御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の二十四

            十狐組

           じっこぐみ 


          

           ✿ 加筆修正中

                 でございます


「 殺りましたか 」

「 一人残らず  」

「 はあっはっはっはっ 此れは痛快 

  宏実殿 憂さをはらされましたな 」

「 笑い事ではござらぬ源心殿

  経緯はどうあれ 命を助けて措きながら希望の光を見せた処で地獄へ突

 き落とすなど 其れがしには出来ませぬ 」

「 はっはっは 其れ程鬱憤が溜まって居たのでござろう ならば尊治殿

  尊治殿ならば 何と為されます 」

「 大川(雄物川)を越えれば安東方の領域でござる

  皆の身体が癒えた時点で 抜け様と思えば抜けれた筈でござる 」

「 売られた恩といえども 皆様の命を救うて貰うたのは事実でござる

  其れ故宏実殿は 悩み苦しみ迷われたのでござりましょう  

  善き人とは其う云うものでござる 」

「 善き人の迷いが 怒りの増幅に繋がったやも知れませぬ 」

「 宏実殿に取り 助けて貰うた命を助け返す事で 受けた恩を一度無き物

 に致さねば 斬れぬ相手やったやも知れませぬな …

  其の場に居らねば判らぬ事でござる まあ良いではござりませぬか

  其れで 其の後は 」

「 はい 事前に示し合わせた場所で縁者の方々と落ち合い皆無事に安東領

 ヘ入る事が出来申し安東家の主 安東愛季(ちかすえ)殿との拝謁も叶うた

 其の折り 愛季殿から義植の始末真に見事であったと 声を掛けられた其

 うにござる

  更に 側室の椿の方様からは 父の仇を討って下さり感謝の念に堪えぬ

 と迄も 」

「 椿の方様とは 羽根川に討たれた豊島家の娘御で 」

「 前の主は椿の方様の父 清信殿の兄重村と申す御方でございましたが

  大川と土崎湊の津料を巡り安東家ヘ弓弾いたものの敵せず 舅の仁賀保

 安重殿を頼り仁賀保ヘ落ち延びたのでござる

  安東家に付かれた清信殿が跡を継がれたのですが 家が二つに割れた事

 で兵力は半減 」

「 其処を衝かれましたか 」

「 羽根川の城から豊島の城迄凡そ二里 清信殿が其の間を流れる大川の巡

 察に出向いた処を襲われた其うにござる

  重村殿 清信殿と袂を分かちはしましたが其処は兄弟 情が働いたので

 ござりましょう 清信殿の仇を討つ可く仁賀保安重殿を介して愛季殿と継

 ぎを取られた其うなのですが 愛季殿とて義植を討つ事吝かでは無いもの

 の 一度弓弾いた者に兵を預ける訳にも行かず赤尾津の兄弟に委ねるに到

 ったのでござる

  義植亡き後 羽根川の地を領する事を許された赤尾津九郎光延殿 義植

 の妻を娶り一子金剛丸殿を養子に為され現在(いま)は羽根川を名乗うて居

 る其うでござる

  其の義植の妻子を捕らえた者らの一手が 落ちる羽根川の者らを追って

 居た処 」

「 出食わしましたか 」

「 はい 兄組も息を殺して潜む者らに気付いて居た様ですが

  赤尾津を示す三階菱の紋を眼にした兄上は

  御手柄を横取りし真に申し訳無し 其う赤尾津殿へ御伝へ下されと言い

 残し立ち去った其うにござる

  其の後 帰参が叶うた重村殿 現在は剃髪して入道休心を号し再び豊島

 家の主に成られたのですが … 」

「 如何為された 」

「 はい 其の休心殿の復帰祝いの席にて御酒に酔われた休心殿が兄上の耳

 元で 我が豊島の家は元は畠山でござる と囁いた其うにござる 」

「 南部の浄法寺と同族と 」

「 いえ 租は今から凡そ百五十年程前に武蔵の国から下向して参った

  畠山員慶(かずのり)と申す者也 と 」

「 畠山 員慶 … はて 何処ぞで聞いた事のある様な … 」

「 畠山満慶(みつのり)様の御三男三郎員慶様と同じ名でござる 」

「 思い出しましたぞ 確か … 五代将軍足利義員様の願いを叶える可く

 幻の金山を探しに行かれたまま行方知れずに成られた御方 」

「 時も応永三十一年(1424年)と符合し あの折りは陸路で向かわれた

 故一度関東へ下ってござる 詰まり 」

「 武蔵の国から下向して参った と 」

「 はい 」

「 成るほど で 宏実殿らは豊島家の臣に成られたので 」

「 いえ 休心殿とて確証無き家伝故望んでは居らぬとの事

  望まれたとて愛季殿が許す筈もござりますまい …

  実は源心殿 休心殿は確証無き家伝と申されましたが 

  兄組と死闘を演じる事に成る浅利家の十狐組 我らと同じ投矢の棒を使

 うて居たとの事でござる

  大叔父の秋実様は 浅利則頼殿と親しくして居られた故秋実様が伝えた

 やも知れませぬが 

  員慶様が奧州へ向かわれた際 我が御影の家から勝治様と申す御方が付

 き従うて居り 十狐組の頭領大葛兵庫なる者の面立ちが我が祖父蔵治様に

 瓜二つとの事 …

  其の者 勝治様の血を引いて居るのは間違い無いのやも知れませぬ 」

「 宏実殿に取っては 嘸かし遣りづらい相手でございましたな …

  なれど尊治殿  其の大葛兵庫なる者の面立ちが蔵治殿に似ているので

 あれば 秋実殿や政治殿が気付かぬ筈はござるまい 何故能登へ報せて来

 ぬのでござる 

  豊島家の事とて元は畠山と知って居たやも知れませぬぞ 」

「 察しまするに 員慶様らが彼の地へ着かれて間もなく足利義員様 

  お亡くなりに成られて居られまする

  急な事とは申せ 御役を果たせぬままどの面下げて帰られ様かと

  彼の地に残る意を固められたやも知れませぬ

  打ち続く戦乱の世なれば



   


     

   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の二十三

          兄組編  其の部

          

