御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の二十二

         兄組編     其の保


            盗賊大名


  三日後の昼近く

  ぎこちなく進んで船が

  滑らかに進み始めた途端

  其の進みはがたりと落ちて

  櫓羽根が水面を切る音もぴたりと止み

  一圭の宏実を呼ぶ声が響き渡る


「 一圭 何があった 」

「 わっ 判りませぬ

  突然皆 ばたばたと倒れ出したのでござる 」

  櫓柄にもたれ 息も絶え絶えな茂平が一圭へ歩み寄ろうとした其の刹那

  茂平の足が縺れ もんどり打って倒れ込む

「 茂平っ 」

「 はっ はあっ はあっ … たっ 大した事は無い

  ちょんこと目眩がしただけだ 」

  透かさず抱き抱えた茂平の身体は塩を噴いて熱く火照り

  乾き切った紫色の唇がわなわなと震え 虚ろな眼差しを一圭へ向けたま

 ま首ががくりと落ちた 愕然とする宏実と一圭であったが 共に昨夜から

 異常な迄の喉の乾きと軽い目眩に襲われ続けて居たのであり 悪夢が再び

 幕を開けたのであった 

「 誰かっ 水をっ 水をくれいっ 」

  宏実の声に

  一圭が やはり言うて措かねばと 躊躇いがちに口を開く

「 申し訳ござりませぬ宏実様

  水飲みは我らの指示に従うて下されと あれ程強く念を押して居りまし

 たのに 不覚にも張りの者が寝入ってし申た隙に … 」

「 一圭 我らでさへ難(がた)いのだ 病者の方々にしてみれば耐えられぬ

 乾きであったに違い無い

  張りの者とて 困憊(こんぱい)の極みで居たのだ 誰も責められぬ

  責めては成らぬ 落ち度は全て俺にある 」

「 なれど 残って居た僅かな水も倒れた者らに与えてしまいました故 水

 は一滴も残って居りませぬ

  水無くしては 現在(いま)動ける我らでさへ恐らく三日 … いや二日

 と持ちますまい

  此処は意を決して船を東へ向けてみては如何でございます 」

「 … 止めて措こう … 危険に過ぎる 」

「 ですが此のままでは 」

「 一圭 肌に当たる風が日に日に涼しさを増して居る様に感じぬか 」

「 はっ 言われたみれば … 確かに 」

「 土崎の湊に近付いて居るのは間違い無いのだ

  東へ舵を切るのは最後の手段 其の折りは俺と御前で漕ぎ切る

  其の積もりで居てくれ 」

  言うなり

  宏実は甲板へ出 未だ平伏し続けて居る一圭の手の者へ何事かを囁き

 船尾へと消えた

「 おいっ 寝坊助(ねぼすけ) 宏実様は何を申された 」

  後から出て来た一圭が 片膝付いて問う

「 はっ はい 

  水を … 海水から水を取り出すのだと申され …

  蝋を 集めて参れ と 」

「 何っ 馬鹿な 海水から塩は取り出せても水を取り出すなど … 」

「 何でも 水取りの術の海版だと申され 

  どれ程得られるか判らぬが 試してみる価値はあろうと 」

「 … 水取りの術 … 

  其うか 其の手があったか なれど如何にして 」

  立ち欠けた一圭の膝前に 寝坊助が更に深く平伏し

「 くっ 組頭 昨夜は真に申し訳ござりませぬ

  何時寝入ってし申たやも判らぬなど不覚の極みでござりますれば

