ では此れにて後免 」

  問うた剛夫の口が溜め息交じりにぽつりと開く

「 三つ引きの下に石の字とは …

  大住の石田為久殿か … 真逆 あの男が … 」

「 馬鹿を申せ剛夫 為久殿は其の様な男では無いわっ 」

「 他に誰が居る武秋 … あっ 奴らか 」

「 襲いし者らが何処の誰かなどどうでもよい

  我らは 一本杉館を御守りする迄よ 」

「 武秋の申す通り 

  武秋は騎馬を 剛夫は徒を率いて参れ

  行くぞ忠彦 案内せいっ 」

   主従の二人は土埃を巻き上げ乍ら 小坂川の東岸を疾駆し

 毛馬内(けまない)村から大地を抜け 荒谷を過ぎ 小坂村の入

 り口に立つ朱塗りの村門を潜(くぐ)った途端 立ち昇る黒煙が

 二人の眼に飛び込んで来る

「 くっ 急げっ 急ぐのじゃあっ 」

  馬に鞭打ち 駆けに駆け 漸く保彦に追い付いた二人であっ

 たが 橋は既に落ち 触れ組は奮戦虚しく秀彦一人を残し皆

 討ち取られて居た

  秀彦が保彦と渡河場所を探しあぐねて居る間に 騎馬組が

 ぞくぞく集まり来るも 対岸でせせら笑う将兵の声に重秀は

 ぎりりと歯噛みし

「 いざ参る 」

  口にするなり ざぶりと川へ乗り行った

  重秀を失うては重忠に合わせる顔は無しと二将は透かさず

 後を追い 他の者らも遅れてはならじと馬腹を蹴る

  騎馬の勢いに気圧された岸兵は 四十間程退いて槍衾を敷

 き 弓兵を背に騎馬に備える

  二将は今にも飛び出し兼ねぬ重秀へ 馬を寄せて挟み込み

 岸を制した騎馬共は 其の左右に踏みを揃えて指示を待つ

「 良くぞ御自重為されましたな 」

「 武秋 此の重秀 集(すだ)く敵勢に突貫を試みる匹夫之勇

 と想うてか 」

「 はっはっはっ 此れは失敬 … 何か策が御有りの様です

 な … 御指示通り仕掛けます故 策を御聞かせ下され 」

「 うむ … 忠彦 今来た道に多勢が通った跡は無かった

  奴ら 何処から来たのだ 」

「 はっ 比内から雪沢の峠を越えて参ったものと思われまする 」

「 他に道は在るか 」

「 ござりませぬ 」

「 下流には 徒でも渡れる場所は在るか 」

「 ございます … 保彦 」

  忠彦の声掛けを待つ迄も無く 忠彦は踵を返し今出たばかり

 の川へ ざぶりと飛び込んで行った

「 武秋 一斉射を仕掛け様 左へ廻り込み其の道を塞ぐのだ

  塞いだならば押しては引き 引いては押しを繰り返し時を

 稼ぐのじゃ 」

「 奴らに川を背負わせ 剛夫の徒組が到着次第 一気に落と

 し込む 」

「 うむ … 異論は 」

「 ござりませぬ ござりませぬ が … 

  其れ迄 御館が持ちましょうや 」

「 成らば如何にせよと 」

「 重秀様 流夷殿は 既に我らの姿を眼にして居る筈でござる

 故に そろそろかと … 」

「 そろそろ … 打って出ると申すか 忠彦 」

「 むっ … 門が開きましたぞ 重秀様 」

「 さああっ 重秀様 武秋殿 流夷殿の暴れっぷり 

  篤と御覧あれ 」

  館の表門から数騎の騎馬が打って出 重秀の眼は其の先頭を

 切る騎馬へ釘付けと成った

⦅ … 異形の者だ … ⦆

  重秀が心の内で其う呟いたのも無理は無い 

  先頭の者は 波がかった長い髪と首に巻いた魔除けの細い布

 をなびかせ 眼には黥利目(さけるとめ)を 胸には絡み合う龍

 の如き角を持った蛇の入れ墨が乳首を目として向かい合い 背

 には毛抜きの形をした柄の頭に蕨の飾りを施した三振りの巾の

 広い刀を背負い 手綱と矢束を握る左腕には丸い手盾を備え

 右手に持つ爐〞の字に曲がった棒に矢を番えては次々と敵を

 射倒して行く

「 … あの様な射方 初めて眼に致す 」

「 其れがしもでござる … むっ 矢が尽きる 」

  矢が尽き 棒を放り投げた其の手で抜いた刀は 鍔元から反

 り上がる長さ二尺八寸 幅2寸程の幅広の刀で其の幅広の刀が

 ぶんっと風を切る度どかりと首が刎ね飛び 其の迫力に重秀は

 ごくりと意気を呑む

「 … すっ 凄い … 阿修羅の如き御方だ 」

「 真に … 出来うるものならば

  直に仕合うてみたい程の腕前でござる 」

「 … 七人 … 八人 … あっ 何故刀を手放す 」

「 阿津賀志山で戦うた手練れも其うでしたが …

  恐らく 曲がったのでござりましょう

  我らの物とは 鍛え方が違うて居る様ですな 」

「 鎌倉へ戻ったならば 鍛え直して進ぜよう 」

「 其れは良い御考えなれど … 急ぎませんと 」

「 うむ 武秋 策を変える 」

「 はっ 如何様に 」

