御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の二十

        兄組編     其の派     


            秋実     

         

         

  … さ ま … 様 … 実様 … 宏実様 御気を確かに宏実様 」

「 … いっ 一圭 … おっ 俺は どうしたのだ … 」

「 はい 手の者が申すには 溜まり水が抜けた途端に倒れられた との事

 でございます 

  汚水にまみれた御身体は既に浄めてござる 先ずは此れを 」

「 … 此れは 何だ 」

「 其れがしの 股肉でござる 」

「 一圭 」

「 ははっ 介子推の美談は恐らく偽りでござりまするな

  己れの股肉を切り取ってし申ては 大事な御方を御護りする処か己れの

 身さへ危ういものと成り兼ねませぬ

  此れは真鱶[まふか:毛鹿鮫(もうかさめ)]の身を 清い海水に浸したもの

 でござる 獲れ立ては小便臭く無く美味なものでござる 騙されたと思う

 て食して下され 」

  言われるがまま がぶりと噛み付いた鱶肉は 赤身の鉄気(かなけ)の後

 に海水の塩味と桜色の肉の甘味が混じり合い一圭の言葉どうり真に美味な

 ものであった

「 洗い流れた汚れが撒き餌に成りましたか 大小の魚が船の回りに集まり

 出し 其の魚を狙うてか鱶迄もが寄って来ました故鈴之助が槍で三尾突き

 上げたのですが 女御達が此の様な大きな魚は捌いた事がございませぬと

 皆手をこまねいて誰も手を出さずに居た処 彼の御老輩が鱶は骨無き魚故

 苦も無く捌けますると申した故 ならばと茂平が刀を振るうた処すぱりと

 切れましたので後は皮を剥くだけで良うございました 」

  最後の一片をごくりと呑み込み様二の腕で口を拭った宏実は

「 又もや御老輩に助けられたな さっきは礼を言いそびれてし申た

  一圭 御老輩は今何処に 」

「 … 其れが … 既に身体は悪疫に蝕まれて居た様で …

  たった今 息を引き取ってござる 」

「 何と … 綱を伝うあの身のこなし 其の様には見えなかったが …

  流石は秋実様の手の者よ 見倣わねば成るまい 」

「 組内では 一番の若僧であったと言うて居りましたが 此れで秋実様の

 許へ 皆の処へ逝ける 懐かしの良杉丸の船上で死ぬるのは本望じゃと最

 期は笑顔で御逝き為されてござる 

  其の今際の際に 宏実様に御渡し下されと 此れを 」

「 此れは 何だ 」

「 はっ 何でも指南車ならぬ指南魚と申す方位具だ其うで 」

「 方位具 … 」

「 はっ 魚を模した其の木魚の中には棒状の磁石が詰め込まれて居り 水

 に浮かべますれば木魚の口は必ず南を指す其うでござる 」

「 我らが剥き出しのまま用いる方位針と違うて 何とも洒落た物だな 」

「 御老輩も此の洒落物に端から目を付けて居たらしく 最後の御役目を終

 えて船を降りる際記念の品にと船長(ふなおさ)に頼み込んで漸く貰い受け

 以来御守りとして肌身離さず持ち続けて居た物だ其うでござる

  宏実様 御老輩は

  風は穏やかなれど西の風に変わり潮も南から北へ流れて居りますれば

 もはや能登へは戻れませぬ故 舵は下ろさず其のままに爐靴〞の陣を組

 み櫓を漕いでは休み漕いでは休みを繰り返し ひたすら北東を目指して漕

 ぎ進みますれば必ずや大川(雄物川)が流れ出る土崎の湊へ行き着きまする

  なれど湊の南隣りは由利郡 間違うても其方の浜へ船を寄せては成りま

 せぬ と申して居りましたが 申し訳ござりませぬ肝心の爐靴〞の陣と

