御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の八

         金 丁 を 為 す

         きんちょうを なす




⦅ … … 手盾か … 其の手があったな … … ⦆

  人の気配に開けた尊治の眼に 

  濡れ縁の奥に佇む女御の影が朧気に映る

「 … 尼和殿か 」

「 はい 雨戸を開けてもよろしゅうございますか 」

  歯切れの良い透き通る声が届く

「 俺が気づく迄 声を掛けずに居ったのか 」

  尼和はごくりと頷きそそくさと雨戸を開け始めた

「 気を遣わしてし申た様だな 」

  とんでもござりませぬと首を振る尼和は 振り向き様其の場に平伏し

「 御願いでございます尊治様 私も … 能登へ … 」

「 万亀丸の身が心配か 」

「 そっ 其うではござりませぬ

  何かと 女手が要り用と想うての事でございます 」

「 父上は 経貞殿は 諾為されたか 」

「 はい 其方はもはや万亀丸殿の妻なれば井口の者に有らず と 」

「 成らぬと言うても 付いて来る積もりなのであろう 」

「 はい では宜しゅうございますね 」

  言い置いて 残りの雨戸を小気味良く開けつつ尼和は奥へと消え 其

 れを見送る尊治の面が 開け放たれた濡れ縁の外へ向く

  東の山の峰が緋色に染まり 闇が薄れ夜が明けようとしている

  篠で編まれた簾の目から日が射し込み 陽射しが扇の様に広がり始め

  雲一つ無く青としか伝え様の無い空が緋色を凌駕し 昨日迄の灰色の

 空と取って代わった

「 … 美しい … 

  青一色の空が

  此れ程美しく想えた事など嘗て在ったであろうか … 」

  小さな感動が思わず口から零れる程真に美しく 其して清しく良く晴

 れた朝と成った

⦅  … 其れ程俺の心は荒んで居る ということか … ⦆

  湖面を吹き撫でる風が客殿迄忍び入り心地良く吹き抜けて行くものの

 蒸し暑さは変わらず 首筋から流れ出た汗が胸元を滴り落ちて行く

  衣擦れの音が近付いて来る

「 何時から居られたのでございます尊治様 

  御約束の刻限には随分と早うござりまするぞ のう香梅様 」

「 張りの者より 尊治様は既に斎戒を済まされたと聞き 桟橋は大変 

 な騒ぎでございましたよ 」

「 御陰様にて あたいと香梅様は庭の水場でゆるりと浴びる事が出来ま

 したし 香梅様の美しい御姿も眺めさせて頂きましたが … 」

「 菊花っ 互いに振り向かぬと約束したではないか 」

「 えへっ 」

  ちろりと舌を出した菊花が脇息(きょうそく)を上座の左へ置き 寄懸

 (よりかかり)は二人で抱えて右に据えた

「 義綱様も御見え下さるのか 」

「 あい 尊治が意を決したのであれば 顔を出さぬ訳には行かぬと 」

「 近頃は食も進んで居りまする …

  元には程遠いものではございますが … 」  

  席を整え終えた二人と入れ違い 此の館の主平(ひら)続重の孫娘加世

 が濡れ縁に膝を揃えた

「 … 尊治様 … 愈々でござりまするか 」

「 うむ 愈々だ 」

「 私(わたくし) 尊治様に是非とも御聞き入れ頂きたき儀がござります

 れば 後程御部屋迄伺わせて頂きます事御許し下さりませ 」

  加世は言うだけ言うと尊治の言を待たずに膝を立てた

⦅ … 加世殿も 愈々意を決したか ⦆

  暫しの静寂の後 尊治の後ろが静かに騒ぎ出し騒がしさが収まった頃

 大殿畠山義続が平続重に誘われて席に着き 其の後ろから香梅と菊花に

