御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の七

         水 神 流 夷

         みずかみ るい




⦅ … 今宵は眠れぬ 眠れぬ夜は徹す可し … ⦆ 


  濡れ縁から外に出 雨を仰いで沐浴とした尊治は

  新(さら)な衣を身に纏い 己が離れを離れて本館の客殿へと

 向かう

  荒れた脳と心を鎮める為でもあるが 幼い頃から父の顔が大

 殿と瓜二つなのだと聞いて育ち 拝謁の度に父の面影を大殿 

 畠山義続へ重ねて見てきた尊治である

  此の御館を発つ日が今生の御別れと成ってしまうやも知れず

 少しでも御側近くに 少しでも長く侍らせて頂く可く 一人控

 えて待つ事にしたのであった

  客殿に着くなり 気紛れな空(そら)の籠は元の小さな籠へと

 身を縮め 中の小豆も数を減らして疎らとなり終には空(から)

 と鳴る

  残り雨が瓦を伝って流れ 軒から垂れ落ちる雫も次第に間延

 びし やがて無音の夜となった

  闇の客殿に端坐し 眼を開けて居ても闇は闇なのだとそっと

 眼を閉じるも 未だ脳心の乱れは収まらず平静を取り戻すには

 如何にす可きやと思い倦(あぐ)ねた末に 今は亡き祖父蔵治か

 ら 身に心に染み込む程に聞かされた御影の始まりを思い返す

 事とし 尊治の記憶の歯車は再び文治五年へと巻き戻る


  文治五年(1.189年)

  此の年の夏

  源頼朝は奥州の覇者平泉の藤原氏を攻め 当主藤原泰衡は

 代々の郎党であった比内郡贄(にえ)の柵の主 河田次郎に裏切

 られ敢えなく果てた

  此処に 四代に渡り栄華を極めた奥州藤原氏は滅び戦は終わ

 りを告げたのだが 手柄に溢れた将兵の略奪が止まず憂慮を覚

 えた頼朝は 先軍の大将畠山重忠へ其の取り締まりを厳しく命

 じ更に 比内郡の東隣り鹿角郡は小坂村の一本杉なる館を狼藉

 勢に襲われぬ様守備せよと 別命も与えて居たのである

  重忠は 此れも経験と元服を終えたばかりの長男重秀へ騎馬

 五十徒(かち)百五十を授け 其れを補佐する三将を伴わせて小

 坂村へ向かわせたのであった

  紫波郡の陣岡を発った三日目の朝

  重秀は馬首を並べる将の一人 平沢武秋なる武者へ声を掛けた

「 武秋 我らが御守り致す一本杉館の御宝とは 一体如何なる物

 なのであろうか 」

「 其れならば 良く知る者に語って頂きまする

  大木戸(おぎと)殿 此れへ 」

  武秋は新参の将大木戸忠彦へ道を譲り 忠彦は畏まりましたと

 語り出す

 

  和銅六年(713年)