            幻の大曲城


             ✿ 加筆修正中

               でございます



「 正に那魔樊化(なまはんげ)だな

  あ奴が頭領か 俺と歳は変わらぬ様に見えるが 」

  義植の言葉が聞こえたのか聞こえぬのか 我れ関せずとばかりに皺に囲

 まれた皺だらけの唇が大きく開く

「 其処で止まれえいっ

  我は此の地の主 羽根川修理大夫小太郎義植様が臣

  茂木因幡頭一郎兵衛と申す者也

  御主らは何者で 何処より来たりて何処へ行く

  船を砦に 我らに害を為す積もりであるならば 容赦はせぬ 」

  宣う間 皺に埋もれた茂木の瞳は 宏実の肩から突き出た刀の柄をじっ

 と見詰めて居る

❨  砦の如き船が近付いて居りますると 報せを受けた時は真逆と想うたが

  … あの 毛抜きの形をした柄に蕨の飾りを施した柄頭 …

  間違い無い あの者ら 御影の者だ

  くっくっくっ 真に良き獲物が揚がりよったわ ❩

  茂木は其れと無く 其れと判る笑みを義植へ送り義植の薄い唇がふむ

 と閉じた

「 其れがし 今は亡き能登国守護 畠山修理大夫義慶様が臣  

  御影畠山太郎宏実と申す者でござる 

  義慶様亡き後 能登に見切りを付けた我ら

  加賀にて一向衆と共に織田勢と戦いを繰り返して居りましたが

  織田の一党前田又左衛門並びに佐久間玄蕃頭の共勢と戦うて打ち負け

  縁者共々能登の宮の浦から漕ぎ出したものの乱風と豪雨に見舞われ

  漸く命永らえて此の浜へ到った次第でござる

  船を繋ぎましたは 離れ離れを良しとせぬ苦肉の策なれば 他意はござ

 らぬ … なれど

  一戦交える積もりであるならば 御相手致しまする 」

  宏実は 真に偽りを織り込んだ言葉で宣り返す

「 御影とやら

  一戦交える積もりであるならば とうの昔に仕掛けて居る

  見た処 随分と窶(やつ)れて居る様子 既に水も糧食も尽きて居るの

 でござろう 

  真を申さば 御主らを此れ願う処の良き海の幸と武具を奪い 一人残ら

 ず討ち取る可しと申す者も居るのは事実

  なれど我が主義植様は 何とも不憫也 窮鳥懐に入らば猟師も殺さずの

 例へに倣い 御主らを一人残す事無く助けて遣る可しと仰せられたのだ

  其の御言葉に乗るか乗らぬかは御影殿 其方の腹一つ

  御返答や 如何に 」

  宏実は暫し黙考の後 蝦夷の火断ちの御刀を背から外し 片膝付いた


  羽根川の領域は狭い土地の割に領民の数が多く 自領で養うには限度が

 あった 義植は已む無く他領の富豪を襲う様に成り 山海の賊の如く何時

 しか其れが成業と成る義植が盗賊大名と揶揄される所以である

  義植にも言い分があった

「 何処の守護とて戦に託つけて乱取りを致して居ろうに

  同じ事ではないか 」

  公言して憚らず 又其れを諫める者も居らず諫める処か 皆其の成業に

 味を占めて居た程である 

  だが 守護同士の戦は政(まつりごと)の下に行われるものであり故に

 其の際の略奪品を戦利品と呼ぶのであって何れも何の罪も無い領民が害を

 被る事に変わりは無いものの義植の行いは大義も名分も無い 只の押し込

 み強盗と変わりは無いのである

  其の常軌を逸した行いに政が介在する余地は微塵も無く 在るのは領民

 を養うを盾とした己の欲のみであろう

  義植は 己が腰を下ろした後ろの林の中に建ち並ぶ無人の廃屋を那魔樊

 化(なまはんげ)らに与え 船を解体して改修の材に充てよと申し付けた

  其処は浜田村の滝の下と呼ばれる地 嘗ては漁師が住んで居たのだが 

 不可思議な潮の流れの御陰で船を漕ぎ出せず 漁師らは此の浜を棄て程近

 い下浜へ移り住み 現在(いま)は罠に落ち入る船を見逃さぬ為の監視所と

 成って居たのであった

  身体の癒えた者から 順に狩りに駆り出された御影の者らの腕の確かさ

 に 義植は納得の笑みを浮かべ茂木の皺が深みを増す中 回復をみぬまま

 此の世を去った縁者の数は十を数えた

  当初 百五十は居た縁者が百ニ十迄其の数を減らした事に 宏実の心は

 こんな筈ではと思う気持ちと百ニ十は救えたのだと思う気持ちが入り乱れ

 更に 其の心根を深く抉(えぐ)るが如く

『 宏実よ 其方は真に皆の命を救う可くあの男の申し出を受け入れたのか

  其うではあるまい 御前は其れを口実に己の命を惜しんだのではないの

 か 恩を仇では返せませぬなどと詭弁を申すな

  御前は皆の尊厳を奪った挙げ句悪に魂を売ったのだ 

  信義に厚く正義を尊び 悪を憎むを宗とする御影の家に罪無き者に手を

 掛ける者など要らぬ 今直ぐ刀を棄てよ 』

  祖父 蔵治の声が聞こえて来そうであった

  手の者が宏実へ向ける視線も冷たく感じ 宏実は正と悪の狭間で藻掻き

 苦しみ悩乱の極みに陥った

  其んな最中 義植は以前から眼を付けて居た仙北郡楢岡領小友村の豪農

 方へ押し入ると皆に告げた

  其の豪農は義植の噂を知ってか 一丁四方にも及ぶ構えに堀を巡らし築

 いた土居の上に荊棘の蔓で結んだ生け垣を立て 四隅に建てた櫓を物見と

 備えの要とし 手練の浪人を数十人雇い入れて居たのである

  冬を前にした或る夜 義植は手の者七十名に自ら選び抜いた御影の者十

 一名(宏実以下三組頭と六人の小頭其れに繋ぎ役の一名)を加えた総勢ハ十

 一名を従えて 険しい獣路をひた走り目指す豪農方へ忍び寄った

  軽業師の如き身軽な者が幅二間の堀を跳び 荊棘の生け垣さへも難無く

 跳び越えて敷地の中に忍び入り 内から閂を外して門を開け様義植らは一

 気に押し入った

  御影の者らが櫓を制する間に 武賊らは脇目も振らずに屋敷へ雪崩込む

  義植が兄組を上位の者に限った訳は 本年最後の押し込みを確実なもの

 にすると共に 滝の下に残る者らに指揮する者を置かぬ事が其の理由であ

 り 狩りに出て居る間は美春らを羽根川館へ招き入れ人質として取る事も

 忘れては居なかった

  門を出た宏実らが外の警戒に当たる間も 屋敷内から漏れ出る叫喚が耳

 を劈(つんざ)いては胸を締め付け 追い打ちを掛ける様に繋ぎ役の寝坊助

 が片膝付いた

「 宏実様あの者ら 逃げ惑う家人を斬り付けては逃し逃しては又斬り付け

 老若男女見境無く嬲り殺しにして居りまする … 

  わっ 私はもう堪えられませぬうっ … うっ 」

「 泣くな寝坊助 奴らが来る 」

  告げる宏実らの前を 肩に盗品を担いだ武賊がぞくぞくと門を抜けては

 走り去り 手の者らと共に門を抜けた義植の面は夜目でも判る程朱に染ま

 り 喜々と不気味に光る切れ長の眼を宏実に向けながら上に捲れた上唇が

 唾を飛ばす

「 御苦労であった御影 御陰で大猟じゃあっ

  此れで良い正月が迎えられるわ

  戻ったならば褒美を遣わす

  何時もの様に後ろを任すが 間違うても不覚を取るで無い

  美春殿が悲しむでな だが安ずるな万が一の時には俺の妾(そばめ)にし

 てやる … 其う怖い顔をするなほんの戯れ言よ ふっふっふっ はあっ

 はっはっはっ 」

  義植の姿が闇に消えたと同時に火の手が上がり 騒ぎを聞き付けた近在

 の者が急を告げたのであろう 楢岡家の役人が手の者率いて宏実らの行く

 手を塞ぐ

  御影の者らは心の内で手を合わせ 御免候へと斬り伏せた

  紅蓮に燃え盛る炎に照らされた宏実の頬を 今夜も又涙が一滴滴り落ち

  涙を拭い終えた宏実の面は怒れる鬼の形相へと変じ 長い睫毛に挟まれ

 た瞳に怪しい光りが冷たく宿り 宏実の心の天秤は漸く正義が重きを為し

 其の機は程無く訪れる

  翌年の春 義植の許を由利十二頭の一頭 赤尾津延繁(あかおつのぶし

 げ)の弟九郎光延(みつのぶ)が訪ね来て告げる

「 義植殿 稗貫郡(ひえぬきごうり)の山影勢六千が 雪解けと共に角館を

 攻めて居りまする

  角館の戸沢勢 一族総出で防戦に努めて居り為に大曲の城は手薄でござ

 る … 我らが此の機を逃す手は ござりますまい 」

「 ふむ … して 手筈は 」

「 はい 明くる深夜の丑三つ時 義植殿は大友口から攻め寄せて下され

  我が赤尾津は神宮寺ヘ火を放って後 攻め上がる手筈と致しまする

  事は急を要しますが 刻限迄間に合いましょうや 」

「 御安じ召さるな光延殿 我が羽根川は出陣に時を選ばぬ

  大曲の城迄凡そ十里 未だ昼前 早駆けを得手とする我らでござる

  今から出立致さば十分間に合いまする … が … 」

「 事ならば 我らは神宮寺を 

  城は義植殿ヘ御譲り致しまする 」

  義植は 御待ち為されと止める皺面を振り切り 僅かな兵を残しただけ

 で一千の兵を率いて馬腹を蹴った

❨ … 此れで 夜盗働きともおさらばよ

  もう誰にも盗賊大名などと呼ばせはせぬ … ❩ 

  明くる深夜の丑の刻 大友口に着到を果たした義植は暫しの休憩の後

「 そろそろだな 皆腰を上げよ 」

「 殿っ あれを 」

  神宮寺の辺りが ちらちらと黃赤を帯びて居る

「 ちっ 先を越されたか 赤尾津などに遅れを取っては成らぬ

  城を落とすのは我らぞっ 皆の者 我に続けいっ 

  突撃じゃあっ 掛かれえいっ 掛かれえいっ 」

  羽根川方が総掛かりで攻め立てるも 城方の守りは固く攻め倦ねた義植

 が態勢を整える可く 一旦引けの指図を出した其の刹那

  後方から無数の火矢が羽根川勢の足元に突き刺さり 兵の姿が浮き彫り

 と成る

  間髪を入れず漆黒の空から ざっと音を立てて飛来する矢が雨の様に降

 り注ぎ色めき立ち 浮足立つ兵の不安は次々と的中して逝き 義植は捲く

 れ上がった唇を噛んだがもう遅い

  羽根川勢が攻め倦ねたのも無理は無い 手薄の筈の城には未だ三千の兵

 が詰めて居たのであった

  羽根川勢を押し返し 高みの見物を決め込む城兵のせせら笑う声が怯え

 る将兵の耳を甚振り 振り向いた義植の切れ長の眼に松明に照らされた赤

 尾津家の紋旗が 嘲笑うかの如く揺れて居る

「 何とした事だ此れは … 赤尾津が我らに弓引くとは …

  俺は謀られたのか … 」

「 良し今じゃ 掛かれえいっ 」

  赤尾津延繁の号令一下 昨年義植に主を殺された豊島氏の残党五百を加

 えた総勢五千の兵が一斉に襲い掛かる

「 義植様っ 」

  火矢の外から現れい出た影が声を掛けた

「 応っ 御影 生きて帰ったならば 欲しいだけ褒美をくれて遣る

  たっ頼む 助けてくれいっ 」

  切れ長の眼も薄い唇も小さく波打ち 恐怖の面を向けて縋る 

「 貴方様に命を救われた我ら 今此其御恩を御返し致す時でござる

  我らが道を切り開き囮と成りまする 

  其の間に闇に紛れて御逃げ下され 」

  義植はうんうんと声に成らぬ声を残し一目散に駆け出し闇に紛れた

  一圭の一番組が北側の端に陣を張る前衛を突き崩し 茂平と鈴之介の二

 番三番組が左右に開き鋒矢の陣を取る 逃げ遅れては成らじと薬研の如き

 間に入り込もうとした者らは自然 殿(しんがり)を務める形と成り群がる

 赤蟻の餌食と成って逝った

  東の空が白み始めた頃 命からがら羽根川領に辿り着いた義植であった

 が 付き従って来た手の者は十人に満たぬ有様であった

  木陰に身を寄せ一息付いて居た一行に三十人程の武者が這う這うの体で

 近付いて来る

「 とっ 殿っ 御無事でございましたか 」

「 応っ 汝は茂木の … 其の姿は何とした 」

「 はっ 申し訳ござりませぬ

  赤尾津光延の勢凡そ一千に夜討ちを仕掛けられ城を奪われてし申たので

 ございます 」

「 なっ何っ … して 我が妻子は 茂木は無事か 」

「 はっ 御方様と和子様は茂木様と共に落ちられましたが 途中で逸れ

  其の後の行方が知れませぬ

「 ぬううっ ちっ 畜生っ 」

「 殿っ 何時追手が来るやも知れませぬ

  此処は一先ず 何処ぞへ身を寄せ再起を図られては … 」

  義植はうむと頷き 羽根川領を出た所で生きて帰った者らが次々と列に

 加わり其の数は百を越えた

❨  … まだ遣れる 遣らねば成らぬ赤尾津めえいっ今に見て居れ …

   命在る限り俺は諦めぬ … 諦めて成るものか … ❩

  切れ長の眼に新たな火が点る

「 其うだ 奴らは 御影は 御影の者共はまだ戻らぬか 」

「 … 我らは此処に … 居り申す … 」

  義植の前途を 影が塞ぐ



                           つづく


  

  

   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の二十二

         兄組編     其の保


            盗賊大名


  三日後の昼近く

  ぎこちなく進んで船が

  滑らかに進み始めた途端

  其の進みはがたりと落ちて

  櫓羽根が水面を切る音もぴたりと止み

  一圭の宏実を呼ぶ声が響き渡る


「 一圭 何があった 」

「 わっ 判りませぬ

  突然皆 ばたばたと倒れ出したのでござる 」

  櫓柄にもたれ 息も絶え絶えな茂平が一圭へ歩み寄ろうとした其の刹那

  茂平の足が縺れ もんどり打って倒れ込む

「 茂平っ 」

「 はっ はあっ はあっ … たっ 大した事は無い

  ちょんこと目眩がしただけだ 」

  透かさず抱き抱えた茂平の身体は塩を噴いて熱く火照り

  乾き切った紫色の唇がわなわなと震え 虚ろな眼差しを一圭へ向けたま

 ま首ががくりと落ちた 愕然とする宏実と一圭であったが 共に昨夜から

 異常な迄の喉の乾きと軽い目眩に襲われ続けて居たのであり 悪夢が再び

 幕を開けたのであった 

「 誰かっ 水をっ 水をくれいっ 」

  宏実の声に

  一圭が やはり言うて措かねばと 躊躇いがちに口を開く

「 申し訳ござりませぬ宏実様

  水飲みは我らの指示に従うて下されと あれ程強く念を押して居りまし

 たのに 不覚にも張りの者が寝入ってし申た隙に … 」

「 一圭 我らでさへ難(がた)いのだ 病者の方々にしてみれば耐えられぬ

 乾きであったに違い無い

  張りの者とて 困憊(こんぱい)の極みで居たのだ 誰も責められぬ

  責めては成らぬ 落ち度は全て俺にある 」

「 なれど 残って居た僅かな水も倒れた者らに与えてしまいました故 水

 は一滴も残って居りませぬ

  水無くしては 現在(いま)動ける我らでさへ恐らく三日 … いや二日

 と持ちますまい

  此処は意を決して船を東へ向けてみては如何でございます 」

「 … 止めて措こう … 危険に過ぎる 」

「 ですが此のままでは 」

「 一圭 肌に当たる風が日に日に涼しさを増して居る様に感じぬか 」

「 はっ 言われたみれば … 確かに 」

「 土崎の湊に近付いて居るのは間違い無いのだ

  東へ舵を切るのは最後の手段 其の折りは俺と御前で漕ぎ切る

  其の積もりで居てくれ 」

  言うなり

  宏実は甲板へ出 未だ平伏し続けて居る一圭の手の者へ何事かを囁き

 船尾へと消えた

「 おいっ 寝坊助(ねぼすけ) 宏実様は何を申された 」

  後から出て来た一圭が 片膝付いて問う

「 はっ はい 

  水を … 海水から水を取り出すのだと申され …

  蝋を 集めて参れ と 」

「 何っ 馬鹿な 海水から塩は取り出せても水を取り出すなど … 」

「 何でも 水取りの術の海版だと申され 

  どれ程得られるか判らぬが 試してみる価値はあろうと 」

「 … 水取りの術 … 

  其うか 其の手があったか なれど如何にして 」

  立ち欠けた一圭の膝前に 寝坊助が更に深く平伏し

「 くっ 組頭 昨夜は真に申し訳ござりませぬ

  何時寝入ってし申たやも判らぬなど不覚の極みでござりますれば

  此れ以上生き恥は晒せませぬ故 …

「 おい寝坊助 何をして居る 早く蝋を集めて来ぬか 」

  はっと面を上げた寝坊助の前に 既に一圭の姿は無かった

  宏実の指示の下

  手の者らは月の明かりを頼りに 船尾から運び込んだ樽の中程に一尺

 四方の孔を穿(うが)ち

  樽の底の真ん中に蝋を垂らして固定した 取っての有る桶の中へ丼鉢を

 据え 次いで桶の中程の高さ迄海水を注ぎ予(あらかじ)め煮沸し干して措

 いた薄布を其の中央が丼鉢の真上に成るよう擂り鉢状に緩く張り 仕上げ

 に布の表面に蝋を塗り終えたならば漸く完と成る

  其の夜から

  体力の温存を図る可く 櫓漕ぎは夜の間だけと決めた宏実の命に従い

  手の者らは樽を背に 腰を下ろして櫓漕ぎの番を待ち 一人舳先へ向か

 う宏実は龕灯を綱に吊るして指南魚が泳ぐ桶を照らす

  気も心も呑み込まれ其うな闇の海原を睨み付けながら まんじりともせ

 ぬ夜を過ごし 朝陽が天海の際に姿を現した頃 寝坊助に寝ずの番を命じ

 て手の者らと巣穴へ戻り陽が陰るのを待った

  丼鉢が水で満たされて居たならば 空鉢と入れ替えて措く様に申し付け

 られて居た寝坊助は 陽が天の頂きに胡座を掻き出した頃そろそろ宜しか

 ろうと筵帆からのそのそと這い出し そっと薄布を捲り上げて我が目を疑

 う

❨  なっ 何だ此れは … 此の様な物 今迄見た事が無い … ❩

  我を忘れて樽に齧(かじ)り付き穿った孔へ顔を押し付けたままじっと

 目を凝らす

  数多な水の粒で覆われた 彩り鮮やかな薄布から透けて射す陽の光が

 樽に張った海水の照り返りと相まって綺羅綺羅と輝き 得も言われぬ煌め

 きの世界が其処に在った

  目の前で輝く光りの一粒が まるで生きて居るかの如く隣りの粒を呑み

 込み様じわりと嵩を増し 微かに震えて下側の未熟な粒を巻き込みながら

 其の先で雫と成って滴り待つ粒と出合った途端 一瞬大きく膨らんで左右

 に揺らぎ 皆が待つ鉢の中へぽちりと落ちた

  美しくも何とも儚げな其の様に 心奪われて居た寝坊助は幽(かす)か

 な落音(らくね)にはたと我に返り 恐る恐る伸ばし入れた指の先に光り

 の粒を乗せてそっと舌の先へ誘(いざな)う

  此の摩訶不思議な仕掛けで水が得られなければ 御影の法度を破って迄

 も腹掻っ捌く積もりで居た寝坊助である 

  宏実を信じて居なかった訳では無いものの 果たして真に水が得られる

 ものなのかと 疑って居たのも事実であり 先ず一番に寝坊助自身の目で

 水の有無を確かめさせる為に番を命じてくれた宏実を信じ切れずに居た己

 を恥じた

  陽が陰り 寝坊助が宏実へ差し出した桶は水で満ちて居た

  宏実の目論見通り水は採れたのだ だが宏実の面に笑みは無かった

❨  … 採れた水は此の一桶のみ … 焼け石に水とは此の事か ❩ 

  宏実は 薄布を人数分小さく切り取る様命じて桶を一圭に託し 寝坊助

 へは明日も頼むと告げて舳先へ向かう

  はっ と頭を下げた寝坊助が巣穴の中で深い眠りに就いた頃 二名が息

 を引き取って居りましたと報された宏実は 口に含んだ濡れ布をぎりりと

 噛んだ 昼と夜の寒暖の激しさに 弱り切った身体が付いて行けなかった

 のであろうが 悲劇は尚も続く

  陽が昇り始めた頃 何処に其の様な力が残って居たものか

  私の濡れ布は他の方へと言い残し 事切れた老者の連れ合いが夫の亡き

 骸を抱えてざぶりと海へ飛び込んだ

  同時に 濡れ布など蛇の生殺しじゃ と喚きながら暴れ出す女御の右手

 首と己の左手首を紐で結わえた男が 止める者の脇差しを抜き取り様 御

 免そうらへと海へ転がり落ち 波間に漂う二人の身体から血が滲み出男の

 胸に突き立つ刃が朝陽を浴びて綺羅綺羅と煌めき 宏実はもはや此れ迄今

 夕東へ舵を切ると皆に告げた

  其れを聞いた寝坊助は

❨ あの煌めく世界も 今日で見納めに成ってしまうのか ❩ 

  と 何とも複雑な心持ちのままふと東へ目を向ける

  向けた目の蓋を狭(せば)めて天海の際をためつすがめつ眺め見る

  狭めた目に映る際に違和を感じた寝坊助は とうとう霞み出したかと

  口から取り出した濡れ布で眼元を拭い今一度確(しか)と見切り直す

❨ … ちっ 違う … やはり何かが違う … ❩

  思うなり 立ち上がり様右手を額に翳(かざ)しゆるりと際を眼でなぞる

「 … あっ あれは … りっ 陸かあっ …

  まっ 間違い無いあれは陸だ 陸だ陸だっ 陸だあっ 

  ひっ宏実様 くっ組頭 陸で 陸でござりまするぞうっ 」

  皆が眼を向けた東の彼方に 淡い翠色(すいいろ)が横一線に伸びている

  寝坊助の言う通り 天海の際のぼやけが陸で有る事を確信した御影の者

 らは二手に別れ 一手は漕ぎ場へ向かって櫓柄を握りもう一手は屋倉の屋

 根へ駆け上がり長大な舵柄に手を伸ばす

  然程時を掛けぬ間に 際の翠色は碧色に変じて際は際で無くなりやがて

 緑の色味を増した鮮緑の山並みが顕わと成る

  長く 白く 美しい砂浜がはっきりと見て取れる域に迄船が達した頃

 宏実は 嘗て見た出羽の国の俯瞰図を脳に描きつつ砂浜と平行に進む様指

 示を出す

❨  … あの美しい浜の切れ目が土崎の湊 

   其処には数多な船が群れて居る筈 … ❩

  宏実が逸る心を抑えてぐっと身を乗り出した其の時 船の行く手に泡の

 如き小波が群れ乱れ其の波乱の波原へ船の舳先が切り入った刹那

  船は恐ろしい迄の力で浜へ引き寄せられ波乱に抗う可く 漕ぎ手組は残

 る力を振り絞って漕ぎに漕ぐ

  慌てた舵手組が想わず左へ舵を切った途端 船はくるりと向きを変え

 あっと言う間に沖へ引き戻されて行く

  舵手組の慌て振りは収まらず 力任せに切った舵柄が根本からぼきりと

 折れ船の舳先が浜を向くや又もや凄まじい潮の流れが船を引き込む

  眩しい砂浜が眼近に迫り脱兎の如く船尾へ走った宏実が 碇を海へざぶ

 んと落とし込むやごごごっと鈍い振動が足下に伝わり船は浜の手前で動か

 つぬ物と成る

❨  舵はまだ二つ有る

  此の訳の判らぬ潮の流れを抜けさへすれば

  後は 俺と一圭で漕ぎ切る ❩

  気を取り直し 肩で大きく息を整えつつ甲板へ出た宏実の眼に此の地の

 主の紋が飛び込んで来る

❨ … 大中黒(おおなかぐろ)の一つ引き紋 …

  此の出羽の地で新田(にった)の流れを汲む家は羽根川の家のみ …

  あの森の向こうに 土崎の湊へ通ずる大川(雄物川)が流れて居る筈

  くうっ あと一息であったに … )

