御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の壱

       投 矢 の 棒 

       とうや のぼう        



  夏の朝吹く山風が

  東から吹き上がる海風と鎬を削り

  新緑の御山に立ち昇る数多な幟旗を

  美しく色鮮やかにはためかせて居たのも束の間

  久方の青空が西から忍び寄る墨色の雲にじわり

  と覆い尽くされ

  稲妻が天地を走り

  轟音は大気を震わし

  疎らに落ち始めた雨を強く激しい姿に変えて降る


  薄暗い緑の回廊を縫う様に駆け抜けて行く二つの

 若い影の一つが 足を止め様傍へ馳せ寄るもう一つ

 の影へ問う

「 小虎っ 何人殺れた 」

「 応っ 二人は殺った

  外に一人は股に打ち込んでし申たが其奴は動けまい

  御前は 万亀丸 」

「 俺も二人だ 」

  問い返しに応じた万亀丸が 人差し指を唇へ当て乍

 ら耳をそばだてて居る間 小虎は泥地に片膝付いて辺

 りを窺う

  万亀丸が案じた通り 雨音に紛れて止まぬ怒声が近

 付いて来る

⦅ 奴ら まだ追って来やがる

 どうやら諦める積もりは無い様だな …

 どうする万亀丸 追っては残り五人 山駈けで小虎に

 勝る者は居ない 小虎を先に行かせ一人踏み留まるか ⦆

「 何を考えて居る万亀丸 

  其の足で五人を相手にする積もりか 」

「 見て居たのか 」

「 見て居る暇など有るものか 眼に入った迄だ 」  

「 俺とした事が 岩苔に足を取られちまうとは …

  小虎っ いっその事此処で奴らを殺るか 」

「 応よ 其の言葉を待って居ったぞ 」

  