  律令の時代 好字二字の令が発令され上津野(かみつの)の地

 は鹿角(かづの)と成った

  此の地を流れる大きな川が 鹿の角の如く枝状に流れて居る

 からなのだと伝う だが

  京の都人達は 誰も其うは呼ばず狭布(けう)の里 又は希婦

 (けふ)の里と呼んで居た         ※読みは共にきょう

  此の地で織られる布の幅が狭いのが其の由縁であり 其の布

 を織る娘と錦木(にしきぎ)を売り歩く若者との悲恋の地でもある

  其の錦木と狭い布は対を為して歌にも歌われ


  錦木は立てなからにこそ朽ちにけれ

     けふの細布(せばぬの)胸合わじや


  とは 能因法師の歌である

  後の時代 此の悲恋物語りは世阿弥の謡曲錦木として下々の

 間に迄広く知れ渡る事と成るのだか 互いに想い乍らも其の想

 い報われぬ儘此の世を去った二人の残念を歌い謡ったもの成る

 も うたい手の想いとは裏腹に下々の人々の中には 織り幅が

 狭い故に胸で合わぬ布と 解して居た者も少なからず居た様で

 ある

  織り幅が狭いから 細いから胸で合わぬと言うのであれば

 縫い合わせて幅を広げれば済むであろうに …

  古代 高貴な御婦人方が挙って首から肩に掛け左右に垂らし

 て飾りとし 美を競った帛布(はくふ)又は肩巾・領巾(ともにひ

 れ)と呼ばれた布が在った

  狭布の細布(きょうのせばぬの)は其の爐劼〞として尊ばれ

 元来胸で合わせる物では無い

  又 希婦とは高貴な御婦人方を意味し 風を孕み揺れ乍ら美

 しく棚引く優雅な様も然る事乍ら 絹と共に鳥の羽根を織り込

 んで居る処から羽衣とも称されし布なのである

  織り込まれる羽根は鶴 白鳥 朱鷺など白を基色に魔除けの

 為に三角の図柄を連ねた意匠を織り込むものなのだが 織り手

 の意に反し望まれたものは 好みの色に染められた無地のもの

 であった

  奥州藤原氏第二代当主 藤原基衡の名で当代随一の仏師運慶

 宛に狭布の細布二千反を贈ったとの記録が残る

  二人の没年から察すれば 贈り主は次代の藤原秀衡と想われ

 るのだが …

  其の布は真の狭布の細布なのであろうか …

  俄には信じ難いものである

  延喜十五年(915年)

  鹿角郡(ごうり)の北東の山が突如として噴き飛んだ

  太古の昔から幾度も噴火を繰り返す内に何時しか中湖(なかうみ)