 は如何なるものか聞きそびれてし申たでござる 」

「 … 爐靴〞の陣 … 」

「 御存知で 」

「 うむ 爐靴〞は品だ

  一圭 折れた帆柱や外れた甲板を使うて品の字の如く 此の良杉丸の船

 体が一つ抜きん出る様三船をしっかりと繋ぎ止めよ 其れが終えたならば

 亡骸は良鷹丸へ病者の方々は良馬丸へ御移し致し健常な者のみを良杉丸へ

 集め措け 」

  はっ と立ち欠けた一圭は膝を付き直し

「 宏実様 終わりましたならば声を掛けまする 

  其れ迄御身体を休めて居て下され 」

  言うなり 踵を返した其の脚は垣立ての上縁(うわべり)を蹴り様高く跳

 び 羚羊(かもしか)の如き美腿(びたい)は靱(しなや)かに伸びて宙を翔け

 陽に照らされて逞しく盛り上がる肉の影も美しい其の背に 大きく波打つ

 紅葉色の房髪がふわりと垂れ落ちる間に一圭は隣船の人と成る

  宏実は 鱶肉を浸して居た桶の上縁(うわぶち)に方位を刻み 指南魚を

 浮かべて暫し眺めて居たのだが

⦅ … 波は穏やかであるのに 桶の中は此の揺れか … ⦆

  ふむと思い直した宏実は 桶を抱えて櫓の屋根へ登り 船柄に桶を吊り

 下げ 其の軸に背を凭(もた)れ掛け乍ら腰を下ろす

  其れを待って居たかの様に

「 宏実様 介子推様からの御届け物でございます 」

  一圭の手の者が 安物の湯飲み茶碗と縁が欠けては居るものの珠洲焼き

 と一目で判る片口鉢を宏実の右脇へそっと差し出し 足早に持ち場に戻っ

 て行った

⦅ … 御酒が残って居たのか ⦆

  湯飲みを口にした宏実は透かさず紅葉色の房髪を目で追う 追われた房

 髪の主はにやりと笑みをくれて寄越し 再び垣立ての上縁(うわべり)を蹴

 って宙を翔け美背(きょうはい)を宏実に向けて良鷹丸へ跳び移る

  湯飲みの御酒が五臓六腑に染み渡り漸く人心地付いた宏実は 筵の列の

 傍らに横になり目を瞑る

⦅ … 今見たのは 夢であったのか …

  義総様が予見為された通り あの翌年[大永七年(1,527年)] 秋実様ら

 が土崎の湊へ付いて間も無く戦が始まった …

  秋実様の助勢願いを当然の如く受け入れた湊安東家は 御手並み拝見と

 ばかりに先鋒の一勢に加えたのだ …

  戦は分けたものの 秋実様率いる弟組の目覚ましい活躍振りに両安東家

 は畠山家との交易を復したばかりか 小坂村へ出張り所を設ける事吝かで

 無しと心良く了承してくれたのだが 其れは比内浅利家の強い要望でもあ

 ったのだ

  当時の鹿角の地は其の殆どを南部家に押さえられ 浅利家は小坂村を含

 む北部の数村を手にして居たに過ぎず 西の比内の地を除く三方を南部家

 に囲まれ乍ら多兵を配せぬ北鹿角の守りは脆弱其のものであり 安東家の

 指揮の下共に戸沢家と戦った御影弟組の力量を思い知る浅利家の当主浅利

 則頼は 此れ幸いと秋実様の申し出を諾了したのだ

  既に廃墟と化して居た一本杉館建て直しの費用も畠山家が持つ事で腹も

 痛まず何より 小坂川と米代川の津料も入り人手も目付を置くだけで済む

 のだ浅利家に取っては願ったり叶ったりな事ではあったのだが …

  変わらぬ北鹿角の守りの危うさも然る事乍ら 小坂川と米代川が交わる

 錦木塚の辺りが南部家との境の地である事に秋実様は危念拭えず 一本杉

 館完健を見ぬ今が機と事もあろうに手の者も伴わず 南部家の本城不来方

 (こずかた)の城へ単身出向いて行かれたとの事 …

  其の様な事 俺には到底真似出来ぬ … ⦆

 疲れた身体に御酒が睡魔を誘い 宏実の脳に再び過去が入り込む


  大永七年(1,527年)

