御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の十

         天 女 と 羽 衣

         てんにょとはごろも




  尊治が天翔けて居た頃

  月も星も見えぬ夜空を肴に

  一人静かに飲る男が居た


⦅ … 困った事に成った …

  望みが叶うたのだ 何も困る事は有るまい

  然し 

  何も此の様な時に

  此の様な時だから此其の申し出と言うて居ったではないか

  しかも 

  継重殿では無うて 加世殿本人から達ての願いと言われては男

 冥利に尽きると言うもの 何を迷う勝明(かつあきら)

  既に受けてし申たのだぞ 良い加減腹をくくれ

  一人酒の夜も今宵限り 今夜はゆるりと飲ると致そう …

  然し 

  雨も止んだというのに 何も見えぬ …

  あの夜と同じと言わぬ迄も せめて一つなりとも

  現れてくれぬかのう … ⦆


  五年前のあの夜

  七尾で激闘が繰り広げられて居た七夕の夜

  暑さに耐え兼ねた勝明は

  こっそり酒を持って余呉の湖(うみ)へ出た

  桟橋に繋がれた小舟に乗り込み

  天を仰いで飲る算段であったが

  其の目論見は見事に当たる


⦅ … 数多瞬く煌めきが群れを為し 帯と成って河を為す …

  神々しいとはあの様に 

  人の手では為し得ぬ美しさを言うのではなかろうか …

  此の美しい夜空の下 今も何処かで人が殺し合うて居るのを

  あの星々はどの様な想いで見て居るのであろうのう …

  父上は 此の野も山も其して海さえも 自(おのずか)らの本性(ほんせい)

 に従い 自(みずか)ら然る可く在るもの 故に人も自(おのずか)らの本性に

 従い自(みず)ら然る可く殺し合うて居るのであろう …

  致し方も無き事よ と申して居られたな  

  今宵は致し方も無いものに想いを馳せるのは止めて措こう

  此の麗しの夜に 一人乾杯だ ⦆

  

  湖面を静掃と流れる湖風が汗ばむ肌に心地良く

  小舟も揺り篭の様に優しく揺れ 

  飲る内に 

  勝明は何時しか眠りの湖(うみ)へと舟を漕ぎ 

  新な朝が幕を開けた其の時 

  水音が鳴った

  重い目蓋を擦りつつ 

  船縁(ふなべり)から顔を出した勝明は思わず息を呑む

  

⦅ … てっ 天女が舞い降りて居る … ⦆

  枝に掛かる今様色(いまよういろ)の小袖と 其れを縁取るかの如く風に

 棚引く浅葱色の帯を背に 濡羽色の髪をすき乍ら湖水と戯れる天女の肌は

 月白(げっぱく)の如く際立ち 森の緑も彩り豊かに色を添え其の一景は美

 麗な絵画へと昇華し感動の余り小舟は大きく揺れて水が音を為し 天女の

 悲鳴が上がる

  月白の肌は小袖の色に負けぬ程見る見る紅く染まり 小袖を胸へ当てて

 駆け出す天女の姿に閉じる事を忘れて居た勝明の目蓋が力無く閉じ 天女

 が残して行った浅葱色の帯が 羽衣の如く空しく風に揺れて居た

  其の後 勝明の前に天女は姿を現す事は無く兄組を迎えに行く可く弟組

 出張るの命に 勝明は余呉を後にしたのであった


⦅  あれから五年 諦めて居た俺の宝が 思いも掛けず此の手に飛び込んで

  来てくれたのだ 

   此れも生きて居れば此其の妙と言うもの …

   俺はもはや一人では無いのだ 加世殿の為にも俺は死なぬ

   此度の戦 如何に困難を極め様とも 必ずや生きて戻ってみせる ⦆

  