「 此のまま突っ込む 」

「 はあっはっはっ 流石は重忠様の御子でござる

  其の御言葉 待って居りましたぞ 」

「 四矢連射して後 突貫を開始する … 皆矢を番えよ 」

⦅ … 又手放した 残るは一振り … 猶予は無い ⦆

「 整いましたぞ重秀様 … 御下知の程を 」

  うむと頷く重秀の 高く掲げた右手が勢い良く振り下ろされ

 ざっと唸る矢が槍衾を襲い 透かさず応射を試みる徒弓(かちゆ

 み)を馬弓の矢が二矢 三矢と畳み掛け四矢で沈黙と成った

  いざ参らんと 手綱をぎゅっと握り締めた重秀は

「 皆の者 徒には眼もくれるな

  先ずは騎馬じゃ 騎馬を叩き潰すのじゃあっ 」

  大音声で宣い

「 重秀様の真の初陣ぞうっ 

  重秀様の御為に此度の戦 勝利で飾って御見せ致そうぞうっ

  我と思わん者は重秀様に続けえいっ 

  掛かれいっ 掛かれいっ 」

  満を持して居た騎馬共は 虎乱の陣を敷き始めた前陣を突き

 崩す可く牙を剥いて襲い掛かる

  其の突撃凄まじく 前陣は脆くも崩れ騎馬共は一気に敵陣の

 只中へと雪崩れ込んで行き 集(すだ)く敵勢の中を異形の者目

 指して突進する重秀の前に二騎の騎馬が立ち塞がる

「 … 汝(うぬ)は … 重忠の小倅か

  後一息であったに 邪魔を志腐り居っていっ 」

「 … 汝(なんじ)は … 平子(たいらこ)の石田久猛

  佐殿の命も聞かず 狼藉に走るとは何たる不埒な奴よ

  陣は崩れたのだ 観念せよ 」

「 くっくっくっ 兄上 此の童(わっぱ)

  もはや勝った積もりで居りますぞ 」

「 ふっふっ 汝らを引き込む可く敢えて陣を崩したのだ

  其うとも知らずに突貫を仕掛けて来るとは …

  飛んで火に入る夏の虫とは正に此の事 

  若いとは 恐れを知らぬ生き物よのう 」

「 … 汝は石田為猛 兄弟揃って同じ穴の狢とは 何とも情け

 無し 武家の風上にも置けぬ者らよ

  此の重秀 天に代わりて成敗してくれる 覚悟せよ 」

「 ほざけ童 あの化け物の刀もあと二 三人斬れば曲がる

  畠山の騎馬組と謂えども残るは四十騎 我が勢を以てす

 れば恐るに足らぬ

  跡を残さぬ様ゆるりと押し包み皆殺しにしてくれる

  先ずは汝を血祭りに上げてからだ

  童 先立つ不幸の許しは彼の世で請えっ … 参る 」

  言うなり 

  馬を寄せ来る久猛へ 其うはさせじと忠彦が割って入るも

 俺が相手と為猛が斬り掛かり 久猛相手に果敢に刀を振るう

 重秀であったが 擦れ違い様刀を擦り上げられ もはや此れ

 迄と覚悟を決めた其の刹那 久猛の首がどかりと刎ね飛び

 首の切り口越しに ぎらりと光る黥利目(さけるとめ)が現れ

 出でた

「 ひっ 久猛っ おっ おのれえいっ 

  此の蛮族めえいっ よくも我が弟を 」

  怒りに燃える為猛を迎え撃つ可く 黥利目が曲がった刀を振

 り上げた其の時

「 為猛っ 汝の首は此の武秋が貰ったあっ 」

  吠える成り 横一閃武秋の刀が煌と光り為猛の首はずるりと

 落ちた

  同時に南から鬨の声が上がり 其の機を逃さず館の守兵も打っ

 て出る

  主を失った狼藉勢は算を乱し 我先にと逃げ出そうとしたも

 のの 剛夫の徒組が左右に開いて道を塞ぐ

  三方を塞がれては川へ飛び込む外に手は無く 心の内で三宝

 を唱えた者から次々に飛び込んで行き 川面が饅頭で埋め尽く

 されるや 館に付属する水門ががらと開き忽ちに増す水嵩に生

 き抜く可く 流れ来る蕨へ手を伸ばした途端川は火の川と化し

 饅頭らの願いも虚しく一つ 又一つと火波の中へ沈んで逝った

  触れ組の十騎を失いはしたが 其れ以上の死者を出さずに済

 んだ事に重秀はほっと安堵の息を洩らしたものの 守る可き狭

 布の細布の最後の織り姫は 既に自ら其の命を絶って居たので

 あった

  此の後水神流夷は一族を率いて 鎌倉は粟舟山に程近い小坂

 村と名付けられた村に移り住み柏尾川の治水に従事する事に成

 るのだが 

  十六年後の元久二年(1.205年) 北条家の策謀により畠山一族

 は滅亡の憂き目に遭い 未亡人と成った重忠の妻が足利義純の

 許へ再嫁した其の折り 一人生き残りし水神流夷へ

「 無念の想いを残して逝った畠山一族の御霊を終世弔う可し 」

  と 義純自ら申し渡し水神改め御影畠山を称させたのである

  以後水神流夷は 義純の義と治水の治にあやかり

  御影畠山義治(よしはる)と名乗り

  御影畠山の初代と成ったのであった

                         つづく