  期せずして 戸沢領へ放って居た戦物見の報せを共和す可く 南部家の

 諸将が一堂に会して居た最中の来訪である

  安東方の先鋒として緒戦を勝利へと導いた訪人率いる強者共が 小坂村

 へ陣取られては喉元に刃を突き付けられたも同じ

「 有無を言わせず斬って棄て 直ぐ様小坂村へ攻め入る可し 」

  居並ぶ将の大半は口を揃えたものの

「 我が南部と易を交わしたいと … 

  一人で参ったと … 

  ほおうっ 面白其うな男だな … 」

「 父上 如何なる男か 私(わたくし)も興味をそそられまする 」

「 うむ … 構わぬ 通せ 」

「 しっ 然しっ 」

「 詰まらぬ男であるならば此の場で斬る 其れで良かろう 」

 南部家の当主南部安信は意想外にも拝謁を許したのである

 陰鬱たる気が漲(みなぎ)る広間へ颯爽と姿を現した訪人が 涼やかな面を

 安信 晴政親子へ向けて平伏した其の刹那

「 此の地の品を求めに参ったなどと戯れ言を申すな 此の痴れ者があっ

  共も伴わずに参ったは 我らの油断を誘い御本城様の御命を奪う積もり

 なのであろうが 其うはさせぬ

 下手に動かば其の首無きものと思い知れっ 」

 南部家の若き重臣浄法寺重政なる者が 行きなり声を荒らげて秋実の口上

 を遮り刀を手に取り様片膝立てた

  連(つら)れて数人の将が咄嗟に脇差しの柄へ手を乗せて身構え 帳台構

 えに潜む武者らの気組みも見る間に高まり緊張が走る

  秋実は張り詰まる重苦しい気を気にも留めぬ素振りで 平伏したまま口

 上を最後迄言い遂げてゆるりと面を上げた

「 … 安信様 並びに晴政様 面と向かわねば言えぬ事もござります故 

 許しを得ず面を上げました事御赦し下されませ 」

  安信は構わぬと小さく頷き 続けよと頷いた分だけ顎をしゃくる

「 其れがし 両安東家並びに浅利の御三家と既に交易の約を為して居りま

 すれば 今此の場で命果て様とも悔いはござらぬ なれど 

  何処の何方か存ぜぬ御方に痴れ者呼ばわりされたまま逝ってし申ては 

 我が主 畠山修理大夫義総様に対し面目立たぬばかりか御先祖様に対しま

 しても彼の世で顔向け出来ませぬ … 故に

  此の首差し上げる前に 何処の何方かの御首(みしるし)は手土産代わり

 に獲らせて頂きまする … 」

「 ぬううっ言わせて措けば図に乗り居っていっ 強がるのも程々にせいっ

  此の首くれてやる積もりなど更々無いが 此の俺と汝(うぬ)の首の重さ

 が同じと思うてか

  痴れ者如きに名乗るなど何とも馬鹿馬鹿しいが 土産も無しに冥土へ逝

 かせる訳にも行くまい 良いか 情と思うて良く聞け 

  我こそは浄法寺修理介重政なり 畠山庄司次郎重忠様が御三男 小次郎

 重慶(しげのり)様を祖とする家柄だ 能登の畠山家の臣などと どうせ偽

 りで有ろうが真の畠山の血を引く此の俺の手に掛かり彼の世へ逝けるのだ

 有り難く思へ 」

  秋実の肩が小刻みに震え出し 震えは大きな揺れに変わり終には声を上

 げて笑い出す

「 ふんっ 恐ろしさの余り気が触れたか 」

「 気が触れたと … 真逆 真に笑うて居るのでござる 」

「 何だとう 」

「 いやはや 此れが笑わずに居られましょうや … 

  浄法寺殿とやら 今程重慶様が重忠様の御三男と申されましたかな 」

「 言うたがどうした 」

「 はて … 其れがしのとは違いまするな 」

「 何だ 何が違うと申すのだ 」

「 大夫阿闍梨重慶(たいふあじゃりちょうけい)様 … 

  重慶様の事でござりまするが …

  其の重慶様が重忠様の御三男とは片腹痛し 彼の御方は五男の末子でご

 ざる 更に 重慶様は健保元年(1,213年)長沼宗政なる者の手に掛かり御無

 念な御最期を迎え為されて居りますれば 浄法寺家の祖になど成り様筈が

 無いのでござる 」

「 なっ 何っ 此の期に及んで戯れ言を申すなっ 」

「 浄法寺家の真の祖とは 重忠様の大叔父に当たられる高山三郎重遠(しげ

 とう)殿の曾孫 高山次郎三郎重保殿が上野国緑野(みどの)郡浄法寺村へ居

 を移されたのが其の始まりでござる …

  奥州合戦の後 此の陸奥国の糠部(ぬかぶ)郡の一部を給された際 其の

 まま浄法寺を名乗り給地も同じ名にしたのでござる

  其の後 重忠様御謀反との報せに類難を恐れて山の奥深く御避難為され

 て居た大木戸家の給他を奪ったばかりか 重忠様の御一族が滅びて後 謀

 反の疑いが晴れたのを良い事に箔を付ける可く 坂東武者の誉れ高き畠山

 の名を騙ったのであろうが 出自を示す紋が同じ小紋村濃である事も然る

 事乍ら 浄法寺家の初代の御名が重忠様の御嫡男重保様と同名であり其の

 御二人が時を同じくして御亡くなりに成られた事が 名を騙る切っ掛けに

 成ったのでござろう … 浄法寺 … 重政 … 殿 … 」

「 くっ くうううっ ええいっ 黙れ黙れ黙れえいっ 」

  吠えるなり 重政は秋実の背後に仁王立ちに立ち刀を抜いた 