 が産まれ 此の後十和田の湖(うみ)と称される十和田火山が大噴

 火を起こしたのである

  大地を揺るがし大音響と共に 真っ赤に燃え盛る泥が地の底か

 ら勢い良く噴き出て流れ 幾つもの村と数え切れない程の無辜(む

 こ)の人々が容赦無く焼かれ呑み込まれて逝った

  燃え盛る泥は五里程流れて川迄達し 川の流れと形を変えて漸

 く止まり 降り注ぐ灰は米の磨ぎ汁を流した様に川を白く濁らせ

 以来 其の川の名は米代川と呼ばれる事と成る

  燃え盛る泥が川の流れを変えた辺りから北へ二里の地に小坂村

 は在る

  小坂村は東の山々が堤と成って燃え盛る泥を防ぎ 此の地を治

 めて居た当時の長(おさ)は 生き残った織り手を一本の大きな杉

 の木が目印の館へあつめて保護し織り手の育成に努め様としたも

 のの 降灰に拠る飢餓に追い討ちを掛けられ冬の訪れと共に其の

 殆どの者が命を支え切れず 春を迎える頃には皆無と成り此れ以

 降都への布の供給も途絶えたのであった

  尤も 此の頃には高貴な御婦人方の装いも様変わりして久しく

 狭布の細布は保持する事で己の出自の高さを示す証の一つとされ

 輿入れの際其の母が新(さら)な布を持たせて送り出す事が慣わし

 と成って居たのだが 布の供給が途絶えたまま代を重ねて行く内

 に布も霧散し 其の名と悲恋物語りだけが記憶に留められて来た

 のである

  奥州藤原氏が如何に財力を誇ろうとも

  其の技を受け継ぐ者らが集団として存在し 且つ組織されて居

 らねば 二千反もの狭布の細布など贈る事はおろか 織り貯めて

 措く事すら出来ぬ事であろう

  十和田火山の大噴火から運慶への贈年迄凡そ二百五十年が経ち

 都人は元より 奥州藤原氏でさへ狭布の里で織られた布であるな

 ならば 其れで良しと信じて疑わすに居たのではなかろうか …

  だが

  真の狭布の細布は 今日の此の日迄

  間違う事無く

  紡ぎ繋がれて居たのであった


「 … … 此処が其うなのか … 何も見当たらぬが … 」

「 あの 伏せ犬の如き石でござる 」

「 応っ あれか

  地に埋もれたままでは 正しく浮かばれぬ

  鎌倉へ引き上げる前に 我らの手で石を掘り起こし塚を築直

 して祠なりとも建てて進ぜよう 」

「 畏れ乍ら若様 家が釣り合わぬとの事由で二人を死に追いやっ

 てし申たせめてもの償いにと 娘の父が二人の御霊の鎮魂を願

 い祀った塚なるも 人の手で埋めし物は地の神の御遺志に依り

 何人たりとも掘り返しては成らぬとの掟が在るのでござる 」

「 其うか … 童子の教えの中に 郷に入りては郷に従えとの

 教えがあった 真に忍び無いが 重秀は掟に従うと致す 」

「 若様の美しき心根

  必ずや天の二人に届いて居りましょう 」

「 おだて下さるな大木戸殿 」

「 若様 我はもはや畠山の御家の臣なれば

  忠彦 と御呼び下され 」  

「 成らば忠彦 真の若様は鎌倉に居る故

  其方も若様は止めよ 」

「 はっ 仰せの通りに 」

  真顔で返す忠彦へ重秀の清しぃ八重歯が煌と光り 忠彦の面

 も思わず綻ぶ

「 ともあれ 真の狭布の細布とは如何なる物か 早く目にした

 いものよ 」

「 はっはっはっ 重秀様 一本杉館は逃げは致しませぬ

  花輪村を早う発って良うございましたな

  此の爐量召砲△笋り 今は錦木村と名を変えし此の村から

 小坂村はもう目と鼻の先 ゆるりと歩を進めましても昼には着

 きまする

  今頃は 我が愚息が触れて居る頃なれば館の主 流夷殿と織

 り姫に御挨拶して後篤と御覧に入れて差し上げまする 」

「 うむ 楽しみなものじゃ

  成れど 佐(すけ)殿は狭布の細布を如何に為される御積もり

 なのであろうか … 質実を旨とされる御方故 只の土産とも

 想えぬが … 」

「 そっ 其れは 我からは何とも … 」

「 忠彦殿 畠山の御家は何事も腹を晒けて語り合う御家でござ

 る 故に何の遠慮も要り申さぬ

  想うてる事 想うて居る儘に御応え下され 」

  今一人の将 木村剛夫なる武者の言葉に問い目を向ける忠彦

 へ 重秀の若い顎がこくりと頷く

「 はっ では腹蔵無く申し上げまする

  鎌倉殿の御評判 此の奥州は元より京の都にてもすこぶる悪