  此れ以上生き恥は晒せませぬ故 …

「 おい寝坊助 何をして居る 早く蝋を集めて来ぬか 」

  はっと面を上げた寝坊助の前に 既に一圭の姿は無かった

  宏実の指示の下

  手の者らは月の明かりを頼りに 船尾から運び込んだ樽の中程に一尺

 四方の孔を穿(うが)ち

  樽の底の真ん中に蝋を垂らして固定した 取っての有る桶の中へ丼鉢を

 据え 次いで桶の中程の高さ迄海水を注ぎ予(あらかじ)め煮沸し干して措

 いた薄布を其の中央が丼鉢の真上に成るよう擂り鉢状に緩く張り 仕上げ

 に布の表面に蝋を塗り終えたならば漸く完と成る

  其の夜から

  体力の温存を図る可く 櫓漕ぎは夜の間だけと決めた宏実の命に従い

  手の者らは樽を背に 腰を下ろして櫓漕ぎの番を待ち 一人舳先へ向か

 う宏実は龕灯を綱に吊るして指南魚が泳ぐ桶を照らす

  気も心も呑み込まれ其うな闇の海原を睨み付けながら まんじりともせ

 ぬ夜を過ごし 朝陽が天海の際に姿を現した頃 寝坊助に寝ずの番を命じ

 て手の者らと巣穴へ戻り陽が陰るのを待った

  丼鉢が水で満たされて居たならば 空鉢と入れ替えて措く様に申し付け

 られて居た寝坊助は 陽が天の頂きに胡座を掻き出した頃そろそろ宜しか

 ろうと筵帆からのそのそと這い出し そっと薄布を捲り上げて我が目を疑

 う

❨  なっ 何だ此れは … 此の様な物 今迄見た事が無い … ❩

  我を忘れて樽に齧(かじ)り付き穿った孔へ顔を押し付けたままじっと

 目を凝らす

  数多な水の粒で覆われた 彩り鮮やかな薄布から透けて射す陽の光が

 樽に張った海水の照り返りと相まって綺羅綺羅と輝き 得も言われぬ煌め

 きの世界が其処に在った

  目の前で輝く光りの一粒が まるで生きて居るかの如く隣りの粒を呑み

 込み様じわりと嵩を増し 微かに震えて下側の未熟な粒を巻き込みながら

 其の先で雫と成って滴り待つ粒と出合った途端 一瞬大きく膨らんで左右

 に揺らぎ 皆が待つ鉢の中へぽちりと落ちた

  美しくも何とも儚げな其の様に 心奪われて居た寝坊助は幽(かす)か

 な落音(らくね)にはたと我に返り 恐る恐る伸ばし入れた指の先に光り

 の粒を乗せてそっと舌の先へ誘(いざな)う

  此の摩訶不思議な仕掛けで水が得られなければ 御影の法度を破って迄

 も腹掻っ捌く積もりで居た寝坊助である 

  宏実を信じて居なかった訳では無いものの 果たして真に水が得られる

 ものなのかと 疑って居たのも事実であり 先ず一番に寝坊助自身の目で

 水の有無を確かめさせる為に番を命じてくれた宏実を信じ切れずに居た己

 を恥じた

  陽が陰り 寝坊助が宏実へ差し出した桶は水で満ちて居た

  宏実の目論見通り水は採れたのだ だが宏実の面に笑みは無かった

❨  … 採れた水は此の一桶のみ … 焼け石に水とは此の事か ❩ 

  宏実は 薄布を人数分小さく切り取る様命じて桶を一圭に託し 寝坊助

 へは明日も頼むと告げて舳先へ向かう

  はっ と頭を下げた寝坊助が巣穴の中で深い眠りに就いた頃 二名が息

 を引き取って居りましたと報された宏実は 口に含んだ濡れ布をぎりりと

 噛んだ 昼と夜の寒暖の激しさに 弱り切った身体が付いて行けなかった

 のであろうが 悲劇は尚も続く