  歯噛みする宏実であったが

「 林から躍り出た待ち受け振り

  我らの動きを見越して居た様だな … 凡そ二百 か … 」

「 宏実様 早船が幾艘か漕ぎ出して居りまする 」

  寝坊助の声が響き渡る

「 手慣れたものだ のう一圭 」

「 真に 水も漏らさぬ陣立てでござる … 如何為されます 」

「 うむ 相手は盗賊大名の異名を持つ男なのだ

  此のまま降ったとて 

  武具は奪われ男共は皆殺し婦女子は陵辱を免れぬ 」

「 では … 」

「 何人動ける 」 

「 我らを含め 十名程かと 」

「 私(わたくし)も居りまする 」

「 美春 」

「 我らも まだ遣れまする 」

  漕ぎ手組が声を揃えた

「 わっ 我らを 忘れては居らぬか … 一圭 」

「 すっ 鈴乃介っ 」

「 わっ 我ら 座して死を待たぬ … 一矢報いて果てるのみ

  みつ 見事に 散り花咲かせてみせる 」

「 茂平っ 」

  刀を杖に 大きく窪んだ眼がずらりと列を為す

「 ふっ 何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も … 一圭 備えよ 」

  宏実の声を待つ迄も無く 既に舵手組が一圭の指示の下甲板を外して盾

 とし 曲がりなりにも砦の体裁は整った

「 ほおうっ … 遣る積もりか 

  中々骨の有る奴らの様だな … 遣れるのはざっと四 五十 というと

 ころか噛ませには持って来いの数よ 生かしはせぬがな のう茂木 」

「 御待ち下され義植(よしたね)様 」

「 何だ 何時もの御主ならば 兵を鍛えるならば実戦あるのみと既に仕掛

 けて居ろうに 久方振りの海からの獲物ぞ 今日に限り何故止める 」

「 幽鬼の如きあの者ら 義植様の申される通り何時もならば手頃な獲物で

 ござる なれどあの者らの気組み落ちては居りませぬ 殺れましょうが 

  我が方も其れなりの犠牲は覚悟せねばなりますまい 」

「 … 仕合えば 我が方の損害 如何ばかりと看る 」

「 一人一殺で参るは必至 六十 いや 七十は下りますまい 」

「 真逆 」

「 ならば御好きに為され 

  義植様 其れがしが下る者の中に入らぬ様祈うて下され では 」

「 待て ならば如何にせよと言うのだ 」

「 取り引き為されませ 」

「 取り引き … あの者らとか …

  既に利は我らに有るものを 今更何を売り何を買う 」

「 恩を売りあの者らの腕を買いまする

  残りの者らの命を保つ事で其の証しと為されませ」

「 女御もか 」

「 成りませぬ 」

「 … 茂木 … もしや御主 奴らの素性を存知て居るのか 」

「 … やも知れぬ程には 想うて居リますが 」

「 奴ら 何者なのだ 」

「 其れを確かめる為にも 此度ばかりは其れがしの言に従うて下され 」

「 ふむ … 御主が其処迄言うのであれば此度は折れてやる

  だが 御主の見立てが違うて居たならば直ぐ様仕掛けよ 」

「 御意のままに 」

「 うむ 兵を退かせよ 」

  はっ と頭(こうべ)を垂れた茂木の皺面(しわづら)に判別出来ぬ笑みが

 薄っすらと浮かぶ

「 むっ 兵を退かせましたぞ 」

  一圭の房髪が左右に揺れる

「 うむ 白旗を結わえた槍を立て居った

  話し合おうと言うて居るのだ 」

「 行かれますか 」

「 無論だ 」

「 罠やもしれませぬ 」

「 虎穴に入らずんば何とやらだ 既に入って居るのも同然だがな 」

「 では其れがしも 」

「 いや 御前は残れ 」

「 しっ 然し 」

「 安ずるな 生きて捕まりはせぬ だが万が一戻らぬ時は 」

「 船に火を放ち 討って出る 」

「 うむ 森の向こう側に大川(雄物川)が流れて居る筈だ

  脇目も振らず一気に駆け抜けよ

  川を渡れば湊安東家の領域だ 奴らとて川を超えて迄追っては来まい

  良いか一圭 茂平と鈴之介へは因果を含め左右に居座(いざ)りの陣

 を敷かせて道を為させよ …

  全滅だけは 避けねば成らぬ … 」

「 … はっ … 」

「 例の事 寝坊助へは伝えたか 」

「 はっ … ですが 」

「 生きて居れば 何時の日か役に立つ日が来るやも知れぬ

  何か目印を決めて措け 」

  言うなり

  蝦夷の火断ちの御刀を背負い様 ざばんと海へ飛び込んだ宏実は

  浅瀬の海の底を方坊の如く這い泳ぎ 船と浜の中程辺りでざばっと水面

 を押し上げ現れ出でた

  早波に足を掬われぬ様用心深く足裏で砂地を弄り歩み 両手で髪を掻き

 上げながら足元に纏わり付く泡波に別れを告げ 大地の有り難味を噛み締

 めつつ 確りとした足取りで乾いた砂を踏み締めて行くのであった   



                             つづく






   

  

  

   

  

 

  

   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の二十一

        兄組編     其の仁

            

             漂泊

               

             

              



  ぎこちなく進む船ではあるが

  頬を吹き撫でる風は心地好く過ぎて行く


「 宏実様 此れで良うござろう 」

  房髪が声を掛ける

「 出来たか 」

「 ちょんこと見て下され 」

  房髪が指差す 指南魚が浮かぶ桶は

  縁に刻んだ北東を示す印(しるし)が舳先と一直線に成る様に 上下左右

 に張った綱で宙に固定されて居る

「 うむ 上出来だ

  一圭もう日が暮れる 張りを残し皆を休ませよ 」

  其う告げた宏実は 屋倉の屋根に上りごろりと横に成る

⦅ … 爺殿や秋実様は 父上の生死の行方を探れと言うて居られるのか …

   あの後 杉江屋殿の調べで

   一本杉館を襲いし者らは浅利の配下 十狐組と申す者らで間違い無し

 との事であったが 真なのであろうか … 

  当時 安東 南部 浅利と三家の間には攻めぬ侵さぬの不文律があっ

 たと伝え聞く 一本杉館は其の要の地 浅利家が其れを犯し交易の利を棄

 てて迄一本杉館を襲う理由は一体何なのだ … 

  … やはり 浅利家の騒動が発端なのか …

  だが 浅利則祐殿の死は一本杉館襲撃の四年も前の事 … 四年 …

  何かがあったのだ何かが 思い出せ宏実 あの頃の事を 

  あの時期目にし耳にした浅利家に関わる全ての事を思い出すのだ … ⦆

  宏実の脳が過去の扉を開け様とした時 屋倉の屋根がきしりと軋み

「 船を繋げて下された御陰にて 私(わたくし)の様な者でも苦もなく此方

 の船に乗り移る事が出来ました 」

「 … 美春か 如何した … むっ 」

「 ふふっ 眩しゅうございましょ 」

  むくりと起きた宏実の目に 数多な煌めきが飛び込んで来る

「 茂平殿が 此れならば遠くを行き交う船も気付いてくれよう

  濡れた鞘も乾き次いでに邪気も祓うてくれるやも知れぬ 一石三鳥であ

 ろうと したり顔で言うて居りましたは 」

  良馬丸の屋倉の屋根の縁際(へりぎわ)に ずらりと立つ抜き身が橙(だい

 たい)色の陽を浴びて光(ひか)めき 宏実の隣へ腰を下ろした美春の瞳も同

 じに染まり

「 美しゅうござりまするなあ 宏様 」

⦅  美春 其方の目の中で光(ひか)めく煌めきの方が 俺には美しいと想う

 がな ⦆

  鯉口を下にした鞘が 乾いた着物を取り込んだ隙間に御簾の如く吊り下

 がり 穏やかな風に絡まれ乍ら からからと鳴子の様に軽高く鳴り渡る

「 一圭殿から もはや能登へは戻れぬ故 出羽の土崎湊を目指すと聞きま

 したが 」

「 うむ 必ずや皆に生きて再び土を踏ませてみせる 」

「 土を踏まれた後は何を為されます 」

「 言う迄もあるまい 

  湊安東家の御当主 安東茂季殿へ拝謁願う 」

「 拝謁叶いましたならば何を申し上げまする 」

「 尊治へ継ぎを付けねばならぬのだ 御力添え下されと申し上げる …

  と言いたい処だが 安東家は信長様と誼を通じて居るのだ 小浜の湊

 へ向かう安東家の持ち船が 途中立ち寄る湊々で厳しい検閲を受けるは

 必至 尊治へ宛た密書が見付からぬ保証は無い

  仮に見つかってし申ては船は没収された上 船人らも只では済むまい

  故に 其の機が来る迄 糧食はもとより医者と薬の手配も含めて 雨

 風を凌げる宿を御貸し下されと申し上げる 」

「 宏様 

  宏様の申し出は恐らく御受け為されてくれましょう

  なれど 其れでは大きな借りを作ってしまう事に成りまする

  借りた物は 御返し致さねばならぬもの 其の借り 如何にして御返し

 為されます 」

「 先立つ物を持たぬ我らなのだ 其の折りは雇い働きを願い出る 」

「 雇い働き … 真逆 宏様 」

「 察したか … 其う申さば安東家は迷う事無く我らを南部家との国境(く

 にざかい)鹿角と接する比内の地へ配してくれよう 」

「 … 一本杉館の仇を討つ … と 」

「 異論か 」

  美春の面が俄に曇り出す

「 私とて父を失うて居るのでございます

  異論など有り様筈もござりませぬ なれど

  我が父 五十嵐政美(まさよし)率いる三番組が 皆殺しに遭うて居るの

 でございます 其の様な悪鬼の如き得体の知れぬ者らと兄組が仕合わねば

 成らぬと想うただけで 私は心落ち着かぬのでございます 」

「 … 我ら兄組では歯が立たぬと … 」

「 其うではござりませぬ

  御影の者が出張って参ったと先に知れてし申ては何時不意を衝かれるや

 も知れず 地の利に疎い兄組が不利である事は目に見えて居りまする

  仮に 其の者らの素性知れたと致しましても 安東家を差し措いて仕掛

 ける訳にも行きますまい 政治様の生死の行方も探らねば成りませぬ故 

 此処は焦らず腰を据えて彼の地を 得体の知れぬ者らの素性を探られては

 如何でございます 」

「 美春 腰を据え様にも先立つ物が無いと言うたばかりではないか 」

「 ふふっ 先立つ物が在れば良うござりましょ 」

  美春の両の目尻が 思わせ振りに小さく波を打つ

「 溜まり水が抜けた後 船内を拭き浄めて居りましたならば 底倉に隠し

 庫がございますと 誰ぞの声が聞こえましたので向かうてみました処 真

 は開けては成らぬ庫なのでしょうか 組み木細工の如き床板に少々手間取

 りましたが 開けて中を見ますと 互いに縄で結わえられた珠洲焼きの壺

 が一面に整然と並べられて居るではござりませぬか

  他の二船も当たって頂きましたならば やはり同じ場所に同じ姿で同じ

 数の年代物の稀壺が一船に二十ずつ 都合六十壺あったのでございます

  其れに …

「 美春 其れらを銭に替えて食い繋げと申すか

  確かに 今や焼き手も窯も存在せぬ珠洲焼きは稀器に違いない だが

 秋実様が就かれる以前から 彼の地へは其の数知れぬ程持ち込まれて居る

 のだ 父上の頃には珍しさも価値も薄れてし申てもはや誰も望む者は居ら

 ぬと聞いた

  無駄には成らぬであろうが 多くは望めまい 」

  じっと宏実を見詰めて居た美春の両の目尻が再び小さく波を打つ

「 宏様 

  御話しは最後まで聞いて下さりませ

  其れが何の意味を持ちますものなのか 私にはとんと察しも付きませぬ

 が 壺の中は或る物で一杯だったのでございます 」

「 … 或る物 … 」

「 ふふっ 何だと想われます 」

「 … 銭か 」

  あっさりと当てられ 

  詰まらぬとばかりに 美春の薄い頬がぽこりと膨らむ  

「 はい 其の数とても数え切れぬ程全ての壺の口迄ぎしりと詰め込まれ

 て居るのでございます

  宏様 天は未だ私達を見放しては居りませぬ

  此れで急ぎ 雇い働きを願い出ずとも良うござりましょ 」

「 … 美春 … 」 

  そっと抱き寄せる美春の肩より先に 鬢削ぎが宏実の頬を擽る

「 宏様 

  首尾良く一本杉館の仇を討たれたならば 其の後は何を為されます 」

「 其の後 … 」

「 好きな事を為されては如何でございます 」

「 好きな事 」

「 はい 宏様は幼き頃 出来得る事ならば商家に産まれて見たかった

  と言うて居られたではござりませぬか 」

「 餓鬼の頃の他愛も無い話しだ 」

「 幼き頃の話しであろうと 一度は宏様の口から出た言葉でございます

  宏様の心の内に其の様な想いがあったと言う証しに他成りませぬ

  其うでござりましょ 」

「 其れは其うかも知れぬが … 」

⦅ … 商家か …

  彼の地にては数字に強くなければ御役は務まらぬと 杉江屋にて幼き頃

 から算木と算盤(そおばん)を教えて貰うたが 俺には玉をぱちぱちと弾く

 算盤(そおばん)が向いて居た様だ

  美春は其の頃の俺の口から漏れ出た言葉を憶えて居たのか

  下手な事は口に出来ぬな ⦆

  美春の小さな顎がこくりと落ちると共に 其の細い身体が静かに船を漕

 ぎ つられて宏実も何時しか眠りに落ちて居た


                          つづく


    