 支えられた畠山義綱が腰を下ろし様 寄懸(よりかかり)に身体を預けて

 大きく息を付く 

  義綱の息が整ったのを見計らい

「 両御本家様 御尊顔を拝し恐悦至極にござりまする 」

  尊治に続き 後ろから野太い声が響き渡り 一同ざっと平伏す

「 御影畠山弟組 裃姿での総出の辞儀

  壮観でござりまするな 」

  長年 義続 義綱親子に陰日向無く仕えて来た続重が 扇子で風を送り

 乍ら優しい目を向け 義続は脇息に肘を置く事無く情味有る眼差しで満座

 を見渡し

「 うむ 皆 面を上げよ 」

  皆 面を上げたものの尊治一人が未だ平伏し為に 後ろの者らも慌てて

 平伏し 義綱の口元から白い歯が覗く

  此れが 今生の御別れに成ってしまうやも知れぬと想うと 中々面を上

 げずらい尊治であったが頬や鼻頭 顎の先から汗が滴り 古くはあるが良

 く磨き上げられた板敷にもう一つの湖(うみ)が産まれ様として居る事に見

 兼ねた続重が 身を乗りだし扇子の要の辺りで尊治の肩を二 三度突(つ

 つ)く 其れでも面を上げ様とせぬ尊治の其の様に続重は困り果て困り果て

 た続重の姿を目にする義綱が今度は声に出して笑い出し

  其の笑い声は此処数年来 誰も耳にした事の無い笑い声であり其の声に

 尊治は漸く面を上げた

「 下手な狂言より面白かったぞ尊治 …

  だがのう 儂に元の気を取り戻させ様と致して居る成らば 余計な謀(は

 かりごと)ぞ 儂は近頃すこぶる良い加減なのじゃ

  今程も館を一廻りして来た処での

  早起きはするものじゃな 朝から裸祭りと水祭りを見せて貰うたわ

 はあっはっはっはっ ごっ ごふっ ごっごふっごっ ふっうっ 」

  透かさず香梅が背中をさするものの 菊花が差し出す椀を手にする義綱

 の指は骨が浮き出 肌の色は濃い榛(はしばみ)色と化して居た

⦅ … 何と御労(おいたわ)しい御姿なのだ 

  御身体は義続様の半分も無いではないか

  此れでは 人を遠ざけ為されるのも無理は無い … ⦆

「 … 行くのか 」

  義続の 恰幅の良さは変わらぬものの寄る年波には抗えぬものなのか 

 前にしただけで人を圧する嘗ての迫力は減じて居る様である

「 はっ 温井景隆 三宅長盛の兄弟

  昨年来虎の威を借る狐の如く 上杉の陰に隠れて中々姿を現しませんで

 したが 此度は自ら其の姿を現したのでございます

  此の機を逃しましては 次は無きものと想われまする 」

「 奴ら 石動山に居ると言うのは間違い無いのか 」

「 ござりませぬ 」

「 勢は如何程か 」

「 温井 三宅の兄弟勢凡そ一千 上杉の勢は五百

  衆徒らは逆修講結集を謳い 他国の御山へ散って居る者共を呼び集めて

 居り其の数既に二千 来月には三千に膨れ上がるものと想われ其れに遊佐

 の残党を加えますれば 総勢五千に満たぬ迄も四千五百は下らぬものと推

 察致して居りまする 」

「 前田は今 何故(なにゆえ)攻めぬ 」

「 奴らの為に信長様の弔い合戦に間に合わず 利家殿にしてみますれば

 其の恨み骨髄でござりましょう

  更に 織田家の御継嗣が決まらぬ今 向後何が起きるか予測も付きませ

 ぬ 故に何時何時(いつなんどき)何が起き様とも直ぐ様兵を動かせる様 

 後顧の憂い断つ可く一網打尽を狙うて皆殺しに処す所存と想われまする」

「 … 皆殺し …

  故に 伊賀倫組(みちぐみ)の頭領 服部源心の申し出を諾したのか 」

  何故其れを御存じなのかと 義続の面を窺う尊治の眼に 口を真一文字