 いものと聞き及んで居りまするが 九郎殿の横死により其の悪

 評揺ぎの無いものと成りましょう 」

「 其れは佐殿とて百も承知 と申すより悪評など御気に為され

 る様な御方ではござりますまい 」

「 仰せの通り 成れど其れでは望むものを得られぬのでござる 」

「 … 望むもの … 

  天朝様は征夷大将軍の官を授けぬと 」

「 重秀様 鎌倉殿へ歯向かう事無く降った我らとて 征夷と耳

 に致しましては … 」

「 あっ 相済まぬ 其うよな 心穏やか成らぬな 」

「 中には過ぎたる者も出て参るやも知れませぬ 」

「 乱が起きかねぬと … 成る程 …

  佐殿は此れから治める奥州の民の心をおもんばかり 征夷を

 外した大将軍の官を御望みなのだな 」

「 御意 成れど 天朝様は望んでも手に入らぬものがあるのだ

 と言う事を思い知らす可く田村麻呂公の事跡に倣い飽く迄征夷

 大将軍の官を と …

  決して引きのく事はござりますまい … 」

「 … 成る程 … 

  察するに 佐殿は狭布の細布を御公家の 其れも奥の方を取

 り込む駒の一つに為される御積もりなのだな 」

「 左様 悪評の元は女御の口でござる

  先ずは其の元を断たねば成りませぬ故 」

「 成れど 織り手が其の姫一人では幾ら何でも賄えぬで有ろう 」

「 其れで良いのでござる

  賄えぬから此其狭布の細布は希布であり 其れを手に入れた

 御方が真の希婦と成るのでござる 」

「 狭布の細布は希布であり 故に希婦と成る 成る程

  忠彦 一本杉館の御宝とは其の織り姫なのだな 」

「 御意 」

「 うむ 得心が行った 折角だ皆の者 共に詣ろう 」

  言うなり ひらりと馬を下りた重秀は さらりさらりと秋草

 を押し分け ぽつりと突き出た石前に跪きそっと手を合わせた

⦅ … 忠彦は 掘り返しては成らぬとのみ言うて居った

 … やはり 祠は建てて進ぜよう … ⦆ 

  沈黙の時が暫し流れ 重秀は其の乾いた唇を忠彦へ向け

「 忠彦 泰衡殿は伊達(いだて)小次郎と自称為されて居たと 

 聞く 其方は伊達の出 何か関わりが御有りか 」

「 はっ 泰衡様が元服の折り 御父上の秀衡様から

  天朝方の軍勢と一戦交えねば成らぬ時 其方は如何にして

 戦う と問われた事がござる 其の問いに対し泰衡様は

  伊達の阿津賀志山から大隈川(現阿武隈川)迄塁を築き 其処

 で迎え撃ちますると御応えに成られ 透かさずぽんと膝を御打

 ちに成られた秀衡様は 良くぞ申した泰衡 伊達は其方にくれ

 て遣わす想うが儘にせよ と仰せられたのでござる 」

「 其れがあの長大な防塁 

  築いたのは其方であろう 故に大木戸と 」

「 はっ 成れど 絵図を描きましたは流夷殿でござる 」

「 其う申さば 

  阿津賀志山の西に小坂なる村がございましたぞ 」

「 真か武秋 」

「 はっ 我が勢 其の村の東の峠から攻め入りました故 間違

 いござらぬ 」

「 武秋殿 あの村は塁を築く際 屯す可く流夷殿が拓いた地で

 ござる 流夷殿が居を構えるのであれば其処は小坂村と 誰と

 も無く其う呼ぶ様に成ったのでござる

  尤も 当の流夷殿は少々不満気でございましたがな 」

「 何故か 」

「 其の昔 小坂村は黄色い砂の処で黄砂処(こさか)と称して居

 りましたので 」

「 黄色い砂 … 金か 」

「 左様でござる 阿津賀志山の小坂村は 金のきの字も出ま

 せぬ故 」

「 しかし乍ら忠彦殿 二重の堀に三重の土塁を築くなど 正に

 鉄壁の防塁 真に手を焼きましたぞ 」

「 御言葉乍ら剛夫殿 流夷殿は攻塁と呼んで居たのでござる 」

「 攻塁 … 」

「 はい 攻め来る軍勢を引き付けるだけ引き付けて 

  油と数多な藁束を浮かべて火を点じ 機を見て堰を切り

  一気に大隈川へ押し流す為の塁でござる 」

「 忠彦殿 此度は何故其の手を使わずに居ったのだ 」

「 武秋殿 其の仕組みを知る者は 我(わ)と流夷殿のみでござ

 りますれば 」

「 むううっ 水攻めと火攻めを同時に仕掛ける仕組みか 

  正に攻塁 水神流夷 水を自在に操る男と聞いては居たが

 如何なる御仁か 早く会うて見たいわい のう武秋 」

「 うむ … すがる藁さえ燃えて掴めぬ …