  

  

          目次

      御影 弟組  MIKAGE OTOGUMI



  其の壱    投矢の棒

  其の弐    禽獣に五徳

  其の参    於蓮

  其の四    敵

  其の五    白斑の鷹

  其の六    撃っ破

  其の七    水神流夷

  其の八    金丁を為す

  其の九    禿

  其の十    天女と羽衣

  其の十一   夏の蝿

  其の十二   嫌な奴

  其の十三   口寄せ

  其の十四   誑かし

  其の十五   夢告

  其の十六   茂菜の苛立ち

  其の十七   葬送の御霊魂玉

  其の十八   兄組編    其の以

          杉江屋にて 

  其の十九   兄組編    其の呂

          西の丸の望楼にて

  其の二十   兄組編    其の波

          秋実      

  其の二十一  兄組編    其の仁

          盗賊大名

  其の二十二

   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の二十

        兄組編     其の派     


            秋実     

         

         

  … さ ま … 様 … 実様 … 宏実様 御気を確かに宏実様 」

「 … いっ 一圭 … おっ 俺は どうしたのだ … 」

「 はい 手の者が申すには 溜まり水が抜けた途端に倒れられた との事

 でございます 

  汚水にまみれた御身体は既に浄めてござる 先ずは此れを 」

「 … 此れは 何だ 」

「 其れがしの 股肉でござる 」

「 一圭 」

「 ははっ 介子推の美談は恐らく偽りでござりまするな

  己れの股肉を切り取ってし申ては 大事な御方を御護りする処か己れの

 身さへ危ういものと成り兼ねませぬ

  此れは真鱶[まふか:毛鹿鮫(もうかさめ)]の身を 清い海水に浸したもの

 でござる 獲れ立ては小便臭く無く美味なものでござる 騙されたと思う

 て食して下され 」

  言われるがまま がぶりと噛み付いた鱶肉は 赤身の鉄気(かなけ)の後

 に海水の塩味と桜色の肉の甘味が混じり合い一圭の言葉どうり真に美味な

 ものであった

「 洗い流れた汚れが撒き餌に成りましたか 大小の魚が船の回りに集まり

 出し 其の魚を狙うてか鱶迄もが寄って来ました故鈴之助が槍で三尾突き

 上げたのですが 女御達が此の様な大きな魚は捌いた事がございませぬと

 皆手をこまねいて誰も手を出さずに居た処 彼の御老輩が鱶は骨無き魚故

 苦も無く捌けますると申した故 ならばと茂平が刀を振るうた処すぱりと

 切れましたので後は皮を剥くだけで良うございました 」

  最後の一片をごくりと呑み込み様二の腕で口を拭った宏実は

「 又もや御老輩に助けられたな さっきは礼を言いそびれてし申た

  一圭 御老輩は今何処に 」

「 … 其れが … 既に身体は悪疫に蝕まれて居た様で …

  たった今 息を引き取ってござる 」

「 何と … 綱を伝うあの身のこなし 其の様には見えなかったが …

  流石は秋実様の手の者よ 見倣わねば成るまい 」

「 組内では 一番の若僧であったと言うて居りましたが 此れで秋実様の

 許へ 皆の処へ逝ける 懐かしの良杉丸の船上で死ぬるのは本望じゃと最

 期は笑顔で御逝き為されてござる 

  其の今際の際に 宏実様に御渡し下されと 此れを 」

「 此れは 何だ 」

「 はっ 何でも指南車ならぬ指南魚と申す方位具だ其うで 」

「 方位具 … 」

「 はっ 魚を模した其の木魚の中には棒状の磁石が詰め込まれて居り 水

 に浮かべますれば木魚の口は必ず南を指す其うでござる 」

「 我らが剥き出しのまま用いる方位針と違うて 何とも洒落た物だな 」

「 御老輩も此の洒落物に端から目を付けて居たらしく 最後の御役目を終

 えて船を降りる際記念の品にと船長(ふなおさ)に頼み込んで漸く貰い受け

 以来御守りとして肌身離さず持ち続けて居た物だ其うでござる

  宏実様 御老輩は

  風は穏やかなれど西の風に変わり潮も南から北へ流れて居りますれば

 もはや能登へは戻れませぬ故 舵は下ろさず其のままに爐靴〞の陣を組

 み櫓を漕いでは休み漕いでは休みを繰り返し ひたすら北東を目指して漕

 ぎ進みますれば必ずや大川(雄物川)が流れ出る土崎の湊へ行き着きまする

  なれど湊の南隣りは由利郡 間違うても其方の浜へ船を寄せては成りま

 せぬ と申して居りましたが 申し訳ござりませぬ肝心の爐靴〞の陣と

 は如何なるものか聞きそびれてし申たでござる 」

「 … 爐靴〞の陣 … 」

「 御存知で 」

「 うむ 爐靴〞は品だ

  一圭 折れた帆柱や外れた甲板を使うて品の字の如く 此の良杉丸の船

 体が一つ抜きん出る様三船をしっかりと繋ぎ止めよ 其れが終えたならば

 亡骸は良鷹丸へ病者の方々は良馬丸へ御移し致し健常な者のみを良杉丸へ

 集め措け 」

  はっ と立ち欠けた一圭は膝を付き直し

「 宏実様 終わりましたならば声を掛けまする 

  其れ迄御身体を休めて居て下され 」

  言うなり 踵を返した其の脚は垣立ての上縁(うわべり)を蹴り様高く跳

 び 羚羊(かもしか)の如き美腿(びたい)は靱(しなや)かに伸びて宙を翔け

 陽に照らされて逞しく盛り上がる肉の影も美しい其の背に 大きく波打つ

 紅葉色の房髪がふわりと垂れ落ちる間に一圭は隣船の人と成る

  宏実は 鱶肉を浸して居た桶の上縁(うわぶち)に方位を刻み 指南魚を

 浮かべて暫し眺めて居たのだが

⦅ … 波は穏やかであるのに 桶の中は此の揺れか … ⦆

  ふむと思い直した宏実は 桶を抱えて櫓の屋根へ登り 船柄に桶を吊り

 下げ 其の軸に背を凭(もた)れ掛け乍ら腰を下ろす

  其れを待って居たかの様に

「 宏実様 介子推様からの御届け物でございます 」

  一圭の手の者が 安物の湯飲み茶碗と縁が欠けては居るものの珠洲焼き

 と一目で判る片口鉢を宏実の右脇へそっと差し出し 足早に持ち場に戻っ

 て行った

⦅ … 御酒が残って居たのか ⦆

  湯飲みを口にした宏実は透かさず紅葉色の房髪を目で追う 追われた房

 髪の主はにやりと笑みをくれて寄越し 再び垣立ての上縁(うわべり)を蹴

 って宙を翔け美背(きょうはい)を宏実に向けて良鷹丸へ跳び移る

  湯飲みの御酒が五臓六腑に染み渡り漸く人心地付いた宏実は 筵の列の

 傍らに横になり目を瞑る

⦅ … 今見たのは 夢であったのか …

  義総様が予見為された通り あの翌年[大永七年(1,527年)] 秋実様ら

 が土崎の湊へ付いて間も無く戦が始まった …

  秋実様の助勢願いを当然の如く受け入れた湊安東家は 御手並み拝見と

 ばかりに先鋒の一勢に加えたのだ …

  戦は分けたものの 秋実様率いる弟組の目覚ましい活躍振りに両安東家

 は畠山家との交易を復したばかりか 小坂村へ出張り所を設ける事吝かで

 無しと心良く了承してくれたのだが 其れは比内浅利家の強い要望でもあ

 ったのだ

  当時の鹿角の地は其の殆どを南部家に押さえられ 浅利家は小坂村を含

 む北部の数村を手にして居たに過ぎず 西の比内の地を除く三方を南部家

 に囲まれ乍ら多兵を配せぬ北鹿角の守りは脆弱其のものであり 安東家の

 指揮の下共に戸沢家と戦った御影弟組の力量を思い知る浅利家の当主浅利

 則頼は 此れ幸いと秋実様の申し出を諾了したのだ

  既に廃墟と化して居た一本杉館建て直しの費用も畠山家が持つ事で腹も

 痛まず何より 小坂川と米代川の津料も入り人手も目付を置くだけで済む

 のだ浅利家に取っては願ったり叶ったりな事ではあったのだが …

  変わらぬ北鹿角の守りの危うさも然る事乍ら 小坂川と米代川が交わる

 錦木塚の辺りが南部家との境の地である事に秋実様は危念拭えず 一本杉

 館完健を見ぬ今が機と事もあろうに手の者も伴わず 南部家の本城不来方

 (こずかた)の城へ単身出向いて行かれたとの事 …

  其の様な事 俺には到底真似出来ぬ … ⦆

 疲れた身体に御酒が睡魔を誘い 宏実の脳に再び過去が入り込む


  大永七年(1,527年)