  金丁を為した其の夕 

  続重と加世が尊治の部屋を訪れ

「 形だけで良いのだ どうか加世の願いを叶えてくれぬか 」

  端から其の積もりの尊治には断る理由も無く 翌日急遽 勝明と加世

 の祝言と成ったのである

  弟組が総員揃う日は今日を措いて他には無く 急ぎの事でもあり賄い

 方が間に合わず 時間の許す限り加世も手を貸す事と成ったのであった


  早速菊花が摺り寄り 根掘り葉掘りと尋ね出す

「 何故(なにゆえ)天野様なのでござりまする

  加世様程に美しい御方ならば 引く手数多でござりましょうに

  弟組の中にも まだまだ良い男は居りまするぞ 」

「 良い男とは 小虎殿の事でござりましょ 」

「 尼和様 其れは違いまする

  小虎があたいに気が有るのでござりまする 」

「 加世殿 菊花の失礼な物言い 御赦し下さりませ 」

  其う声を掛けた香梅の目元は 未だ薄(うっ)らと赤味を帯びて居る

「 良いのです香梅殿 何故かと問われましても 此ればかりは私と勝明

 様の運命(さだめ)としか御応え出来ませぬ 」

「 加世様 其の運命とは 何なのでござりまする 」

「 幼き頃 勝明様は父上様と七尾の我が館を御訪ね下さる度に 何時も

 私の遊びの相手をして下さり 私も其の様な勝明様が大好きでごさいま

 した … … そう あれは勝明様が十二の御歳 私は十の春を迎えた

 年の事

  勝明様が珍しく御一人で御見えになられ 真逆能登を離れる事を告げ

 に参られたとも知らぬ私は一日中遊んで頂けるものと 嬉しさの余り

 勝明様目掛けて駆け出したのですが … 

  私(わたくし) 何かに躓(つまず)いてしまい危うく転び其うに成る処を

 勝明様がしゃがみ乍ら手を広げて私を受け止めて下されたのでごさいます

  其の拍子に … … 」

「 … 其の … 拍子に … 」

  首を傾げて加世の顔を覗き込む菊花の唇がにいっと横へ伸び

「 … 勝明様の唇が 私の唇に … 触れたのでごさいます 」

  菊花と尼和は 互いの目と目が触れる程顔を見合わせ 必死に笑いを

 堪えて居たのだが

「 勝明様は申されました

  加世殿 此の責任は取る

  勝太郎 必ずや加世殿を嫁として迎えに参る と … 

  其れからと言うもの 其の日が来ますのをひたすら待って居たのです

 が … 一向に其の気配も無く … 」

「 其れで五年前 此の御館に来られたのでござりまするか 」

「 はい 上杉方が攻めて来る日も近いと 

  父上の進めもごさいましたので 」

「 其の御気持ち 良おおく 解ります 」

  尼和が同意を口にするも

「 其う申しますれば 尼和様も唇を奪われた責任を取って下されと 押し

 掛けて来られましたなあ 」

「 あっ あれは … 今だから申し上げますが

  何時迄も煮えきらぬ万亀丸殿を其の気にさせる可く 私から奪ってやっ

 たのでごさいます 

  其れを 女御(おなご)から奪われたとあっては面目が立たぬ

  俺から奪った事にしてくれと …

  全く 弟組の殿方は奥手に過ぎまする 」

「 … 私も其の気に成って頂く可く 此の御館に参りました年の夏に一度

 だけ策を用いたのですが … 若い女御(おなご)の浅知恵だったのでござ

 いましょう いざと成った其の時 私に意気地が無かった様で …

  端無(はしたな)い女御と思われてし申たやも知れませぬ … 」

「 五年前の夏 … 確か … 水を浴びて居る処を村の若い衆に覗き見され

 たと 小袖一枚羽織っただけで帯も締めずに御戻りになられた事がござい

 ましたなあ 」

「 菊花殿の記憶の良さには頭が下がります …

  御酒が過ぎたのかなかなか目を覚まして頂けず 待つ内に気が萎え始め

 勝明様と目が合うた時にはすっかり怖じ気付いてし申たのでございます

  御陰様にて長の夏風邪を引いてしまい 治りました時には弟組の方々は

 御出張り為された後でごさいました … 」

  菊花と尼和は声に出して笑い出したが 加世は構わず続ける

「 御戻りになられた後もばつが悪い素振りで 真面に目を合わせて下され

 ぬまま五年の月日が去って行ったのでごさいます …

  ああでもしませぬ事には何時までも私を貰うては下されませぬ故 … 」

⦅ … 加世殿も 覚悟為されておいでなのですね …

   此度の戦が生きて再び戻れるかどうか判らぬ戦なのだと …