  あの水量を諸に喰ろうては一溜りもなかったな …

  俺も早く会うて見たいが 慌てる事は無い

  忠彦殿の申す通りゆるりと参ろう 」

  二将が言葉を交わして居る間に 既に川辺に下りて乾いた

 唇を潤した重秀は 土手に腰を下ろし様足を投げ出し辺りを

 ぐるりと眺め見る

  何とも長閑(のどか)な地である

  北から小坂川が東から大湯川が先ず交じり合い 暫し流れ

 て南から流れ来る米代川と合わさり 重秀の目の前で大きな

 弧を描き西へ向かって流れて行く

⦅ … この川の流れ 正に鹿角  

  此処が 燃え盛る泥を断ち切ったと伝う場所か …

  水を神として祭り乍ら其の水を自在に操る男

  水神流夷殿

  父上の申しでを心良く御受け下さるであろうか ⦆

「 御安じ召されますな重秀様 

  流夷殿は鎌倉行きを既に決してござる 」

  言い乍ら 忠彦は重秀の横へ腰を下ろす   

「 真か忠彦 … と言うより 其方は他人(ひと)の心が読める

 のか 」

「 はっはっはっ 真逆 重秀様の不安気な面持ちの事由は其れ

 しかござるまい 」

「 うむ … 鎌倉の地を流れる柏尾川なる川が 大雨が降って

 は溢れ其の度に人々が難して居るのだ

  父上は流夷殿が御承知下されれば 御一族が住まわれる地を

 小坂村と名付けても良いと申されたのだが … 金のきの字も

 採れぬ地では 其の名は御気に召さぬであろうか 」

「 はっはっはっ 既に其の名が在るのだと申されれば其れで良

 うござる … 例の例え通り … 」

「 郷に入りては郷に従え か 」

「 はい 」

「 はははっ 面白い男だな 」

  微笑み合う二人に 川のせせらぐ音が何とも心地良く

  秋晴れの汗ばむ頬に 川風が涼しげに吹き流れ 其れに釣

 られて綻ぶ重秀の口がそろと開く

「 … 忠彦 幾つか問うても良いか 」

「 何なりと 」

「 今来た道を行き進めば一本杉館へ行き着くのであろう 」

「 左様 」

「 其の先の善知鳥(うとう)村の安潟(あんかた)迄は如何程か 」

「 二日乃至(ないし)三日も有れば 」

「 安潟から夷狄(いてき)島迄は 」

「 海の御機嫌が宜しければ半日で渡り切れまする 」

「 半日 … 」

「 はい … 其れが … 何か … 」

「 泰衡殿は 夷狄島で再起を図る可く平泉を落ちたのではなかっ

 たか 」

「 … 其の様に 聞き及んでは居りますが … 」

「 一本杉館から三日乃至四日で夷狄島へ行き着けるのであれば

 何故泰衡殿は此の道を左に折れ比内に向かわれたのであろう 」

「 … そっ 其れは 流夷殿も降ったと知り 避けられたのや

 知れませぬ  … 」

「 其うであろうか … 重秀には其処が何とも腑に落ち…

  重秀の言葉を遮り 蹄の音が迫る 

「 父上っ 父上っ 」

「 保彦っ 大将は重秀様ぞっ

  告げる事が在れば 重秀様へ御伝えせよ 」

「 はっ 重秀様 下馬せぬ無礼何卒御容赦を 」

「 何事か 」

「 一本杉館 襲われて居りまする 」

「 なっ 何とっ 」

「 保彦殿 如何程の勢か 」

「 騎馬 徒 共に我らと同勢なるも 館へ通ずる橋を落としに

 掛かって居り其れを阻止す可く 我が兄秀彦が手の者らと仕掛

 けて居りますものの流石に太刀打ち出来ませぬ 故に方々

  御急ぎ下され 」

  言い終えるなり 馬首を返す保彦へ剛夫が重ねて問う

「 旗は 幟旗は眼に為されたか 」

「 われらを眼にするなり地に伏せ置きましたが 三つ引きの下

 に石の字を印して居りましたぞっ では此れにて後免 」

  問うた剛夫の口が溜め息交じりにぽつりと開く

「 三つ引きの下に石の字とは …

  大住の石田為久殿か … 真逆 あの男が … 」

「 馬鹿を申せ剛夫 為久殿は其の様な男では無いわっ 」

「 他に誰が居る武秋 … あっ 奴らか 」

「 襲いし者らが何処の誰かなどどうでもよい

  我らは 一本杉館を御守りする迄よ 」

「 武秋の申す通り 

  武秋は騎馬を 剛夫は徒を率いて参れ

  行くぞ忠彦 案内せいっ 」

   主従の二人は土埃を巻き上げ乍ら 小坂川の東岸を疾駆し

 毛馬内(けまない)村から大地を抜け 荒谷を過ぎ 小坂村の入

 り口に立つ朱塗りの村門を潜(くぐ)った途端 立ち昇る黒煙が