  期せずして 戸沢領へ放って居た戦物見の報せを共和す可く 南部家の

 諸将が一堂に会して居た最中の来訪である

  安東方の先鋒として緒戦を勝利へと導いた訪人率いる強者共が 小坂村

 へ陣取られては喉元に刃を突き付けられたも同じ

「 有無を言わせず斬って棄て 直ぐ様小坂村へ攻め入る可し 」

  居並ぶ将の大半は口を揃えたものの

「 我が南部と易を交わしたいと … 

  一人で参ったと … 

  ほおうっ 面白其うな男だな … 」

「 父上 如何なる男か 私(わたくし)も興味をそそられまする 」

「 うむ … 構わぬ 通せ 」

「 しっ 然しっ 」

「 詰まらぬ男であるならば此の場で斬る 其れで良かろう 」

 南部家の当主南部安信は意想外にも拝謁を許したのである

 陰鬱たる気が漲(みなぎ)る広間へ颯爽と姿を現した訪人が 涼やかな面を

 安信 晴政親子へ向けて平伏した其の刹那

「 此の地の品を求めに参ったなどと戯れ言を申すな 此の痴れ者があっ

  共も伴わずに参ったは 我らの油断を誘い御本城様の御命を奪う積もり

 なのであろうが 其うはさせぬ

 下手に動かば其の首無きものと思い知れっ 」

 南部家の若き重臣浄法寺重政なる者が 行きなり声を荒らげて秋実の口上

 を遮り刀を手に取り様片膝立てた

  連(つら)れて数人の将が咄嗟に脇差しの柄へ手を乗せて身構え 帳台構

 えに潜む武者らの気組みも見る間に高まり緊張が走る

  秋実は張り詰まる重苦しい気を気にも留めぬ素振りで 平伏したまま口

 上を最後迄言い遂げてゆるりと面を上げた

「 … 安信様 並びに晴政様 面と向かわねば言えぬ事もござります故 

 許しを得ず面を上げました事御赦し下されませ 」

  安信は構わぬと小さく頷き 続けよと頷いた分だけ顎をしゃくる

「 其れがし 両安東家並びに浅利の御三家と既に交易の約を為して居りま

 すれば 今此の場で命果て様とも悔いはござらぬ なれど 

  何処の何方か存ぜぬ御方に痴れ者呼ばわりされたまま逝ってし申ては 

 我が主 畠山修理大夫義総様に対し面目立たぬばかりか御先祖様に対しま

 しても彼の世で顔向け出来ませぬ … 故に

  此の首差し上げる前に 何処の何方かの御首(みしるし)は手土産代わり

 に獲らせて頂きまする … 」

「 ぬううっ言わせて措けば図に乗り居っていっ 強がるのも程々にせいっ

  此の首くれてやる積もりなど更々無いが 此の俺と汝(うぬ)の首の重さ

 が同じと思うてか

  痴れ者如きに名乗るなど何とも馬鹿馬鹿しいが 土産も無しに冥土へ逝

 かせる訳にも行くまい 良いか 情と思うて良く聞け 

  我こそは浄法寺修理介重政なり 畠山庄司次郎重忠様が御三男 小次郎

 重慶(しげのり)様を祖とする家柄だ 能登の畠山家の臣などと どうせ偽

 りで有ろうが真の畠山の血を引く此の俺の手に掛かり彼の世へ逝けるのだ

 有り難く思へ 」

  秋実の肩が小刻みに震え出し 震えは大きな揺れに変わり終には声を上

 げて笑い出す

「 ふんっ 恐ろしさの余り気が触れたか 」

「 気が触れたと … 真逆 真に笑うて居るのでござる 」

「 何だとう 」

「 いやはや 此れが笑わずに居られましょうや … 

  浄法寺殿とやら 今程重慶様が重忠様の御三男と申されましたかな 」

「 言うたがどうした 」

「 はて … 其れがしのとは違いまするな 」

「 何だ 何が違うと申すのだ 」

「 大夫阿闍梨重慶(たいふあじゃりちょうけい)様 … 

  重慶様の事でござりまするが …

  其の重慶様が重忠様の御三男とは片腹痛し 彼の御方は五男の末子でご

 ざる 更に 重慶様は健保元年(1,213年)長沼宗政なる者の手に掛かり御無

 念な御最期を迎え為されて居りますれば 浄法寺家の祖になど成り様筈が

 無いのでござる 」

「 なっ 何っ 此の期に及んで戯れ言を申すなっ 」

「 浄法寺家の真の祖とは 重忠様の大叔父に当たられる高山三郎重遠(しげ

 とう)殿の曾孫 高山次郎三郎重保殿が上野国緑野(みどの)郡浄法寺村へ居

 を移されたのが其の始まりでござる …

  奥州合戦の後 此の陸奥国の糠部(ぬかぶ)郡の一部を給された際 其の

 まま浄法寺を名乗り給地も同じ名にしたのでござる

  其の後 重忠様御謀反との報せに類難を恐れて山の奥深く御避難為され

 て居た大木戸家の給他を奪ったばかりか 重忠様の御一族が滅びて後 謀

 反の疑いが晴れたのを良い事に箔を付ける可く 坂東武者の誉れ高き畠山

 の名を騙ったのであろうが 出自を示す紋が同じ小紋村濃である事も然る

 事乍ら 浄法寺家の初代の御名が重忠様の御嫡男重保様と同名であり其の

 御二人が時を同じくして御亡くなりに成られた事が 名を騙る切っ掛けに

 成ったのでござろう … 浄法寺 … 重政 … 殿 … 」

「 くっ くうううっ ええいっ 黙れ黙れ黙れえいっ 」

  吠えるなり 重政は秋実の背後に仁王立ちに立ち刀を抜いた 

  同時に 帳台構えの襖が音を立てて開き数人の武者が勢い良く躍り出る

 も 九戸信仲 石川高信の両名が座したまま両手を拡げて武者らを制し 

 安信は大きな眼(まなこ)を重政へぎろりと向け様 元の座へ戻れと ぴし

 りと冷たい音を鳴らして扇子を振り 鬱憤遣る方無い体で退(しりぞ)く重

 政とは裏腹に 其の間一度も後ろを振り向く事無く涼やかな面を向け続け

 る秋実の其の姿に 安信は此の男の真を見たのであろう

  閉じた扇子でぴしゃりと膝を打ち畠山家との交易を諾了したのであった

  義総は元より蔵治さへ 真逆南部家と迄も交易の約を交わすなど想うて

 も居らぬ事であったと 随分と驚いた様だが当の秋実は

「 南部家とて 米代川を使える事で此れ迄掛かって居た都迄の費用も日

 数も大幅に削減出来るばかりか 津料を払うても尚余り有る利益が得られ

 るのでござる 更に戦をせぬ事で銭よりも尊い人財を失わずに済むのでご

 ざる 利に聡い主であるならば 諾せぬ筈はござりますまい 」

  涼やかに応えたのであった

  何処か横柄で其れで居て人懐っこく 人を惹き付ける何か不思議なもの

 を御持ちの御方であられたと 秋実を知る者は皆口を揃えて言うて居たの

 だが … 其の秋実は永禄四年(1,561年)の二月享年六十七で身罷られ 翌

 三月に産まれた尊治は 其の日が来る度に秋実様の生まれ変わりよと良く

 言われる羽目に成る

  生涯妻を娶らず 為に子の無い秋実亡き後 御役目に穴は空けられぬと

 蔵治は直ぐ様政治を向かわせたのだが 一人子の政治を何時迄も彼の地へ

 留め置く訳にも行かず 政治の嫡男宏太郎に早目の元服を済ませた蔵治は

 秋実の実の字を授けて宏実を名乗らせ其の機が来るのを待った …

  だが 永禄九年(1,566年)の秋 

  畠山義続 義綱親子は長続連 遊佐続光らに能登を追放され直ぐにも二

 人の後を追いたい蔵治ではあったが

「 もう直に船が戻る 事情を知らぬ護衛の者らを残したまま両御本家様の

 後を追う訳には行かぬ 両御本家様へは我らの真意を御伝えし奸賊共には

 心意を偽り 船が戻り次第護衛の一番組と留守居の二番組と共に一気に能

 登を抜ける … 政治への継ぎは其の後だ 」

  其う決めた蔵治ではあったが … 戻った護衛の組頭は想わぬ事を口に

 した

「 一本杉館 何者かに襲われ落館炎上の上総員討ち死に なれど政治様の

 亡骸は何処にも見当たらず其の生死の行方も知れませぬ 」

  其の凶報に皆言葉を失い 責任を感じたのか一番組は密かに集い 政治

 の生死の行方を探る可く手近にあった船を奪って鯨海へと漕ぎ出したもの

 の 嵐に見舞われ船は敢えなく沈没 一番組は海の藻屑と消え蔵治らは能

 登を抜ける機も失ってしまったのである

  翌々年の永禄十一年(1,568年)

  義続 義綱親子は能登を奪還す可く兵を挙げ蔵治も其れに呼応しようと

 したものの 温井と三宅の兄弟に厳しく張られて動くに動けず運にも見放

 され 義続親子は已む無く撤退 蔵治らが能登を抜ける機は完全に断たれ

 てしまったのである

  以来蔵治ら御影の者らは隠忍自重に徹し再び其の機が来るのを密かに窺

 って居たのであった

  其して天正五年(1,577年)の七月 其の時が来た

  

⦅ … 遊佐と温井の兄弟が長続連を裏切り上杉勢を迎え入れる事を探り知っ

 た爺殿は 其の騒ぎに紛れて春王丸様と共に城を抜ける事を決意し 其の

 旨皆に伝えたのだが …

  何処から 誰が洩らしたのだ … 真逆 義春様 …

  でなければ辻褄が合わぬ 

  やはりあの時 気多大社に籠り尊治を 弟組を待つ可きであったか …

  過ぎた事を悔やんでも仕方無し 

  今はする可き事をする迄よ …

  にしても … 

  邪馬台無(やまいむ)様と卑弥呼 … 安日様が同一な人物であろうとは

  流石は義総様 鋭い御方よ

  安日とは 白日の下 祖霊を祀る廟の中で安寧の儀礼を行う者の事を言

 うのだ 其して兄の長髄彦(ながすねひこ)様は長い洲の根を治める長(お

 さ) 長い洲とは今の淀川の洲の事だ …

  爺殿も 秋実様も 其して義総様も

  あの頃が一番楽しき時であったろうな … ⦆

  想いつつ 徐に目蓋を開け様とした其の時

「 皆の者 声を合わせよ 櫂を合わせよ 行くぞ せえのっ 」

  茂平の野太い声が響き 

  ばしゃりと水を叩く音の後に 

  開けた目蓋の睫毛が風に揺れ 

  爐靴〞が波を立てた


                          つづく


                         

  


  

  


  

  


   

 


  

  

 



 




  

  


 


   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の十九

         兄組編   其の呂   

            

         西の丸の望楼にて


             

              


  大永六年(1,526年)の夏

  絶頂を迎えつつあった能登国守護畠山義総(よしふさ)は

  兼ねてから望んで居た七尾城の増築を漸く終え

  其の祝いの歌会を盛大に催し 

  盛会裏の内に終えた歌会の後は其のまま酒宴と成った

  宴もたけなわ 

  誰が誰の声やらも判らぬ程騒がしい会話が乱れ飛ぶ中

  偶(たま)さかに酔客の他愛も無い会話を義総の耳が拾い 

  何に心惹かれたのか

  義総は酔いに任せて語り合う二人の話しに聞き耳を立てて居た


「 其う言われれば 其うよのう … 」

「 で ござろう 能因殿や西行殿ら当時歌界に名を馳せた歌人が挙って詠

 んで居られたが … 」

「 能因殿は確か … …

  錦木は 立てながらに此其朽ちにけれ 狭布(けう)の細布(せばぬの)