 に引き結び垂れた前髪を揺らして俯く菊花の姿が映り込む

「 … 諾致さねば 御山へ忍び入る事出来ませぬ故 … 」

「 此度の戦 其方は何と観る 」

「 戦は水ものと申しますが 前田の勝利に揺るぎはござりませぬ 」

「 真か 」

「 はっ 上杉方は今以上の援を派する余裕も積もりも無く 柴田殿より

 佐久間殿の勢のみの援ではございますが二千五百を約してござる

  其れに 石動山五道の内使える道は荒山道の一本きりでござりますれば

 もはや袋の鼠も同じの奴らに 今の前田勢を相手に生き抜く術はござりま

 せぬ 」

「 … 成らば 其れで良しと致さぬか 」

「 …     …     …    」

「 温井と三宅の兄弟確かに憎い 赦せぬ奴らよ

  善の衆徒らの命も惜しい … だがのう尊治

  儂は其れ以上に其方らの命が惜しいのじゃ

  其方らが遣ろうとして居る事は 火中の栗を拾う処の話では無いのじゃ

 ぞ … のう尊治 考えを直す気はもはや何処にも無いのか 」

  義続の面は苦渋に満ちて居る

  続重同様 尊治の兄 宏実(ひろざね)へ命じた事の顛末を未だに悔いて

 居るのであろう

  其の横で温井の名が出る度に苛立ち露にぎしりと歯噛みし 義綱は骨が

 浮き出た手をぐっと握り締めて居る

「 真に有り難き御言葉なれど 歯車は既に回り始めて居りますれば

  もはや止める事など出来ませぬ 」

「 成らば問う 其れ以前の歯車は何故止めた 」

  一体何の事であろうと 尊治の後ろがざわつき出すも

  義続は構わず続ける

「 蒲生家の四男 

  重郷殿を手に掛けて迄 回して居た歯車を何故止めたのだ 」

  ざわめきがどよめきに変わり どよめく中から原 広之進が声を上げる

「 恐れ乍ら 我ら重郷殿を手に掛けし者は岡野平兵衛殿と石原源八殿の両

 名と聞き及んで居りまするが 」

「 あの二人 確かに腕は立つだが重郷殿に敵う相手と思うてか …

  あの両名 真は見届け役として臨んで居たのだ

  それぞれ 十名の手練れを従えてな 」

「 なっ 成れど何故尊治様が 」

「 重郷殿が自ら望まれた事なのだ 尊治と尋常に立ち合いたいと

  其れで命果つる成らば本望 とな 」

「 皆も存知て在った筈だ

  あのままの重郷殿で居れば 何れ蒲生家に害を為すであろうと …

  信長様の命でもあったのだ断ろうとて断り切れぬ …

  とは申せ尊治 其方には辛い御役目であったなあ … 」

  続重の言葉に 尊治は無言で眼を閉じた

「 … して 回して居た歯車とは 一体何の事でございます続重様 」

  広之進がじりりとにじり寄る

「 其方らが何時迄も蒲生家御預りの身であってはと弟組を丸ごと織田信忠

 殿に召し抱えて頂く可く 大殿から信長様へ申し出て居られたのだ 」

「 広之進 信長様は以前から御影畠山の家伝に興味を示されて居ってな

 何れ其の真偽を確かめる可く信忠殿の名代として其方ら弟組を彼の地へ

  陸奥の国は鹿角郡の小坂村へ派する積もりで居られたのだ 」

「 広之進 信忠様の出羽の介 秋田城の介と続けての御任官は其の意の表

 れであったのだ 」

  続重の言葉に広之進は 元の座に膝を揃えた

「 尊治 重ねて問う 

  真の兄弟の様に育った重郷殿を手に掛けて迄 回して居た歯車を何故止

 めた 其方が諾して居れば 信忠殿は命を落とさずに済んだのやも知れぬ

 のだぞ 」

  濡れ縁から忍び込む影が客殿を侵し始めた

  雲が又空に張り付いたのであろう

  吹き抜ける風が冷やりと湿り気を帯び 