  雨足が勢いを増して降る

  正に篠を突く様な雨である

  木々や其の数知れぬ枝葉に降り当たり

  雨の音の外何も聞こえず

  視界も儘成らぬ程に


⦅ 雨殿 姿を隠すには持って来いだが

 ちょんこと降り過ぎぞ ⦆

  想いつつ 万亀丸が左の雑木に身を潜める間に小虎

 は既に 右の藪の中へと赤毛の髪を沈めて居た

  程無く

  頭(かしら)と覚しき武者を頭(あたま)に もはや小川

 と化した岨道の泥水を撥ね散らす音が直ぐ側まで迫る

「 とまれいっ …

  ちっ 雨で足跡が消えた

  おいっ 此のまま道成りで良いのだな 」

「 はっ 他の道は此の処の長雨により所々崩れて居り

 ますれば 里へ出られる道は此の道を措いて外にはご

 ざりませぬ 」

「 里へ出られてはもはや追えぬ 急がねば成らぬが

  おいっ 念の為だ枝を折って措け 遅れるなよ 」

⦅ くっ 枝折りを残すのか 急ぎ殺るしか無いが … ⦆

  万亀丸は 枝葉の隙間から小虎へ眼を向けた

  藪の陰から覗き見る小虎の眼が獣の眼に変じ

  万亀丸の仕掛けを待って居る

  二影は逸る気持ちを抑えつつ 頭(かしら)と雑兵二人

 を遣り過ごし 残る二人が標を示し終える迄息を殺して

 待った

  寸時の後

  頭(あたま)に陣笠 腹に胴丸 背に簑を纏う二人の雑

 兵は前を向いた途端心の臓を射抜かれ 前を行く者らに

 は臨終の叫びも届かぬまま膝から崩れて逝った

  標を有らぬ方へ向け様脱兎の如く駆け出す影らは 瞬

 く間に間を詰めて行き 頭(かしら)の背を追う二頭の陣笠

 がばしゃりと音を立てて前のめりに斃れ込む

  流石に今度は音が届いたか 一人先を行く頭(かしら)は

 振り向き様 腰に手挟(たばさ)む苦無を怪しき辺りへ続け

 て打ち込み

「 出て来い 下郎 」

  吠えるなり すらりと刀を抜き放つ

  飛び魚の如き銀体の飛来に熊笹の群れがざわと騒ぎ 頭

 (かしら)に言われる迄も無く 葉波をがさりと押し上げて

 二影の両首が笹波の上に其の姿を現し同時に 其れ迄激し

 く降って居た雨が小降りとなり頭(かしら)の大きな眼(まな

 こ)は 二十間程先の緑面(みども)に浮かぶ二人の顔をはっ

 きりと見て取った

「 ちっ 餓鬼か 餓鬼共何ぞに殺られるとは …

  小僧ら 何処ぞの者だ 前田の透っ波か 」

  小僧らは其れには応じず不敵にも 右手に持つ矢で肩を

 叩き乍ら頭(かしら)の大きな眼(まなこ)へ眼(がん)を飛ばし

 て返す

 ⦅ 応える筈も無いわな 仕方無し

 一人は生け捕って連れ帰るとするか ⦆

  頭は二 三歩詰め寄って気で圧し 

  刀を一薙ぎさせて正眼に構えた

  其の間に雨は止み 吹き抜ける風が雨水をたっぷりと含

 んだ頭の旗指物をゆらと揺らす

「 青備えの甲冑に白地に留紺(とまりこん)に染め抜いた三

 つ柏紋の旗指物 御主 温井の者だな

  名は 名は何と申す 」

  眼の前の男が温井の者かなど 既に承知の二人であった

 が 男の風貌に思い当たる節を覚えた小虎は思わず 問い

 掛けずには居られなかった

「 ちっ 我が問いには応じぬくせに 何とも手前勝手な餓

 鬼共よ まあ良い 名乗って遣わす

  我は 温井備中守景隆様が臣 熊沢鬼三郎(きさぶろう)だ

  此の峠の物見番頭を務めて居る故 此のまま汝(うぬ)らを

 逃がす訳には行かぬ 」

「 やはり 御主は熊沢鬼三郎か

  色白で目ばかり大きく貧相な顔立ちと聞いては居たが

  成る程 話しに違わぬ真に残念な顔立ちよ のう万亀丸 」

「 真だな … … 熊沢鬼三郎

  御主が此処に居ると言う事は 荒山砦の守将は村島竜三郎

 (たつさぶろう)と言う事に成るが 其れで良いのだな 」

  回廊を吹き抜ける風も穏やかなものとなり

  雫の落ちる音だけが静かに木霊し

  細い眼を 更に細(せば)めた其の眼の奥で

  万亀丸の瞳が鋭く光り

  二人は 露骨な殺気を放ち始めた

「 ほおうっ 既に調べは付いて居る様だのう

  もはや生かして措けぬ

  二人まとめて彼の世とやらへ送って遣る故

  仲良う暮らせ 」

⦅ ちっ 俺の名を聞いても臆さぬとは …

 生け捕るなど無理だな 

 殺らねば … 殺られる … ⦆

  餓鬼共の尋常では無い殺気に覚悟を決めた

 鬼三郎は 構えを八相に変え腰を低く落とし

 つつ右下段の脇構えに変じ じりっじりっと

 間を詰めて行く

⦅ … … 二人共 背に矢は見えぬ と成れば

 残る矢は 共に手に持つ一矢のみ

  時を稼いで挟み撃ちにする手も有るが 餓鬼

 二人を相手に組下の手を借りたと有っては 俺

 の名が廃(すた)る

  奴らとの間は凡そ二十間

  俺は十五間の間が有れば 二本同時に矢を放た

 れ様がかわせる男だ

  組の気組みを引き締める為にも 後詰めを待つ

 迄も無い 一気に片を付けてやる

  弓弦(ゆんづる)を離した時が勝負だ

  さあっ 早く矢を番えよ餓鬼共

  眼にものを見せてくれるわっ ⦆

  鬼三郎は気組みを高め 其の大きな眼(まなこ)

 を餓鬼共が持つ矢へ向けて的を絞り 刀の切っ先

 を上下に揺らし乍ら二間程間を詰めた所で詰め寄

 る足をぴたりと止めた

⦅ … … 奴ら 何をして居るのだ

 … … 何故(なにゆえ)矢を番えぬ 

 … … むっ ゆっ弓はっ 弓は何処だっ

 … … 奴ら 弓を持っては居らぬのか

 … … まっ 真逆(まさか)