  胸あわじや でございましたな 」

「 左様左様 其の後世阿弥も謡曲錦木を世に出し常民に迄広く知れ渡る事

 と成りましたが 近頃は錦木や狭布の細布などの言の葉とんと耳に致さぬ

 のは何故でござろうのう … 」

「 歌は世に連れ 世は歌に連れと申します程に 言の葉にも流行り廃りが

 在るのでござろう … 現に 其れがしは一度も用いた事はごさらぬ

  其処許も同じでござろう 」

「 確かに 然り乍ら胸で合わぬ狭布の細布成る物 美しい女御に一度着せ

 て見たいものでござる 」

「 はて … 美しい女御とは 御内儀の事でござりますかな 」

「 御止め下され 其れ此其 胸を合わせる処か近頃は手さへ握っては居ら

 ぬのでござる 」

「 はっはっはっ 其れがしも同じでござる

  なれど 狭布の細布成る物 着せられぬ迄もせめて一度は手にし目にし

 て見たいものでござりまするな 」

「 真に 在れば の話しでござりまするがな 」

⦅ … ならば見せて遣る … ⦆

  義総を 横から眺めて居た冷泉為広の耳にも二人の会話が届いて居たの

 か 義総の目が其う口走ったと看て取り

⦅ 御止め為され ⦆

  と首を振り ふむと頷く義総は火照った頬へ扇子で風を送り乍ら杯を傾

 け 右の列奥に控えて居る二人の男達へ眼を向ける

  義総の視線を感じたのか二人の男は

⦅ 祝着至極にござりまする ⦆

  杯を義総へ向けて頭(こうべ)を垂れ 面を上げ様杯を呷る

  義総も杯を呷って応じた其の刹那 瞳の隅に為広と二人の男の姿が重な

 り義総の脳の中に閃光が走る 其の閃きが消えて仕舞わぬ内にと扇子で隠

 した口を為広の耳に寄せて何事かを囁き 囁かれた為広も扇子を広げて面

 を覆うも二度三度と咽び出し 咽ぶ度に為広の肩が震え其の様を端から見

 て居た者には 何時もの如く孫程歳の離れた義総の戯れ言に為広が笑いを

 堪えて居る様に見えた事であろうが 此の時ばかりは真に咽び泣いて居た

 のであった

  翌夕

  新造仕立ての西の丸の望楼へ二人の男を呼び寄せた義総は 昨夜の閃き

 を口にした

「 蔵治 秋実 何れが行くかは其方らに任せるが 

  否は申さず行ってくれ 」

「 御本家様 我ら兄弟の意は同じ否はござらぬ ござらぬが …

  我らの御家に伝わりし家伝なれど家伝は飽く迄家伝でござる 真に在る

 のかどうかも判らぬ金山(かなやま)を探して参れと申されましても 易々

 と諾とは申せませぬ … のう兄上 」

「 うむ 秋実の申す通りでござる 

  過去を振り返ってみましても現在(いま)を遡る事凡そ百年前 応永三十

 一年(1,424年)の年でございましたな 我が家の家伝を頼りに満慶(みつの

 り)様の御三男量慶(かずのり)様が 我が家の勝治様を伴うて彼の地へ向か

 われたまま行方(ゆきかた)知れずに成りました事 よもや御忘れではござ

 りますまい 」

「 誰に言うて居る此の俺が忘れる筈も無かろう 迷子に成るのが怖いの

 か蔵治 真逆臆した訳では有るまいのう 」

「 御本家様此其 誰に言うて居るのでござる 」

「 其うむきに成るな蔵治 」

「 御本家様 量慶様と勝治様共に 未だ幻の金山を探し倦(あぐ)ねて彼の

 地の山々を彷徨(さまよ)うて居られるのやも知れませぬなあ 」

「 秋実 此処には我らの外に誰も居らぬのだ 皮肉を言う前に其の嫌味っ

 たらしい御本家様は止めよ 御主もだぞ蔵治 」

  蔵治が笑みを殺して御酒を注ぐ間に 忍び笑いを浮かべて立ち上がる秋

 実は蚊遣り具に火を点じて煙を燻(いぶ)り出す

「 蔵治 秋実 家伝に多少の詐称は付きものよ

  温井の家などは 我が畠山と同様清和源氏足利の流れを汲む桃井の後裔

 を称し幸若舞いは我が家が始まりと公言して憚らぬが 三万棹を越える我

 が書庫に其の様な由緒書きは見当たらぬ 真は桃井の家から養子に迎えた

 景信の従兄の家子(いえこ)の話よ 代わりに居着いた輪島の地に湯が湧い

 て出た故 其此に井戸を掘った事に因み温井を名乗ったと記(しる)された

 物は見つけたがな 」

「 義総様 真偽の程は兎も角 他家の来歴をほじくり出す其の癖 何とか

 成りませぬのか 遊佐の者らも 御主らの出は出羽の飽海(あくみ)では無

 い真はあの七尾の湾に浮かぶ能登島よと 義総様から聞かされる度に皆辟

 易致して居るのですぞ」

「 はあっはっはっはっ … 蔵治 … 御前は遊佐家の家伝が気に入らぬ

 のではなかったか 」

「 そっ 其の様な事はござりませぬ 」

「 其れがしは 気に入りませぬな 」

「 であろう 秋実 … 総門とか申す王の土版を盗み出した臣の子孫を 

 御前達の御先祖様はあの能登島迄追い詰めた … だが 其の折りの長(お

 さ)は 今更奴らを討ったとて何の意味があるのだと兵を退いた 」

「 … 飽く迄も家伝でござる 」

「 … 蔵治 遊佐家の家伝は追う側と追われる側が入れ替わって居るのだ

  果たして 何れの御先祖様が王の土版を盗んだのであろうのう … 」

「 義総様っ 」

「 はっはっはっ 其う睨むな蔵治 遊佐家の家伝は此処からが面白いでは

 ないか 其の幾百年後 阿倍比羅夫(あべのひらふ)に従い長年の旧敵であ

 る鹿角(かづの)の … 当時は上津野(かみつの)と言うたか 賊を漸く滅ぼ

 したとある … 鹿角の賊とは御前達の御先祖様の事であろう 」

「 能登島の長(おさ) 馬身龍(まむたつ)と申す者が比羅夫に合力す可く其の

 御前(ごぜん)にて蝦夷揃来(えぞろぎ)を披露し旅(りょ:遠征)に出たと伝う話

 でござろう 其此迄は真の事なれど そもそも攻め込まれてなど居りませ

 ぬ故 其れがしは其此が気に入らぬのでござる のう兄上 」

「 … 彼の地 … 鹿角の地が西の勢に攻め込まれしは其れ迄一度きり

  … あれは比羅夫の遠征(658年)から遡る事凡そ三百年前(367年)の事

  上毛野田道(かみつけのたじ)なる者が 倭王(わおう)の命を受けて攻め

 寄せて参ったのでござる 」

「 存知て居る 当時 倭王勢に於いては最強と謳われし田道軍を 其の後

 の錦木塚の東で迎え撃ち散々に打ち負かした挙げ句に 其の田道をも討ち

 取ったと伝うのであろう 」

「 真逆の大敗北に 此れ以上の戦は益無しと倭王方は講和を申し入れ 御

 先祖様らは代わりに易を交わす事で諾したのでござる 」

「 倭王方は新羅の統治に何かと要り用な時期 御先祖様らは随分と潤った

 事であろうのう 」

「 現在(いま)の能登程ではござりますまい 」

「 嫌味の世辞は要らぬ … で 」

「 其の後多少の小競り合いはあったものの 三百年の長きに渡り平和な時

 を過ごして居ったのですが … 馬身龍(まむたつ)めに抱き込まれた飽田(

 あくた:秋田)と渟代(ぬしろ:能代)の両長(おさ)が 北海の民が攻め寄せて参

 る模様なりとの偽りの報せを比羅夫に派したのでござる 」

「 馬身龍は広き地を求めて能登島から出る事を望み 飽田と渟代の両長は

 北の海がもたらす益の増を望んだのだな 」

「 左様 … 御先祖様らは北海の民とも良好な関係を築いて居ったものを

  全く 要らぬ戦を仕掛けて来たものでござる 」

「 故に 首謀者の馬身龍を人知れず闇に葬ったのか 」

「 遊佐家の家伝では其れは見事な御討ち死にと成って居る筈でござる 」

「 ふっ 家伝とは都合の良いものよのう 」

「 何れにせよ 一族は飽海の地を貰うたのでござる 馬身龍とて本望でご

 ざりましょう 」

「 だが 念願叶うて名の通り 馬で身を立てられる地を貰うた途端 我が

 子が遊佐と名を変えるなど想うても居らなかった事であろうよ 」

「 あの折り 比羅夫は百八十艘もの船を仕立てて鯨海(げいかい:日本海)へ

 と漕ぎ出したのでござる … 其れとは別に馬身龍が合力し船は二十艘

 総艘の一割が馬身龍の船でござる 遊佐の遊の字は氏族の旗をかかげて水

 行を為す事を意味し 佐の字は佐(すけ)る事を意味する字 故に 馬身龍

 の子の馬身龍光(まむたつみつ)は新地を与えられたのを機に 相応しい名

 として遊佐の字を選び名乗る事にしたのでござりましょう 」

「 … 成る程な … 因みに御前達の御先祖様の長の名 …

  邪馬台無(やまいむ)と言うたな 如何なる意味があるのだ 」

「 真は 邪 馬台無(や まいむ)と申しまする 」

「 や まいむ 」

「 邪とは 呪術を行う者しか着られぬ特別な衣装を意味し

  馬とは 邪人の霊威を高める可く生け贄として神に捧げる為の馬を指し

  台とは 耜(すき)と祝祷を以て其の地の祓い清めを行う儀礼を言い

  無とは 雨を乞う舞雨を(まいう)を意味するものでござる 」

「 名では無く 雨乞いを行う巫女の事を言うのか 」

「 総門の王の国にては爐〞が神を爐泙い〞は水を意味する語音でござ

 る 故に其の意味は … 」

「 … 水神 」

「 左様 察しまするに 当時の御先祖様らは語音に相応しい漢字を探し出

 し 当てたのでござりましょう 」

「 邪馬台(やまたい) もか 」

「     …      」

「 邪馬台とは 八幡平(はちまんたい)と申す山の事を言うのであろう

  其の山の名は坂上田村麻呂公が名付けたと伝え聞く だが田村麻呂公が

爐呂舛泙鵑世い〞と呼んだにも関わらず土地の者らは未だに爐世い〞と

 呼ばずに爐燭〞と呼んで居る其うではないか … 察するに 御前達の

 御先祖様の女長(おんなおさ)邪 馬台無と申す者が邪馬台の女王卑弥呼な

 のではないのか … 」

「 … 当たらずとも 遠からず と申して措きまする … 」

「 何が当たらず どう遠くないのだ 」

「 卑弥呼様は田道が攻め寄せる凡そ百年も前に 既に身罷られて居ります

 れば 」

「 存知て居る … 卑弥呼とは女王が襲名する名であろう 」

「 はい … 」

「 … 意味は 」

「 はい …

  卑とは 事を執る者なり

  弥とは 美しい分身(入れ墨)を施した髪の豊かな女御が 魂振りに用い

     る弓を呪具とし

  呼とは 鳴子板の両面に遊舌(ゆうぜつ)を結び を振って音を鳴らし

     神を呼ぶのでござる 」

「 やはり巫女か 」

「 其れは合うて居りますが … 卑弥呼様は太陽を筆頭に八百万の神を呼

 び降ろし 其れを執り仕切る事の出来る唯一の巫女でござる 

  我が邪馬台無様は 水と其れにまつわる蛇や龍を祀る巫女で御座ります

 れば卑弥呼様とは格も違い全くの別人でござる 」

「 義総様 一体何を 知りたいのでござる 」

「 いや何 … 邪馬台の女王とも成れば其れ相応の奥都城(おくつき)であ

 ろうと想うてな … 」

「 其れはもう 真に見事な陵墓であったと伝えられて居りまする 

  のう兄上 」

「    …     」

「 如何為された兄上 」

「 秋実 … どうやら義総様は卑弥呼様の陵墓が邪馬台であり 其処が幻

 の金山 畠山重忠公が源頼朝公より賜りし葛岡なのであろうと想うて居ら

 れる様だ 」

「 此れは又 … 確かに 邪馬台の台(たい)の字は邪馬台無様の台(い)の字

 と同じ姿をしては居りますものの 真は臺(たい)の字の略字でござる

  邪馬台 つまり邪馬臺とは邪人の卑弥呼様の霊威が死して尚落ちぬ様

  生け贄とした馬と共に葬られし御陵墓なるも そもそも臺とは … 」

「 存知て居る … 臺とは 陵下に柩をおさめる槨室を設け階段状の陵上

 には廟所としての高堂を築いた形の字 つまりは人の手により築き上げら

 れた人工の山 故に金山では無い と申すか 」

「 はい … 尤も 廟所を建てる際 頂上を平らに均(なら)さねば成りま

 せぬ故爐〞と音する台の字でも間違いではござりませぬが … 

  金山ではござりませぬ 」

「 ふむ … 陵墓は確かに在るのだな 」

「 御座います … 其の真北の山が噴き飛んだ際 大量の灰を被ってしま

 いました故 現在(いま)では単なる犹〞と化して居りましょうが 聞く

 処に依りますれば土地の者らは未だに黒又山(くろまんたやま)と称し 崇

 めて居る其うにござる 」

「 黒又(くろまんた) … 其の名にも意味が有り其うだな 」

「 総門の王の国にては爐うら まわた〞と申す言葉なれど何時しか爐

 ろまんた〞と呼ぶ様に成ったのでござる爐うら〞とは彼女の全て爐泙

 た〞は死を意味する語でござる 」

「 間違い無く死んだと言う事か … … …

  今 彼女と言うたな … 卑弥呼にも名が在るのか 」

「 … 安日(あび) … 様と … 」

「 安日 … 長脛彦(ながすねひこ)の兄の名ではないか 」

「 … 真は 妹御でござる … 」

「 成る程のう … 

  御影の家伝 知った積もりで居たが よくよく聞いてみるものだな 

  だが 兄や一族を倭族に騙し討ちにされた挙げ句 夜麻登(やまと)の国

 迄奪われてし申たのだ捲土重来果たせぬまま此の世を去るとは 嘸や無念

 な事であったろうな 」

「 其の後 捲土重来の果てに何があったのか御存知でござりましょう 」

「 物部か 」

「 丁末(ていび)の乱(587年)にて 蘇我に敗れた物部の本宗家は亡びたもの

 の生き残った枝葉の者らは物の怪と化し 倭から夜麻登へ夜麻登から大倭

 (やまと)へそして大和(やまと)へと名を変えた王国に付属しつつ力を蓄え愈

 々と成った其の時 長年の怨み晴らす可く弓引いたのでござる 」

「 伊治呰麻呂(これはるのあざまろ)の乱 」

「 左様 … 砦麻呂暗殺により乱は終息に向かったものの大和方は其れを

 許さず 延暦七年(788年)征東大将軍に任じられた紀古佐美(きのこさみ)が

 大軍を率いて攻め寄せ来るの報せに 致し方無く阿弖流為(あてるい)様は

 母礼(もれ)様と共に兵を挙げるに至ったのでござる 」

「 … 連戦連勝であった其うだな … 」

「 中でも 巣伏(すぶし)の戦いでは大勝利であった其うにござる 」

「 では 何故(なにゆえ) 降ったのだ 」

「 降ったのではござらぬ 桓武天皇と直に講和の約を果たす可く田村麻呂

 公に従ったのでござる 桓武天皇も其の積もりで居られたものを其れに異

 を唱える貴族らに押し切られ 御二人は杜山の露と消えたのでござる 」

「 成る程 … 読み様によっては爐笋泙燭〞と読める処を敢えて爐呂

 まんだいら〞と読ませる辺り 卑弥呼の陵墓である邪馬台 … 黒又山に

 朝廷の目を向けさせぬ為なのだな 」

「 田村麻呂公は 八幡平処か鹿角の地を一歩も踏む事無く矛をおさめて居

 りますれば 朝廷に対し己れに信を措いてくれた御二人の無念に報いるせ

 めてもの抗いであった と想うて居りまする 」

「 其うとしか思えぬな 」

「 義総様 良い加減本題に入って頂けませぬか 真は金山の在り処などど

 うでも良い事なのでござろう 」

「 でかい声を出すな蔵治 脳に響くは 」

「 何だ 金山探しではござりませぬのか 折角其の気に成って居りました

 のに 」

「 秋実 考えてもみよ 例え見つけられたとて能登の我らにどうする事も

 出来まい … 義総様 真の用向きは何なのでござる 」

「 うむ … 」

  義総は 渇いた喉を御酒で潤し 

「 応仁の乱が終えて五十年経つものの 公家衆の生活は未だ困窮を極め

 日々の暮らしに喘いで居るのが現状だ 全ての公家衆を救える訳では無い

 が乱の一端を成してし申た家の者として 俺は出来うる限りの事はして遣

 りたいのだ … 」

  秋実は 蚊遣りの煙りに毒されて杯の中にぽとりと落ちた蚊を 御酒ご

 とごくりと呑み込み

「 … で … 出帆の準備が整うたならば 俺は奥州の何処へ何をしに行

 けば良いのでござる 」

「 うむ … 先ずは 良杉(りょうさん) 良馬 良鷹(りょうおう)のみなら

 ずありとあらゆる珍品美物をもとめる可く 出羽の両安東家と誼を通じ直

 すのだ 」

「 其れらを無償で分け与えまするか 」

「 蔵治 無論只でくれて遣る訳では無い

  其れ成りの見返りは頂かねばな 」

「 取るに足らぬ古書と 引き換えにでござりまするか …

  恐れ乍ら義総様 

  此度 義総様が御城を増築為された真の訳は 古書で溢れた守護所が

 手狭と成ったが為であろうと専らの噂と成って居るのですぞ … 

  其れに 両安東家は矛を交えぬ迄も長い事二家に分かれて相対して居る

 だけで無く 満家様並びに満慶様亡き後 細川勝元が北方の権益を奪う可

 く裏で画策したばかりか 畠山家は両安東家に対し悪意有りと有らぬ噂を

 流されたまま応仁の乱を迎え其の噂払拭出来ぬまま疎遠と成り現在(いま)