   故に 生きて居る今 契り合うておきたいと …

   私も 同じ想いでごさいます … ⦆

「 あのう … 」

「 あら作兵衛 何用じゃ 」

「 御取り込みの中 真に申し訳ござりませぬ尼和様

  直ぐ済みます故鍋蓋の寸法を計らせて下さりませ 」

「 鍋の蓋の … 其れは構いませぬが 数は足りて居りますのに 何の為

 じゃ 」

「 はい 昨日尊治様より 木を伐って来てくれと頼まれまして 村の者ら

 の手を借りて作事場へ運び入れた迄は良かったのですが 歳は取りたく無

 いものでござりまするなあ いざ切り出しに掛かろうとしましたならば 

 測った筈の蓋の寸法を忘れてし申たのでごさいます 」

「 作兵衛 尊治様は其れで何を為さると 」

「 はい 何でも手立てを講じるてだてと 」

「 手立てを講じる手立て … はて 何の事でござりましょう 」

  問い顔を向けて来る尼和へ

「 尼和殿 御覧あれ 」

  言うなり 香梅は俎板の上の出刃を取り様 菊花目掛けて打ち込んだ

  かっ と音がし 出刃は菊花が咄嗟に手にした鍋蓋の裏にぐさりと突き

 刺さる

「 … 少々近うござりまするぞ 香梅様 … 」

「 覗き見した罰じゃ 」

「 てだては手盾 あはっ あの尊治様が洒落ましたぞ 」

  尼和のはしゃぐ声に香梅の面にも漸く笑みが戻り

「 あのう 香梅様 手盾成れば御紋を御入れせねばなりませぬな 」

「 入れてくれるのか 」

「 はい 丸に二つ引きで宜しゅうござりまするな 」

「 … いえ … 作兵衛 其方絵心が有りましたな 」

「 はっ はあ 有るかどうかは判りませぬが 長谷川先生が御滞在の折り

 に手解き頂いて以来 其の楽しさに病み付きに成ってし申た様でして 

  今では 何時でも何処でも描ける様 絵筆と紙を肌身離さず持ち歩いて

 居る程でごさいます 」

「 何も高尚なものを望んでは居らぬ

  其れと判れば其れで良いのじゃ 』

「 はい では何を描けば宜しゅうごさいますか 」

「 盾の縁は鋸(のこぎり)の歯の如く三角の形を連ねて縁取って下され

  其して其の中には 角を持ち尾を絡めて見つめ合う二匹の蛇を描いて下

 され 」

「 つっ 角を持つ蛇 此れは又 …

  香梅様 何か掛け軸の様な御手本に成る物はござりませぬか 」

「 手本とな 」

  香梅の困り顔に 菊花の口が横へ伸びた

「 作兵衛 其方 口は固いな 」

「 はい 其れだけが取り柄の男でごさいます 」

「 成らば 良く見りゃれ 」

  言い様 手早く帯を解いた香梅は襟に手を掛け ばっと胸をはだけた

「 なっ 何を為されます香梅様 … こっ 此れは 香梅様 …

  あっ 貴方様は … 」

「 良いな作兵衛 決して他人(ひと)には漏らすまいぞ 」

「 はっ はいっ 決して 決して 」

  作兵衛は其の場に膝を折り深く頭(こうべ)を垂れて後 素早く筆を走ら

 せた

  勝明と加世の祝言は簡素なものではあったが 皆良く食べ良く飲み唄い

 祝った

  翌早朝 鹿島傳助率いる三番組が出立し 日を置いて勝明率いる二番組

 が 続いて女御衆の三人が発ち尊治は広之進の一番組と共に清太郎の荷を

 待って発つ事とし 晦日の前日待ちに待って居た荷箱を開けた尊治の目が

 思わず潤む

  届けられた輪鎖の帷子は滑らかに仕上げられ膝が隠れる程に長く 同じ

 繋ぎ方の頭巾も添えられて居り 別箱には大量の矢と棒手裏がびっしりと

 納められて居たのであった

  翌日 御影の者は皆余呉を離れた

  加世は 尊治らを村境迄送り其の姿が消えても尚一人佇み

⦅ … 私(わたくし)も もはや御影の御身内

   皆様が御戻りに成られる其の日迄 留守は御任せ下さりませ

   今日は 六月三十日 夏越の祓え 生まれ変わりの日でごさいます

   涙を流す日は本日限りと致します故今日だけは 今日だけは

   存分に泣かせて下さりませ … ⦆

  朝陽を浴びた加世の頬を 勝明を見送る時は我慢出来た筈の涙が止めど

 無く流れ 

  淡い紅色で染められた一斤(いっこん)染めの帯を色濃く染めた

                        つづく




   


 



  


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