 二人の眼に飛び込んで来る

「 くっ 急げっ 急ぐのじゃあっ 」

  馬に鞭打ち 駆けに駆け 漸く保彦に追い付いた二人であっ

 たが 橋は既に落ち 触れ組は奮戦虚しく秀彦一人を残し皆

 討ち取られて居た

  秀彦が保彦と渡河場所を探しあぐねて居る間に 騎馬組が

 ぞくぞく集まり来るも 対岸でせせら笑う将兵の声に重秀は

 ぎりりと歯噛みし

「 いざ参る 」

  口にするなり ざぶりと川へ乗り行った

  重秀を失うては重忠に合わせる顔は無しと二将は透かさず

 後を追い 他の者らも遅れてはならじと馬腹を蹴る

  騎馬の勢いに気圧された岸兵は 四十間程退いて槍衾を敷

 き 弓兵を背に騎馬に備える

  二将は今にも飛び出し兼ねぬ重秀へ 馬を寄せて挟み込み

 岸を制した騎馬共は 其の左右に踏みを揃えて指示を待つ

「 良くぞ御自重為されましたな 」

「 武秋 此の重秀 集(すだ)く敵勢に突貫を試みる匹夫之勇

 と想うてか 」

「 はっはっはっ 此れは失敬 … 何か策が御有りの様です

 な … 御指示通り仕掛けます故 策を御聞かせ下され 」

「 うむ … 忠彦 今来た道に多勢が通った跡は無かった

  奴ら 何処から来たのだ 」

「 はっ 比内から雪沢の峠を越えて参ったものと思われまする 」

「 他に道は在るか 」

「 ござりませぬ 」

「 下流には 徒でも渡れる場所は在るか 」

「 ございます … 保彦 」

  忠彦の声掛けを待つ迄も無く 忠彦は踵を返し今出たばかり

 の川へ ざぶりと飛び込んで行った

「 武秋 一斉射を仕掛け様 左へ廻り込み其の道を塞ぐのだ

  塞いだならば押しては引き 引いては押しを繰り返し時を

 稼ぐのじゃ 」

「 奴らに川を背負わせ 剛夫の徒組が到着次第 一気に落と

 し込む 」

「 うむ … 異論は 」

「 ござりませぬ ござりませぬ が … 

  其れ迄 御館が持ちましょうや 」

「 成らば如何にせよと 」

「 重秀様 流夷殿は 既に我らの姿を眼にして居る筈でござる

 故に そろそろかと … 」

「 そろそろ … 打って出ると申すか 忠彦 」

「 むっ … 門が開きましたぞ 重秀様 」

「 さああっ 重秀様 武秋殿 流夷殿の暴れっぷり 

  篤と御覧あれ 」

  館の表門から数騎の騎馬が打って出 重秀の眼は其の先頭を

 切る騎馬へ釘付けと成った

⦅ … 異形の者だ … ⦆

  重秀が心の内で其う呟いたのも無理は無い 

  先頭の者は 波がかった長い髪と首に巻いた魔除けの細い布

 をなびかせ 眼には黥利目(さけるとめ)を 胸には絡み合う龍

 の如き角を持った蛇の入れ墨が乳首を目として向かい合い 背

 には毛抜きの形をした柄の頭に蕨の飾りを施した三振りの巾の

 広い刀を背負い 手綱と矢束を握る左腕には丸い手盾を備え

 右手に持つ爐〞の字に曲がった棒に矢を番えては次々と敵を

 射倒して行く

「 … あの様な射方 初めて眼に致す 」

「 其れがしもでござる … むっ 矢が尽きる 」

  矢が尽き 棒を放り投げた其の手で抜いた刀は 鍔元から反

 り上がる長さ二尺八寸 幅2寸程の幅広の刀で其の幅広の刀が

 ぶんっと風を切る度どかりと首が刎ね飛び 其の迫力に重秀は

 ごくりと意気を呑む

「 … すっ 凄い … 阿修羅の如き御方だ 」

「 真に … 出来うるものならば

  直に仕合うてみたい程の腕前でござる 」

「 … 七人 … 八人 … あっ 何故刀を手放す 」

「 阿津賀志山で戦うた手練れも其うでしたが …

  恐らく 曲がったのでござりましょう

  我らの物とは 鍛え方が違うて居る様ですな 」

「 鎌倉へ戻ったならば 鍛え直して進ぜよう 」

「 其れは良い御考えなれど … 急ぎませんと 」

「 うむ 武秋 策を変える 」

「 はっ 如何様に 」

「 此のまま突っ込む 」

「 はあっはっはっ 流石は重忠様の御子でござる

  其の御言葉 待って居りましたぞ 」

「 四矢連射して後 突貫を開始する … 皆矢を番えよ 」

⦅ … 又手放した 残るは一振り … 猶予は無い ⦆

「 整いましたぞ重秀様 … 御下知の程を 」

  うむと頷く重秀の 高く掲げた右手が勢い良く振り下ろされ

 ざっと唸る矢が槍衾を襲い 透かさず応射を試みる徒弓(かちゆ