 に至って居るのですぞ 」

「 蔵治 取るに足らぬ古書で有るから此其 何時の日か日の目を見るもの

 なのだ 言いたい奴には言わせて措くが良い 蔵の肥やしに成るよりは俺

 の書庫に収まって居る方がずっと増しと想うがの …

  安東家に対しては 御前の申す通りよ

  だがのう蔵治 檜山安東家の嫡男が湊安東家の娘御を娶った事で つい

 先頃両家は和解に至った其うだ 今ならば両家に祝いの品を贈りがてら誼

 を通じ直す良い機であろう  

  其れに 商人共の船は相も変わらず頻繁に往き来して居るのだ 其れに

 乗らぬ手はあるまい 」

「 … 御言葉乍ら 祝いの品を贈った位で信を措いてくれましょうや 」

「 両安東家の目下の敵は陸奥の南部家よ …

  両家の信を得る為ならば 何れの家に関わらず援を派する用意此れ有り

 と申し出る 」

「 なっ 何と 其れは余りに無謀でござりましょう 」

「 援を派すると言うても 何も大軍を送る訳では無い 御助勢仕(つかま

 つ)る程の勢で良いのだ … 但し 其の一勢 此の義総が最も信を措き

 且つ精鋭の者共で無くては成らぬ

  其の一勢の働き如何(いかん)によっては 彼の地に出張り所のひとつ望

 んだとて両安東家とて否とは申すまい 」

「 出張り所 … 一本杉館の事を言うて居られまするか 」

「 御影の者が居を構えるのだ 此れ以上相応しい場所は他に在るまい

  … のう 秋実 」

「 真に 骨を埋める覚悟で参る所存でござる 」

「 うむ 良う言うた だが今現在 一本杉館の名はおろか別名の古館(ふる

 だて)の名も鹿角四十二館(たて)の中には見当たらぬ 恐らく既に朽ちて居

 るのであろう …

  船着き場も設けねば成らぬ故 館は新たに建て直させて貰う事とするが

 費用は全て此方で賄うと申さば角も立つまい …

  問題は 目付けを置かれる事だ 蔵治の思慮は過ぎるが秋実 御前は少

 々足りぬ 其れが唯一の心配の種よ 」

「 両安東家も若狭の小浜湊に代官を置いて居るものの 武田の目付けが常

 に厳しく目を光らせて居るとの事 他領へ出張り所を設けるのであれば至

 極当然な事でござる なあに御案じ召されますな此の秋実必ずや義総様の

 御期待に応えて見せまする 」

「 彼の地を甘く見るで無い秋実 

  義総様 秋実の足りぬ思慮はさておき 一本杉館の船着き場から渟代(能

 代)の湊迄荷を運ぶに致しましても 南部家を滅ぼさぬ限り鹿角の東は其の

 脅威に晒され続けましょう

  又 南は近年共に強勢著しい戸沢と小野寺なる者らが 虎視眈々と自領

 の拡大を目論見更に其の西には 湊安東家に対し時には恭順の意を示し

 時には背反し乍ら 離合集散を繰り返す由利十二頭なる厄介な者共が割拠

 して居るものと聞き及んで居り申す …

  出張り所は渟代の湊にも置かねば成りますまい …

  新造船の護衛は我ら兄組が受け持つに致しましても 一本杉館の船着き

 場から渟代の湊迄荷を護らねば成りませぬ故 秋実の弟組が手練れ揃いと

 いえども 高々六十名程の勢では全てが手薄と成りは致しませぬか 」

「 蔵治 … 秋実ら 弟組の身を案ずるのも判らぬでは無いが 其の高々

 六十名程の勢の力量がどれ程のものであるのか 御影の当主たる御前が一

 番良く存知て居ろう 謙遜も程々にせぬと嫌みに聞こえるものぞ

  渟代の湊には能登の商人の出張り所が既に在るのだ 其処を使用人共々

 俺が借り上げる事とする 然すれば弟組を分けずに済む

  其れにだ 米代川に沿うて東から鹿角郡の尾去沢 比内郡の大葛山 檜

 山郡の太良山が肩を並べ其の三山から掘り出された鉱石のみならず 流域

 で伐り出された良木の筏が川役人の監視の下列を為し 引っ切り無しに往

 き来して居るのだ 故に荷の護衛は一本杉館の船着き場から小坂川と米代

 川が交わる錦木塚の辺り迄の凡そ二里 加えて米代川の荷は 南を流れる

 大川(雄物川)と違うて食えぬ物ばかりよ 故に不埒な者共に襲われる心配

 は極めて低い … 

  どうだ蔵治 此処迄言うてもまだ心配の種を掘り出す積もりか 」

「 … まるで … 今見て来たかの如き語り振りでござりまするな 

  そろそろ隣に控えて居る者を御呼び為されては如何でござる 」

「 ふっ 察して居ったか 相も変わらず感の良い奴よ

  待たせたな 入るが良い 」

  襖が開くと同時に 恰幅の良い四十絡みの男が平伏し

「 御久しゅうござりまする 御影の御兄弟様 」

「 やはり 其方であったか 鯨海屋の次郎兵衛殿 」

「 流石は御影の御当主蔵治様 御見通しでございましたな 」

「 次郎兵衛殿 父の葬儀以来だが 其の折りのみならず父が病に伏してか

 ら死に至る迄真に世話に成った 此の蔵治改めて礼を申す 」

「 御止め下され蔵治様 手前が現在(いま)こうして息をして居られますの

 も三年前のあの夜 寄り合いを終えた其の帰り道 商売敵が雇うた刺客に

 襲われ危うく命を落とし欠けた其の時 偶さかに通り掛かられた先代様の

 御陰にて命を取り留めたのでございます

  何時かは御恩を御返し致さねばと思い倦ねて居ります内に 先代様は病

 に倒れられ回復の祈りも虚しく 身罷られてしまわれたのでございます

  故に 此度の修理大夫様の申し出は正に渡りに船 先代様に御返し損ね

 た御恩を御返しす可く 此の杉江屋次郎兵衛 身命を賭して御仕えさせて

 頂きまする … 」

「   …   」「   …   」

「 次郎兵衛 言葉が足りぬぞ 」

「 あっ 此れは 私とした事が 申し訳ござりませぬ

  御兄弟様 此の次郎兵衛本日をもちまして 鯨海屋改め杉江屋と名乗ら

 せて頂きまする

  名を改めるに際し少々迷いは致しましたが 馬は地を駆け鷹は天翔るも

 のでござりますれば 水に浮く杉が相応しいと思い至り又 良杉を七尾の

 入り江に運び込みます事から杉江屋と名付けた次第でございます 」

「 鯨海屋はどうするのだ 」

「 弟に継がせまする 」

「 次郎兵衛殿 其れでは其れ此其商売敵に成ってしまうではないか

  其れに 所口湊の辺りは既に隙間無く建て混んで居るのですぞ 

  其の杉江屋 一体何処に建て為さる 」

「 秋実様 常民や御家の御用命は此れ迄通り鯨海屋が承りまするが 杉江

 屋の御客様は修理大夫様御一人でございます 其れに御屋敷は新たに建て

 ずとも丁度良い空き家がございましょう 」

「 空き家 … あっ 」

「 判ったか秋実 旧守護所ならば多少の手を加えるだけで事は済む

  其れに 目の前を御祓川(みそぎがわ)が所口湊迄流れて居るのだ 何を

 するにも都合が良かろう 」

「 納得でござる 」

「 新造船は都合三隻 秋実 御前が乗り込む船が長船(おさぶね)だ

  名は良杉丸 他の二船は良馬丸に良鷹丸と名付ける

  出帆は来年の春 若しくは梅雨の野分(のわき:台風)の間を目安とする

  故に次郎兵衛 其れ迄かならず三隻揃えて就船させよ 」

「 はい 仰せの通り 必ずや間に合わせて御覧に入れまする 」

「 次郎兵衛殿 俺は船に付いては度素人だ 明日から色々教えてくれ 」

「 秋実 一本杉館の出張り所は御前が差配せねば成らぬのだ 船の事は船

 人(ふなど)に任せて御前は商いの心得を伝授して貰うが良い 」

「 其れがしが … で ござりまするか 」

「 他に誰が居る 」

「 秋実様 手前共は矢を弾かぬ代わりに算盤の玉を弾いて日々戦うて居

 るのでございます 商いの掛け引きは戦も同じ 何処か通じる処が有るの

 でござりましょう … 

  檜山 湊の両安東家の御当主 何れも商人としても一流の方々でござい

 ます 秋実様 先ず心せねば成らぬ事は目に見える数字に心奪われては成

 りませぬ 目に見えぬ数字に此其真の損得が在るのでございます 故に目

 に見えぬ数字とは如何なるものか から始めさせて頂きまする 」

「 要は 数字に強い者でなければ務まらぬと言う事なのであろう …

  やれやれ 何とも荷の重い御役目じゃあ 」

「 何を申されます秋実様 荷は重い程秋実様の株は上がるのでござります

 るぞ 」

「 次郎兵衛の申す通りよ … だが秋実 長尾家とは盟を結んで居る故越

 後沖は懸念に及ばぬであろうが 問題は出羽の由利十二頭なる厄介な者共

 よ 其うであろう 次郎兵衛 」

「 はい あの者らの浜へ船を寄せようものならば法外な津料を支払わされ

 た上に 役人共も相場と掛け離れた袖の下を望んで来ます故皆 あの者ら

 の浜地を避けて素通りする様に成ったのですが 銭が入らぬ事に業を煮や

 した奴らは船を見掛けては早舟を仕立てて船を囲み 銭を払わねば船人を

 皆殺しにすると脅す迄に成ってしもうたのでございます 故に船は更に沖

 を通らねば成らぬ羽目と成り皆難渋致して居るのが現状でございます 」

「 … 安宅(あたか)や関船(せきせん)の様には出来ぬのだな 」

「 はい 新造船は飽くまで荷を運ぶ為の船でござりますれば 安宅や関船

 の様に海戦(うみいくさ)には不向きな船なのでございます

  とは申しましても 武装しては成らぬ法はござりませぬ故 武具の類い

 は十分に備えさせ垣立てに盾をずらりと並べて差し上げまする 」

「 … 次郎兵衛殿 船とは 海上で繋げられるものなのか 」

「 波の御機嫌にもよりまするが … 」

「 出来るのだな 」

「 はい     」

「 ならば良杉丸を先頭に品の字の如く繋げられる様手を加えてくれ 」

「 品の字 でござりまするか 」

「 其うだ 名付けて品の陣

  荷品を運ぶ船を護り抜く陣の名に相応しいであろう 」

「 成る程 では其の様に船大工頭に伝えて措きまする 」

「 秋実 遠回りはせず 一気に突っ切る積もりか 」

「 無論でござる兄上 

  丸に二つ引き両紋を掲げ 堂々と通って見せまする 」

「 うむ 良う言うた秋実 

  出帆の其の日迄 手の者らを船に慣れさせよ 海戦(うみいくさ)を想定

 した演練もせねば成らぬぞ 」

「 御任せを 」

「 秋実 次郎兵衛の口利きも有るのだ 恐らく檜山 湊の両安東家との交

 易再開は易かろう だが鹿角の地に小坂村に館を 出張り所を得るには易

 とは行かぬ 」

「 はっ 心得て居り申す 」

「 其此でだ 次郎兵衛の聞き及びによれば 長年争うて居た戸沢と小野寺

 が先頃和睦に至った其うだ だが其の戸沢が今度は対安東戦に向けて着々

 と軍備を整えて居るとの事 今年は無かろうが来年は事有るやも知れぬ

  故に 其の機に巡り逢うたならば何としてでも参陣果たし御助勢仕れ

  其して必ずや功を挙げ出張り所を 一本杉館を確保せよ 良いな 」

「 はっ 此の秋実に 我ら御影畠山弟組に 御任せ下され 」

  山の風が一時集まり 邪気除けに軒に吊るした風鐸が乾いた音をからか

 らと鳴らし 紫色の煙りを激しく掻き乱して後 鉄音(かなね)の余韻を微

 かに残し乍ら 風は止んだ     …

                  …

                  …

                  …

                  …

  ⦅ … んっ … はて 邪馬台無の墓は何処なのだ … ⦆

                  …

                           つづく 

 


 



 


 

 

  

 

   

 



   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の十八

         兄組編   其の以

         

           杉江屋にて


             

「 迷うて居られましたか 」

  口を開く度

  良く陽に焼けた 四角い顔に貼り付く小豆の様な目の莢(さや)も薄

 く開き尊治を見詰めて返す

「 … はい …

  此れ迄 言葉では言い尽くせぬ程御世話に成って参った我ら成るも

  両御本家様の胸の内を相察しますれば やはり出張らねば成りませ

 ぬ故 … 」

「 御世話に成った義理ならば もう十分に御返し為されたではござり

 ませぬか其れにあの御二方 蒲生賢秀様並びに氏郷様は義理を盾に取

 る様な事などせぬ方々でございます

  其の御二方が御許しに成られたのであれば何の遠慮も要りますまい

  愁う事無く御出張り為され 其して必ずや生きて御戻り下され 」

「 清六殿 此度の戦 前田方の勝利は間違いござらぬ 然れど戦は戦 

  生きて戻れるかどうかなど天のみぞ知る処 故に此れ迄の事此の尊治

 改めて礼を申し上げる 」

「 おっ 御止め下され尊治様 手前が今此れ在るは実家でくすぶって居た

 私を鷹の捕り手に加えて下された貴方様の御父上 政治様の御陰なのでご

 ざいます 此れ迄の事は いえ 此れからの事も 其の御恩を直に政治様

 へ御返し出来ぬせめてもの報い 故に 手前に礼など御止め下され 」

「 清六殿 遊佐続光 盛光の親子を討てたのは其方の御陰なのだ

  其の礼だけでも言わせてくれ 」

「 手前は行き掛けの船に御乗せした迄の事 礼を言われる程の事ではご

 ざりませぬが 尊治様が其処迄申されるのであれば 其の御言葉有り難

 く頂戴致しまする 」

「 うむ 其うしてくれ …

  で … 秋実様の実の字を戴いた御方は … 何と言うて居るのだ 」

「 又 其の様な物言いを 其の御方の御言葉を聞きに参られたと言う事は

 広之進殿とは仲直り為されたのでござりまするな 」

  尊治は何の事かと首を傾(かし)げ 傾いだ口に当てた杯を一気に呷り

 開け放たれた闇色の庭へ向いた口がそろと開く

「 … 思い返せば 両御本家様が能登を逐われて後 義慶(よしのり)様の

 突然の死に奴らは直ぐ様弟の義隆様を担ぎ上げたものの 義慶様の後を追

 う様に義隆様も此の世を去られた 二人の死は奴らの手に拠るものに違い

 無く此のままでは未だ幼い義隆様の子 春王丸様の御身も危うい … 」

「 春王丸様を御救いする様 両修理太夫様の御意を蔵治様と宏実様へ御

 伝えせよと 余呉の平(ひら)様より文を託されたのでございましたな 」

「 うむ だが其処は御爺殿 既に策は練り終えて居られたがな 」

「 東の馬場で暴れしは其の帰りの事でございましたか 」

「 存知て居ったか 」

「 宏実(ひろざね)様は 何をして居るのだ我らの身を危うくする積もりか

 とかんかんでございましたが蔵治様は 尊治らしいではないかとほくそ笑

 んで居られましたぞ 」

「 好んで暴れた訳では無い 」

「 あの日は六月の末日 雨乞いを兼ねた夏越の祓えの為の馬揃えの日 」

「 ふんっ 祓えは己れらの悪行が災いと成って帰って来ぬ様願うたもので

 あろうよ 雨乞いを兼ねて居たのだちょんこと水を差してやった迄よ 」

「 はっはっはっ 尊治様も洒落る事がございましたか 

  奴らの幟旗(のぼりばた)が 目に障りましたかな 」

「       …       」

「 成る程 其れならば 万亀丸殿らを叱る訳には参りませぬなあ 」

  尊治は 其れは聞こえぬ素振りで闇色の庭を睨み 話を戻せと杯を呷る

「 そうでございましたな はいはい では 」

  清六は一度言葉を切り

  蝦蟇(がま)の如き大きな口にそぐわぬ小さな声で言葉を継ぐ

「 … では 御話し致しまする …

  宏実様が申しますには 真の裏切り者は … 義春様 … と 」

「 兄上は 何を以(もっ)て其う申して居るのだ 」

「 でのうては辻褄が合わぬ と 」

「 辻褄が … 義春様は大殿義続様の御次男ぞ 信じられぬ 」

「 奴らを恨む事より 春王丸様が居らねばと 

  己れの欲がむくりと頭をもたげた処を … 」

「 温井らに見透かされてし申たか 」

  小豆の莢(さや)がゆるりと閉じた

「 何と言う事だ … ならば兄上は 春王丸様や我が弟組の縁者の方々を

 見棄てて御城を抜けた訳では無いと 」

「 はい やはり其の辺りから御話し致さねば成りませぬな 」


  

  天正五年(1,577年) 九月十五日 十五夜の夜

  春王丸を救う可く 上杉方の総攻撃に乗じ闇に紛れ宏実と兄組の二番組

 が西の丸へ踏み込んだ のだが …

「 宏実様居りませぬ 衛士すら何処にも見当たりませぬ 」

「 ばっ 馬鹿な … 春王丸様は此の西の丸から一歩も外へは御出に成っ

 ては居らぬ筈 ええいっ探せっ探せ探せ 何としてでも探し出すのだ 」

  二番組の者共は宏実の叱咤に隈無く探すも 春王丸の姿は何処にも見当

 たらず不安と言う名の振り子の幅が大きく振れる

「 やはり 何処にも見当たりませぬ … 宏実様 … もはや 」

  二番組の組頭 佐々木茂平が焦りの眼を向ける

「 馬鹿を言うで無い茂平 」

  言うてはみたものの 身体から血の気が引いて行くのを感じずには居ら

 れぬ宏実であった

「 … 宏実様 時間(とき)がござらぬ 此処は一旦退けの指図を 」

  茂平の面に焦燥の色が浮かび 宏実の身体の中で一度引いた筈の血の気

 が凄まじい速さで逆流を開始する 

「 くうっ おのれえいっ 乱心賊子の者共があっ 無念だが 

  ええいっ者共 退けっ 退けえいっ 」

  前庭に飛び下りた宏実の眼に 庭の隅にこんもりと盛り上がる土饅頭が

 ちらりと映る 震える指を歯噛みする口へ突っ込み吹き鳴る音も何処か寂

 しく寂しき音に導かれ 菊池鈴之助率いる三番組が兄組の縁者を引き連れ

 庭の石垣から連なる楼門を抜けて行き 其れと入れ代わる様に一番組の組

 頭山野一圭が紅葉色の房髪(ふさがみ)を揺らし乍ら駆け来たり片膝付いた

「 応っ 一圭 」

  声を掛ける茂平を見上げた一圭の面に諦めの色が滲む

「 … 茂平 … 御前の背に春王丸様の姿が見当たらぬが 」

「 … 察せよ一圭 」

「 … やはり 其うであったか 」

「 やはりとはどう言う事だ 御前此其 弟組の縁者の方々は如何した 」

「 … … … 」

「 … 真逆とは思うが … 其うなのか 」

  一圭は 右の拳でがつりと地を打ち

「 宏実様 弟組の縁者の方々皆 既に … 」

「 … 殺られて居ったか 」 

「 はっ 」

  半ば呆然とする宏実の前に

「 宏実様 両組頭 奴らが来ます 」

  一圭の手の者が告げ来たる

「 誰の勢で 数は 」

「 茂平 事此処に至っては誰の勢かなどどうでもよい 数もな  

  一圭 手の者は揃うて居るな 」

「 はっ 」

「 一番組の者共で奴らを迎え撃つ 」

「 宏実様 我ら二番組も 」

「 茂平 其方ら二番組は鈴之助の三番組と共に

  縁者の方々を確と御守り致せ 」

「 しっ 然し宏実様 」

「 茂平 此処は我らに任せて行ってくれ 」

「 一圭 … 判った縁者の方々は任せてくれ 

  では 宏実様 御先に後免 」

  茂平ら二番組は切歯扼刀(せっしやくとう)し乍ら門を抜け

「 者共良く聞け 此の庭に突撃して来る者は全て入れる 投矢の棒を得手

 とする者らは屋根へ登れ 合図の笛が鳴り次第其方らは屋根の上から打っ

 て打って打ちまくれ 矢が尽きた者は我らに構わず茂平らの後を追うの

 だ 途中向こうて来る者有らば容赦はするな 

  斬って斬って斬りまくれえいっ 」

  応っと鬨の声の後に 奴ら来たるの笛が鳴る

「 来るぞ一圭  」

  はっ と応ずる間も無く無考の者らが一気に雪崩れ込んで来る

  一番組の斬撃凄まじく 

  刃を向けて来る者の腕は断ち斬られ首は刎ね飛び 

  宏実の刀撃も正に阿修羅の如く 返り血を浴びた面は怒気に満ち 

  かっと見開いた眼はぎらりと光り 刃の列がじりりと後ずさる 

  同時に一圭の口から指が鳴る 

  其れを合図に 屋根の上から次々と矢が打ち込まれ前庭は無考な者らの

 死体で埋め尽くされた

「 宏実様 退き時でござりましょう 」

「   …   」

「 宏実様 」

「 … 一圭 手の者率いて先に行け 」

「 なっ 成りませぬ 其れは成りませぬ 」

「 行けと申すに 」

「 ならば其れがしも最期迄御共致します 」

  手の者らも我も我もと声を上げる

「 … 御前ら … 一圭 殿(しんがり)は俺と御前だ 」

「 はっ 皆の者 … 行くぞ 」

  言うなり 紅葉色の房髪がゆらと揺れ

  宏実らは二番組の後を追った

     …     …     …     …

  