  続重は義続へ風を送る手を止めた

「 両御本家様の恨みは我らの恨み

  我ら両御本家様の臣として其の恨み晴らしとうござる 」

  言うなり 尊治は両手をがばと付き深く頭(こうべ)を垂れた

⦅ … 嘘だ …

  晴らすのは誰の恨みでも無い

  俺の恨みだっ … ⦆

「 良う言うたあっ 尊治っ … ちっ 父上っ わっ 儂はっ

  儂は父上とは違いまするぞうっ 」

  突然 義綱の声が響き渡る

「 義綱様 御身体に障りまする

  どうか御気を御鎮め下さりませ 」

  香梅の優しい声掛けも功を奏さず 痩せ細った身体でよろと立ち上がり

 わなわなと震える枯れ木の如き両拳を固く握り締め 皺にまみれた喉から

 声を枯らして泣き叫ぶ

「 わっ 儂は赦さあぬっ … やっ 奴らは わっ儂の二人の子のみなら

 ず 孫まで手に掛けたのだ

  儂の身体が此の様な身体で無ければ …

  儂一人でも 直ぐ様馬を飛ばして奴らの両首屠って参るものを …

  嗚呼 口惜しや …

  今の儂には 馬に乗る処か一人で歩く事すらままならず

  此の手では 重すぎて弓も引けず刀も持てぬ …

  此の様な儂はもはや人では無い 生きる屍じゃあっ …

  嗚呼 … くっ くううっ … たっ頼む尊治

  わっ 儂の望みは只一つ 温井景隆と三宅長盛の首二つ

  此の眼で見る迄 わっ 儂は 死んでも死にきれぬうっ 

  … … うっうっうっ 嗚呼 … 」

  最後は泣きじゃくり

  始めて目にする義綱の場景に一同息を呑み込む他手立てを知らず 其れ

 に耐えられぬ者は嗚咽を漏らす

  義続とて真は同じ想いなのであろう

  大きな身体故に小さく見えてしまう瞳は涙で溢れ 肩を震わせて咽び泣

 いて居る

「 … 義綱様 …

  我ら御影弟組 必ずや温井景隆 三宅長盛の両首揃えて御前に御披露致

 します事 今此処に御誓い申し上げまする 」

  尊治は 御家に伝わる御神刀 蝦夷の鉄断(かねだ)ちの御刀を手に取り

 様 鐺(こじり)で床をどんと打ち鳴らし抜けば刃(やいば)が己に向く様刀

 を立てた

「 皆の者 我に続け 」

  一同刀を取って床を打ち

  香梅と菊花も取り出した懐刀を顔前で構え

  尊治は幅の広い夏鹿の毛皮仕上げの鞘を左手で支えつつ 毛抜きの形に

 透かされた柄を右手で逆手に握り 平姓畠山の代表紋 村濃紋(むらご)模

 様の鍔(つば)をゆるりと引き上げる

  鎬地(しのぎぢ)から平地(ひらぢ)に掛けて彫り込まれた角を持つ蛇の彫り

 物と美しい刃文が光りを放ち

  皆が整い終えたのを背で察した尊治は 右の手の内を蕨(わらび)の飾り

 を施した柄頭(つかがしら)迄ずらして其れを包み込み

  勢い強く刀を納めた

  力強く 其れで居て典雅な音色が漂い流れ

  其の流れが止まらぬ内に同じ想いの金音(かなね)の色が満ち溢れ

  時を置くこと無く空気に溶けて逝った


  己れの刃を己れへ向けて金丁を為し

  己れの心に刃を仕舞い込む

  事が成就する迄

  如何なる困難にも堪え忍ぶのだ


「 … たっ 尊治 … まっ真だな

  まっ 真に奴らの首を … 首を …くっ くび … 」

  其れ迄踏ん張って居た足が力尽き

  義綱は香梅と菊花に抱えられて奥へと消え

  ぽつりぽつりと降り出した雨は

  涙雨と成る

                         つづく



 

 




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