 み)を馬弓の矢が二矢 三矢と畳み掛け四矢で沈黙と成った

  いざ参らんと 手綱をぎゅっと握り締めた重秀は

「 皆の者 徒には眼もくれるな

  先ずは騎馬じゃ 騎馬を叩き潰すのじゃあっ 」

  大音声で宣い

「 重秀様の真の初陣ぞうっ 

  重秀様の御為に此度の戦 勝利で飾って御見せ致そうぞうっ

  我と思わん者は重秀様に続けえいっ 

  掛かれいっ 掛かれいっ 」

  満を持して居た騎馬共は 虎乱の陣を敷き始めた前陣を突き

 崩す可く牙を剥いて襲い掛かる

  其の突撃凄まじく 前陣は脆くも崩れ騎馬共は一気に敵陣の

 只中へと雪崩れ込んで行き 集(すだ)く敵勢の中を異形の者目

 指して突進する重秀の前に二騎の騎馬が立ち塞がる

「 … 汝(うぬ)は … 重忠の小倅か

  後一息であったに 邪魔を志腐り居っていっ 」

「 … 汝(なんじ)は … 平子(たいらこ)の石田久猛

  佐殿の命も聞かず 狼藉に走るとは何たる不埒な奴よ

  陣は崩れたのだ 観念せよ 」

「 くっくっくっ 兄上 此の童(わっぱ)

  もはや勝った積もりで居りますぞ 」

「 ふっふっ 汝らを引き込む可く敢えて陣を崩したのだ

  其うとも知らずに突貫を仕掛けて来るとは …

  飛んで火に入る夏の虫とは正に此の事 

  若いとは 恐れを知らぬ生き物よのう 」

「 … 汝は石田為猛 兄弟揃って同じ穴の狢とは 何とも情け

 無し 武家の風上にも置けぬ者らよ

  此の重秀 天に代わりて成敗してくれる 覚悟せよ 」

「 ほざけ童 あの化け物の刀もあと二 三人斬れば曲がる

  畠山の騎馬組と謂えども残るは四十騎 我が勢を以てす

 れば恐るに足らぬ

  跡を残さぬ様ゆるりと押し包み皆殺しにしてくれる

  先ずは汝を血祭りに上げてからだ

  童 先立つ不幸の許しは彼の世で請えっ … 参る 」

  言うなり 

  馬を寄せ来る久猛へ 其うはさせじと忠彦が割って入るも

 俺が相手と為猛が斬り掛かり 久猛相手に果敢に刀を振るう

 重秀であったが 擦れ違い様刀を擦り上げられ もはや此れ

 迄と覚悟を決めた其の刹那 久猛の首がどかりと刎ね飛び

 首の切り口越しに ぎらりと光る黥利目(さけるとめ)が現れ

 出でた

「 ひっ 久猛っ おっ おのれえいっ 

  此の蛮族めえいっ よくも我が弟を 」

  怒りに燃える為猛を迎え撃つ可く 黥利目が曲がった刀を振

 り上げた其の時

「 為猛っ 汝の首は此の武秋が貰ったあっ 」

  吠える成り 横一閃武秋の刀が煌と光り為猛の首はずるりと

 落ちた

  同時に南から鬨の声が上がり 其の機を逃さず館の守兵も打っ

 て出る

  主を失った狼藉勢は算を乱し 我先にと逃げ出そうとしたも

 のの 剛夫の徒組が左右に開いて道を塞ぐ

  三方を塞がれては川へ飛び込む外に手は無く 心の内で三宝

 を唱えた者から次々に飛び込んで行き 川面が饅頭で埋め尽く

 されるや 館に付属する水門ががらと開き忽ちに増す水嵩に生

 き抜く可く 流れ来る蕨へ手を伸ばした途端川は火の川と化し

 饅頭らの願いも虚しく一つ 又一つと火波の中へ沈んで逝った

  触れ組の十騎を失いはしたが 其れ以上の死者を出さずに済

 んだ事に重秀はほっと安堵の息を洩らしたものの 守る可き狭

 布の細布の最後の織り姫は 既に自ら其の命を絶って居たので

 あった

  此の後水神流夷は一族を率いて 鎌倉は粟舟山に程近い小坂

 村と名付けられた村に移り住み柏尾川の治水に従事する事に成

 るのだが 

  十六年後の元久二年(1.205年) 北条家の策謀により畠山一族

 は滅亡の憂き目に遭い 未亡人と成った重忠の妻が足利義純の

 許へ再嫁した其の折り 一人生き残りし水神流夷へ

「 無念の想いを残して逝った畠山一族の御霊を終世弔う可し 」

  と 義純自ら申し渡し水神改め御影畠山を称させたのである

  以後水神流夷は 義純の義と治水の治にあやかり

  御影畠山義治(よしはる)と名乗り

  御影畠山の初代と成ったのであった

                         つづく





  




 


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