  同時に 帳台構えの襖が音を立てて開き数人の武者が勢い良く躍り出る

 も 九戸信仲 石川高信の両名が座したまま両手を拡げて武者らを制し 

 安信は大きな眼(まなこ)を重政へぎろりと向け様 元の座へ戻れと ぴし

 りと冷たい音を鳴らして扇子を振り 鬱憤遣る方無い体で退(しりぞ)く重

 政とは裏腹に 其の間一度も後ろを振り向く事無く涼やかな面を向け続け

 る秋実の其の姿に 安信は此の男の真を見たのであろう

  閉じた扇子でぴしゃりと膝を打ち畠山家との交易を諾了したのであった

  義総は元より蔵治さへ 真逆南部家と迄も交易の約を交わすなど想うて

 も居らぬ事であったと 随分と驚いた様だが当の秋実は

「 南部家とて 米代川を使える事で此れ迄掛かって居た都迄の費用も日

 数も大幅に削減出来るばかりか 津料を払うても尚余り有る利益が得られ

 るのでござる 更に戦をせぬ事で銭よりも尊い人財を失わずに済むのでご

 ざる 利に聡い主であるならば 諾せぬ筈はござりますまい 」

  涼やかに応えたのであった

  何処か横柄で其れで居て人懐っこく 人を惹き付ける何か不思議なもの

 を御持ちの御方であられたと 秋実を知る者は皆口を揃えて言うて居たの

 だが … 其の秋実は永禄四年(1,561年)の二月享年六十七で身罷られ 翌

 三月に産まれた尊治は 其の日が来る度に秋実様の生まれ変わりよと良く

 言われる羽目に成る

  生涯妻を娶らず 為に子の無い秋実亡き後 御役目に穴は空けられぬと

 蔵治は直ぐ様政治を向かわせたのだが 一人子の政治を何時迄も彼の地へ

 留め置く訳にも行かず 政治の嫡男宏太郎に早目の元服を済ませた蔵治は

 秋実の実の字を授けて宏実を名乗らせ其の機が来るのを待った …

  だが 永禄九年(1,566年)の秋 

  畠山義続 義綱親子は長続連 遊佐続光らに能登を追放され直ぐにも二

 人の後を追いたい蔵治ではあったが

「 もう直に船が戻る 事情を知らぬ護衛の者らを残したまま両御本家様の

 後を追う訳には行かぬ 両御本家様へは我らの真意を御伝えし奸賊共には

 心意を偽り 船が戻り次第護衛の一番組と留守居の二番組と共に一気に能

 登を抜ける … 政治への継ぎは其の後だ 」

  其う決めた蔵治ではあったが … 戻った護衛の組頭は想わぬ事を口に

 した

「 一本杉館 何者かに襲われ落館炎上の上総員討ち死に なれど政治様の

 亡骸は何処にも見当たらず其の生死の行方も知れませぬ 」

  其の凶報に皆言葉を失い 責任を感じたのか一番組は密かに集い 政治

 の生死の行方を探る可く手近にあった船を奪って鯨海へと漕ぎ出したもの

 の 嵐に見舞われ船は敢えなく沈没 一番組は海の藻屑と消え蔵治らは能

 登を抜ける機も失ってしまったのである

  翌々年の永禄十一年(1,568年)

  義続 義綱親子は能登を奪還す可く兵を挙げ蔵治も其れに呼応しようと

 したものの 温井と三宅の兄弟に厳しく張られて動くに動けず運にも見放

 され 義続親子は已む無く撤退 蔵治らが能登を抜ける機は完全に断たれ

 てしまったのである

  以来蔵治ら御影の者らは隠忍自重に徹し再び其の機が来るのを密かに窺

 って居たのであった

  其して天正五年(1,577年)の七月 其の時が来た

  

⦅ … 遊佐と温井の兄弟が長続連を裏切り上杉勢を迎え入れる事を探り知っ

 た爺殿は 其の騒ぎに紛れて春王丸様と共に城を抜ける事を決意し 其の

 旨皆に伝えたのだが …

  何処から 誰が洩らしたのだ … 真逆 義春様 …

  でなければ辻褄が合わぬ 

  やはりあの時 気多大社に籠り尊治を 弟組を待つ可きであったか …

  過ぎた事を悔やんでも仕方無し 

  今はする可き事をする迄よ …

  にしても … 

  邪馬台無(やまいむ)様と卑弥呼 … 安日様が同一な人物であろうとは

  流石は義総様 鋭い御方よ

  安日とは 白日の下 祖霊を祀る廟の中で安寧の儀礼を行う者の事を言

 うのだ 其して兄の長髄彦(ながすねひこ)様は長い洲の根を治める長(お

 さ) 長い洲とは今の淀川の洲の事だ …

  爺殿も 秋実様も 其して義総様も

  あの頃が一番楽しき時であったろうな … ⦆

  想いつつ 徐に目蓋を開け様とした其の時

「 皆の者 声を合わせよ 櫂を合わせよ 行くぞ せえのっ 」

  茂平の野太い声が響き 

  ばしゃりと水を叩く音の後に 

  開けた目蓋の睫毛が風に揺れ 

  爐靴〞が波を立てた


                          つづく


                         

  


  

  


  

  


   

 


  

  

 



 




  

  


 


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