 … … こっ 此奴ら … … ⦆

  手持ちの苦無を全て打ち込んでしまった事を悔

 いてももう遅い 鬼三郎の変面を二人が見逃す筈

 も無く 小虎は額に垂れたままの赤い濡れ髪を直

 そうともせず薄ら笑いを浮かべ乍ら爐〞の字に

 曲がった棒へ矢を番えつつ道に出

「 へへっ 俺達が何処ぞの者か漸く判ったらしい

 ぞ 万亀丸 」

「 ふっ 其の様だな 」

  万亀丸も爐〞の字に曲がった棒に矢を番え乍

 ら姿を現し

「 色白殿よ 何処ぞの者かと尋ねたな

  俺達の名を冥土の土産とするが良い

  我が名は 阿部万亀丸 御影(みかげ)の者だ 」

「 同じく 古藤(ふるふじ)小虎

  我ら 御影畠山次郎尊治(たかはる)様に御仕えする者

  万亀丸 今日は六月十五日 月の命日ではないか 」

「 其うだな 此れも偏に此の御山の神の御導きに違い

 無い 借りて居たものを返すのに此れ程相応しい日は

 他に在るまい

  熊沢鬼三郎 地獄で閻魔様が御待ちだ

  覚悟は良いか 」 

  言い終えるなり 二影は地を蹴り   

  一気に間を詰めた其の刹那

  矢羽根が風を切った

  貧相な顔立ちの上唇は膨らんで横へ伸び

  大きな眼(まなこ)は今にも飛び出さんばか

 りに 更に大きく見開いて額も寄る

  其の面は もはや為す術も無く己の死を感

 じ取り 其の淵へ追い落とされる事を悟った

 面となった

  十間の距離である

  二人が打ち損じる筈も無く 二人が放った二

 本の矢は 鬼三郎が振り上げた両腕を擦り付け

 喉の手前で交差し 首をずぶりと貫いた

  青備えの甲冑は がしゃりと音を立てて斃れ

  其の飛音は鬼三郎が生の最期に耳にした最後

 の音となった

「 殺ったな 万亀丸 」

「 うむ … 憎い奴だが 俺達の様な下の者に

 殺られたとあっては嘸 無念であろうな 」

「 馬鹿を申せ 

  殺し合うのに上も下も在るものかと 尊治様

 も申されて居られたではないか

  其れより 足の具合はどうだ 」

「 大事無い 案ずるなまだまだ走れる 」

  後ろから風に乗り 人の声が微か乍ら耳に入っ

 て来はじめた 今度は多勢の様である

  爐〞の字に曲がった棒を口に咥えて矢を抜

 こうとする小虎へ 万亀丸は首を横へ振る

  良いのかと問い顔を向けるも

  直ぐ様此の場を立ち去る可しとする万亀丸の

 意を察した小虎は執着せず 止めた其の手で棒

 を腰に差し戻し既に駆け出して居る万亀丸の後

 を追った

⦅ 急ぎ御報せ致さねば

 尊治様の御推察通り奴らが荒山を固めて居った

 此れで 温井と三宅の兄弟が 石動山に居るの

 は間違い無い … と成れば 今や其の僕(しも

 べ)と成りし彼の御方も居られる筈

  足は痛むが何の此れしき 兎も角急ごう

  余呉へ ⦆

  雲の隙間から差し込む陽が木洩れ日と成り

  未だ濡れて乾かぬ木の葉に照り返り

  目映い光りの輪となって二人を誘(いざな)う

  山を抜け

  共に見上げた空の彼方に

  目指す余呉は此処ぞ と

  矢羽根の如き光りの束が

  其の標を為して居た


「 村島様 熊沢様らの亡骸 たった今戻った由(よし)に

 ございます 」

「 陣屋へ運び入れよ 」

  何時又雨が降り出すやも知れず 亡骸が野晒し

 のままでは不憫だと思ったのであろう

  色黒で小柄な男だが 豪胆な武士(もののふ)で

 通る竜三郎(たつさぶろう)には珍しく 大きく窪

 んだ小さな眼の奥から光るものが落ちた

  鬼三郎とは若い頃から揃って温井景隆に仕え

 温井の双三郎と称される程 景隆の信任厚い二人

 であった

  御役の立場を超えて互いに唯一の友であり

 五年前 天正五年(1,577年)の九月十五日七尾

 城に於ける裏切りの戦(いくさ)の陣頭に立ち

 直接其の指揮を執ったのも此の二人であった

⦅ 此れからと言う時に 御前が居らんでどうする

  … … 其れにしても 御前程の男の最期の

 面が此れか … 一体 何処の何奴(どやつ)に殺

 られたと言うのだ 怯えや恐れ 絶望が一つと

 成って表れて居るではないか …

  只の透っ波などではあるまい … ⦆

  心の内で呟くも 戸板に横たわる鬼三郎の首

 に突き立つ矢を眼にした竜三郎は 解死人(げし

 にん)が何処の何奴であるのか 得心が行った様

 である

  途端に踵を返し 他の亡骸に泥が撥ね飛ぶのも

 意に介さず 未だ恐怖の色が褪めぬのか 黄色い

 歯をがちがちと鳴らし 紫色の唇から青い息を吐

 いて居る兵の戸板迄づかづかと詰め寄り 寄られ

 た兵は手を付こうとするも上手く付けずに横へご

 ろりと転がる

  其の傷から 矢が後ろから射られて居るのは明

 らかであった

  竜三郎は 心の内で舌を鳴らすも しゃがみ込

 み様手を差し伸べにこりと笑みをくれて遣る

「 鵜納 … 曲者は何人であった 」

「 はっ はい ふっ 二人でございました

  わっ 私(わたくし)が一番に見つけ出し直ぐ様

 熊沢様へ御報せしたのですが 其の間に四人が殺

 られてし申たのでございます

  おっ 恐らく前田の透っ波と想われますがとっ

 兎に角すばしっこい奴らでして … 」

「 其うか 前田の透っ波か

  其の足でよくぞ報せてくれたな

  鬼三郎には残念な事であったが 良う生きて

 戻った 傷が癒える迄ゆるりと休むが良い

  ゆるりとな … 」

  陣屋の外へ出た竜三郎は 先程の従卒の名を

 呼び 其の分厚い唇を耳元へ寄せて

「 奴の首を刎ねろ 御前が殺るのだぞ 」

  ははと畏まる従卒の口の端が にこりとほく

 そ笑む

                         つづく




 


       



     

  

 




  



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