  陽が昇り始めた頃 何処に其の様な力が残って居たものか

  私の濡れ布は他の方へと言い残し 事切れた老者の連れ合いが夫の亡き

 骸を抱えてざぶりと海へ飛び込んだ

  同時に 濡れ布など蛇の生殺しじゃ と喚きながら暴れ出す女御の右手

 首と己の左手首を紐で結わえた男が 止める者の脇差しを抜き取り様 御

 免そうらへと海へ転がり落ち 波間に漂う二人の身体から血が滲み出男の

 胸に突き立つ刃が朝陽を浴びて綺羅綺羅と煌めき 宏実はもはや此れ迄今

 夕東へ舵を切ると皆に告げた

  其れを聞いた寝坊助は

❨ あの煌めく世界も 今日で見納めに成ってしまうのか ❩ 

  と 何とも複雑な心持ちのままふと東へ目を向ける

  向けた目の蓋を狭(せば)めて天海の際をためつすがめつ眺め見る

  狭めた目に映る際に違和を感じた寝坊助は とうとう霞み出したかと

  口から取り出した濡れ布で眼元を拭い今一度確(しか)と見切り直す

❨ … ちっ 違う … やはり何かが違う … ❩

  思うなり 立ち上がり様右手を額に翳(かざ)しゆるりと際を眼でなぞる

「 … あっ あれは … りっ 陸かあっ …

  まっ 間違い無いあれは陸だ 陸だ陸だっ 陸だあっ 

  ひっ宏実様 くっ組頭 陸で 陸でござりまするぞうっ 」

  皆が眼を向けた東の彼方に 淡い翠色(すいいろ)が横一線に伸びている

  寝坊助の言う通り 天海の際のぼやけが陸で有る事を確信した御影の者

 らは二手に別れ 一手は漕ぎ場へ向かって櫓柄を握りもう一手は屋倉の屋

 根へ駆け上がり長大な舵柄に手を伸ばす

  然程時を掛けぬ間に 際の翠色は碧色に変じて際は際で無くなりやがて

 緑の色味を増した鮮緑の山並みが顕わと成る

  長く 白く 美しい砂浜がはっきりと見て取れる域に迄船が達した頃

 宏実は 嘗て見た出羽の国の俯瞰図を脳に描きつつ砂浜と平行に進む様指

 示を出す

❨  … あの美しい浜の切れ目が土崎の湊 

   其処には数多な船が群れて居る筈 … ❩

  宏実が逸る心を抑えてぐっと身を乗り出した其の時 船の行く手に泡の

 如き小波が群れ乱れ其の波乱の波原へ船の舳先が切り入った刹那

  船は恐ろしい迄の力で浜へ引き寄せられ波乱に抗う可く 漕ぎ手組は残

 る力を振り絞って漕ぎに漕ぐ

  慌てた舵手組が想わず左へ舵を切った途端 船はくるりと向きを変え

 あっと言う間に沖へ引き戻されて行く

  舵手組の慌て振りは収まらず 力任せに切った舵柄が根本からぼきりと

 折れ船の舳先が浜を向くや又もや凄まじい潮の流れが船を引き込む

  眩しい砂浜が眼近に迫り脱兎の如く船尾へ走った宏実が 碇を海へざぶ

 んと落とし込むやごごごっと鈍い振動が足下に伝わり船は浜の手前で動か

 つぬ物と成る

❨  舵はまだ二つ有る

  此の訳の判らぬ潮の流れを抜けさへすれば

  後は 俺と一圭で漕ぎ切る ❩

  気を取り直し 肩で大きく息を整えつつ甲板へ出た宏実の眼に此の地の

 主の紋が飛び込んで来る

❨ … 大中黒(おおなかぐろ)の一つ引き紋 …

  此の出羽の地で新田(にった)の流れを汲む家は羽根川の家のみ …

  あの森の向こうに 土崎の湊へ通ずる大川(雄物川)が流れて居る筈

  くうっ あと一息であったに … )

  歯噛みする宏実であったが

「 林から躍り出た待ち受け振り

  我らの動きを見越して居た様だな … 凡そ二百 か … 」

「 宏実様 早船が幾艘か漕ぎ出して居りまする 」

  寝坊助の声が響き渡る

「 手慣れたものだ のう一圭 」

「 真に 水も漏らさぬ陣立てでござる … 如何為されます 」

「 うむ 相手は盗賊大名の異名を持つ男なのだ

  此のまま降ったとて 

  武具は奪われ男共は皆殺し婦女子は陵辱を免れぬ 」

「 では … 」

「 何人動ける 」 

「 我らを含め 十名程かと 」

「 私(わたくし)も居りまする 」

「 美春 」

「 我らも まだ遣れまする 」

  漕ぎ手組が声を揃えた

「 わっ 我らを 忘れては居らぬか … 一圭 」

「 すっ 鈴乃介っ 」

「 わっ 我ら 座して死を待たぬ … 一矢報いて果てるのみ

  みつ 見事に 散り花咲かせてみせる 」

「 茂平っ 」

  刀を杖に 大きく窪んだ眼がずらりと列を為す

「 ふっ 何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も … 一圭 備えよ 」

  宏実の声を待つ迄も無く 既に舵手組が一圭の指示の下甲板を外して盾

 とし 曲がりなりにも砦の体裁は整った

「 ほおうっ … 遣る積もりか 

  中々骨の有る奴らの様だな … 遣れるのはざっと四 五十 というと

 ころか噛ませには持って来いの数よ 生かしはせぬがな のう茂木 」

「 御待ち下され義植(よしたね)様 」

「 何だ 何時もの御主ならば 兵を鍛えるならば実戦あるのみと既に仕掛

 けて居ろうに 久方振りの海からの獲物ぞ 今日に限り何故止める 」

「 幽鬼の如きあの者ら 義植様の申される通り何時もならば手頃な獲物で

 ござる なれどあの者らの気組み落ちては居りませぬ 殺れましょうが 

  我が方も其れなりの犠牲は覚悟せねばなりますまい 」

「 … 仕合えば 我が方の損害 如何ばかりと看る 」

「 一人一殺で参るは必至 六十 いや 七十は下りますまい 」

「 真逆 」

「 ならば御好きに為され 

  義植様 其れがしが下る者の中に入らぬ様祈うて下され では 」

「 待て ならば如何にせよと言うのだ 」

「 取り引き為されませ 」

「 取り引き … あの者らとか …

  既に利は我らに有るものを 今更何を売り何を買う 」

「 恩を売りあの者らの腕を買いまする

  残りの者らの命を保つ事で其の証しと為されませ」

「 女御もか 」

「 成りませぬ 」

「 … 茂木 … もしや御主 奴らの素性を存知て居るのか 」

「 … やも知れぬ程には 想うて居リますが 」

「 奴ら 何者なのだ 」

「 其れを確かめる為にも 此度ばかりは其れがしの言に従うて下され 」

「 ふむ … 御主が其処迄言うのであれば此度は折れてやる

  だが 御主の見立てが違うて居たならば直ぐ様仕掛けよ 」

「 御意のままに 」

「 うむ 兵を退かせよ 」

  はっ と頭(こうべ)を垂れた茂木の皺面(しわづら)に判別出来ぬ笑みが

 薄っすらと浮かぶ

「 むっ 兵を退かせましたぞ 」

  一圭の房髪が左右に揺れる

「 うむ 白旗を結わえた槍を立て居った

  話し合おうと言うて居るのだ 」

「 行かれますか 」

「 無論だ 」

「 罠やもしれませぬ 」

「 虎穴に入らずんば何とやらだ 既に入って居るのも同然だがな 」

「 では其れがしも 」

「 いや 御前は残れ 」

「 しっ 然し 」

「 安ずるな 生きて捕まりはせぬ だが万が一戻らぬ時は 」

「 船に火を放ち 討って出る 」

「 うむ 森の向こう側に大川(雄物川)が流れて居る筈だ

  脇目も振らず一気に駆け抜けよ

  川を渡れば湊安東家の領域だ 奴らとて川を超えて迄追っては来まい

  良いか一圭 茂平と鈴之介へは因果を含め左右に居座(いざ)りの陣

 を敷かせて道を為させよ …

  全滅だけは 避けねば成らぬ … 」

「 … はっ … 」

「 例の事 寝坊助へは伝えたか 」

「 はっ … ですが 」

「 生きて居れば 何時の日か役に立つ日が来るやも知れぬ

  何か目印を決めて措け 」

  言うなり

  蝦夷の火断ちの御刀を背負い様 ざばんと海へ飛び込んだ宏実は

  浅瀬の海の底を方坊の如く這い泳ぎ 船と浜の中程辺りでざばっと水面

 を押し上げ現れ出でた

  早波に足を掬われぬ様用心深く足裏で砂地を弄り歩み 両手で髪を掻き

 上げながら足元に纏わり付く泡波に別れを告げ 大地の有り難味を噛み締

 めつつ 確りとした足取りで乾いた砂を踏み締めて行くのであった   



                             つづく






   

  

  

   

  

 

  

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