「 … 清六殿 … 

  兄上らが七尾の御城を抜け出た処迄は我らも既に探り知って居る 判ら

 ぬのは 落ち合う筈の気多大社(けたたいしゃ)に誰一人居らなかったのは

 何故だ 」

「 追っ手が直ぐ其処迄迫って居たのでございます 

  宏実様は気多大社に籠る事も考え為された其うですが 追っ手は上杉の

 上条政繁率いる勢凡そ五百 縁者の方々を抱えては流石に太刀打ち出来ぬ

 と 宮の浦に泊まって居た船に乗り込んだ其うにございます 」

「 追っ手は上条政繁 今は義春様の養父 … 成る程な …

  義春様の裏切り 真の様だな …

  で 兄上は何故彼の地へ向こうたのだ 」

「 いえ … 何処へ向かう積もりも無かったのでございます 

       …     …     …


「 一圭 茂平 鈴之助

  弁才船が丁度三隻在る 手前の船から組毎に乗り込め 」

「 船長(ふなおさ)には何と 」

  一圭の問いに

「 銭は払う 織田の援勢が来る迄沖に避難させてくれと 」

「 御任せを 」

  冑をがしゃりと外した紅葉色の房髪が ざぶりと波に乗る

「 相変わらず見事な泳ぎっぷりだわい のう鈴之助 」

「 真に 正に水を得た魚 あ奴 前世は海豚(いるか)か何かであろう …

  おっ もう着き居った 早いのう … 」

  背から射し込む朝陽が波のうねりに照り返り

  額に手を翳(かざ)す宏実の前に 宏実の許嫁(いいなずけ)美春が膝を折る

「 … 如何した 」

「 … 御耳を  」

  耳打ち終えた美春へ 耳打ち返す宏実の面は苦渋に満ち 握る手の平に

 血が滲み砂地を後退る美春へ向いた宏実の目蓋が静かに閉じた

「 むっ 手を振って居りまするぞ 」

  茂平の声に

「 うむ 話しは付いた様だな 

  さあ皆の者 縁者の方々を御乗せしろ 急げ 急ぐのじゃあっ 

     …     …     …     …


「 … 何とか船に乗り込む事が出来たのですが … 」

「 … 御爺殿は 其の時に … 」

「 … はい 疫病に冒されたまま回復せず 宮之浦に着いた途端眠る様に

 逝かれた其うにございます … 」

「 其れであの様に 野晒しのままであったのか 」

「 はい 戻る迄の暫しの間の事と思うて居りました宏実様に取りましては

 正に青天の霹靂 安置場が人目に付かぬ処とは申せ結果 置き去りにした

 事に変わりは無いと … 」

「 苦しみを一人で背負うて居られたか 」

「 … 尊治様 …

  宏実様の真の苦しみは 此れからなのでございます 

     …     …     …     …


  宏実らが船に乗り込むのを待って居たかの様に

  南から生暖かい風が吹いたかと思う間も無く空は曇天し

  船を操る弁才衆の顔も俄に曇り出す

  降り始めた雨は行き成り横殴りの雨へと変わり

  風を孕んだ筵帆(むしろほ)は帆柱を軋ませ

  船はゆらりと大きく揺れて傾き

  傾きが戻る度にざばりと岸から遠ざかる


「 ちっ 碇も役に立たねえ様だなあ

  おうっ 綱が切れちまわねえ内に碇を上げろ 」

  石を木で挟んだ木碇(きいかり)が ゆるゆると引き上げられて行く間

  風も雨も其の勢いを増し 帆柱は悲鳴を上げ乍ら円を描いて撓(しな)り

  飛礫(つぶて)と化した雨が容赦無く頬を打つ

「 ふっ 船長(ふなおさ) 此りゃあ直に嵐になりゃあすぜ 其れも大嵐だ

  其うなりゃあ此のぼろ船だあ 長くはもちゃあせんぜ 」

「 其んなこたあ おめえに言われんでも先刻承知の助よう

  此の船だけじゃあねえ 

  他の船も此の冬には薪に成る運命(さだめ)の船だ 

  其の間 浦内で人を乗っけて下ろすだけの楽な仕事だから引き受けたん

 だが 季節外れの此の大風 おめえの言う通り船は長くは持つめえよ 」

「 だったら何で碇を上げさせたんでやんす 」

「 奴らとは 織田の兵が来る迄船から下ろさねえと約を交わしたんだ

  今下りて下せいと言った処で奴らは下りねえだろうし 下手を打てば此

 の場で手打ちにされちまうわ

  其れに此の浦は言わずと知れた能登の一之宮気多大社前の宮之浦だ 何

 かと人目も多い 奴らを残したまま俺達だけで海へ飛び込む訳にも行くめ

 えし かと言うて此の浦で船を沈めちまっちゃあ幾らぼろ船といえども俺

 達弁才衆の沽券に関わらあ 

  其れに見てみろいあの竹に雀の織旗(のぼりばた)を ありゃあ上杉の兵

 だ 敵方に手を貸した俺達を奴らが赦す筈もあるめえし取っ捕まっちまっ

 たらおしめえだ うんともすんとも言えねえ内に首を刎ねられちまうだろ

 うよ 前門の虎に後門の狼っちゅうやつよ 」

「 あっしは前門の女陰(ほと)に後門の菊 どちらでもよろしゅうござりま

 すがのう で どうしますんで 」

「 其の前(めえ)に 風を避けやすんでちいとばかし船を走らせやすが雨が

 止む迄 中で御待ち下せいと奴らに言って来やがれ 」

  其の間も風は益々強いものと成り帆桁(ほけた)は甲高く 帆柱は鈍い音

 を立て続け波は更に大きくうねる

「 船長(ふなおさ) みんなおとなしくへいりやしたぜ 」

「 そりゃあ其うだ 船の上じゃあ俺達の言う事を聞くしかねえんだからな

  いいか良く聞け 滝崎を越えちまやあもう人目を気にするこたあねえや

  だが 柴垣の海岸迄何とか此のぼろ船を持たせるんだ 其れぐれえ俺達

 の腕を以てすれば何とか成るべえよ 」

「 なある あの辺りは浅瀬でやんす 波に乗りゃあ勝手に砂地に着いてく

 れやすな 」

「 其う言うこった

  船主の杉江様は感の良い御方だ下手な嘘は付けねえや だがな俺達は必

 死に船を操りましたと実を作って真を言えば嘘とばれる筈もねえやな 」

「 流石は船長(ふなおさ) 」

「 へっ おだてるねえ 

  おうっ 舵持ちには舵を当て乍ら舳先を北へ向けろと伝えろ 但し無理

 をしちゃあならねえとな 其して柴垣の岸に近付いたら … 」

「 扉に閂を通して舵を縛り付けるんでやんすな 」

「 判ってんじゃあねえか 万に一つでも戻って来られちまっちゃあ俺達の

 命はねえ しっかり結ばせろ 」

「 へっ へえ ですが他の船は付いて来やすかね 」

「 心配するねえ考えるこたあ同じだ ほれ あいつらも船を廻し始めたじ

 ゃあねえか皆 己れの命は惜しいもんよ 」

⦅ … 御影の衆には済まねえが悪く思わんでくれよ 命あっての物種だあ

   だがよう 此の三船で最期を迎えるなんざあ此れも運命(さだめ)っ

  てやつだな あんたらには相応しい棺桶に成るだろうよ

   重しの銭は勿体ねえが三途の川の船賃と思うてくれてやらあ

   せいぜい成仏してくんなあ … ⦆

  持衰(じさい)の風習も廃れて久しいが 船長(ふなおさ)は此の三船を御影

 一族の冥土への水先人としたのであった

  海に慣れぬ御影の者らは 船が動き出すと同時に酔いをもようす者が相

 次ぎ 傾きが増す度に酔いも増し窓は在るものの立つに立てず 然程時間

 (とき)を措かぬ間に床は吐瀉物で汚れ 船が波間を木の葉の如く舞う度に

 汚物にまみれた身体は異臭を放ち其の悪臭が新たな吐瀉を生む

  七尾の城内で悪疫に耐えて来た者らであったが 中には疫の種を宿して

 居た者が居たのか年老いた者や幼子から斃れ出し もはや泣く事の出来ぬ

 子を抱えた母親は泣き叫ぶ事しか手立てを知らず 船内は悲惨を極め宏実

 の苦悩の始まりと成った

  三日後の朝嵐は漸く収まり 扉を抉じ開けた者から表え出 出た者は甲

 板に横臥する あれ程猛威を奮って居た風は何事も無かったかの様にぴた

 りと止み 空は何処までも蒼く荒れ狂った海も静やかに碧かった

  昨日迄とは打って変わった其の景色に 皆生の実を噛み締めて天を仰ぐ

  廃船間近い三船が一船も沈む事無く揃って浮かぶ其の様は 正に奇跡の

 一語に尽き御影の者らは互いに手を取り合って喜びを分かち合い 慣れぬ

 櫂を手に船を寄せ綱を投げ合って船を繋ぎ 宏実と組頭は額を寄せて現在

 (いま)を語る 死者は三船合わせて十五名であった

  宏実は心を傷め乍らも

 「 消沈して居る暇は無し 」

  真水の有無を確かめる可く船尾へ向かう

  弁才衆が爐呂〞と呼ぶ真水を溜め措く水樽は船の最後尾に据えてあり

  三船共に樽の蓋は外れ水は半分も残って居なかったが 真水があるとい

 う事にほっと胸を撫で下ろした宏実は 船尾から屋倉の屋根迄駆け上がり

 大音声で宣った

「 皆の者 先ずは己れの身と船を浄(きよ)めねばならぬ

  着物を脱ぎ 海の水を汲み上げて身体を洗え 洗い終えた者から病者の

 身を浄(きよ)めて差し上げよ 亡骸は筵帆を切り分けてくるみ屋根の身木

 (みき:舵の軸)の前に並べ置け 其れを為して後着物を濯する者 船内を拭

 き浄める者 船の修繕を試みる者に分かれ作業に当たるのだ 」

  率先垂範 宏実は着物を脱ぎ下帯の紐も解(ほど)いて素裸と成りざぶん

 と海へ飛び込んだ 皆も宏実に倣って着物を脱ぎ次々と海へ飛び込み 泳

 げぬ者は綱で結んだ桶を海へ向けて放り込む

  最後の一人が飛び込み終えた頃 濡れ髪を後ろへ掻き上げ乍ら折れた帆

 柱へ歩み寄った宏実は 帆柱の綱を着物を干す干し綱に張り替えて再び屋

 倉の屋根へ上がり 鮪(しび)の如く並ぶ亡骸の前に膝を着き手を合わせて

 頭(こうべ)を垂れた 立ち上がり様 舵柄に凭(もた)れて腕を組み今手を合

 わせたばかりの波打つ筵帆にちらりと目を遣る

⦅ … あの不浄極まり無い船内で死者は出たものの 波に浚われた者も折れ

  た帆柱の直撃を喰ろうた者も居らず何より船は沈没を免れたのだ

   弁才の者共へ恨み言の一つでも言うて遣りたいが 閉じ込められた事

 が不幸中の幸いであったのやも知れぬ … ⦆

  今は他人(ひと)を恨む事より成さねば成らぬ事が有るのだと 己れを納

 得させる可く屋倉の上から下を覗き込む

  船蔵は 外れた甲板から入り込んだ 空と海の水で満ちて居る

  其処へ洗い流れた汚水迄もが注ぎ込み 修繕組の何人かが混水を掻き出

 して居るものの桶の数も足りず 此のままでは埒(らち)が開かぬと思い倦

 (あぐ)ねて居た処へ矍鑠(かくしゃく)たる老輩が宏実の前に片膝を着いた

「 其れがし 若い時分に秋実様に従うて船に乗り出羽の安東家へ出向いた

 事が幾度かござる 」

  と申し出た

  宏実は 此の水を掻き出す術(すべ)を知って居ろうかと問い

  老輩は 其れを告げに参りましたと面を上げた

「 帆柱の根の真後ろに爐垢辰櫃〞と申す水を吸い上げる絡繰(からく)り

 がございます 他の船には既に其の所在と扱い方を伝えて参りましたが

  宏実様 … 実は此の三船 其の折りの三船に相違ござりませぬ

  其の証しに其れがしが乗り合わせました船には良馬(りょうば)丸 隣の

 船は良鷹(りょうおう)丸 其して此の船には良杉(りょうさん)丸と墨書きさ

 れた船名額が船内に掲げられて居りました故間違いござりませぬ 」

  宏実の眉がぴくりと動くも 既に知って居たのか其れは聞こえぬそぶり

 で爐垢辰櫃〞の扱い方を訊ねて後 

「 御老輩 櫂と舵を扱えるか 」

  と続けて問い 見様見真似ではございますが と応じた老輩へ

「 ならば此れより其方が師となり 我らへ手解きして下され 」

  言うなり 宏実はざぶんと船蔵へ飛び下り 絡繰りの前に立ちぎっと握

 り締めた爐垢辰櫃〞の取っ手を引き上げては押し戻すを繰り返し 其の

 度毎にずずっ ずずっと鼻を啜(すす)るに似た音の後にぼこっ ぼこっと

 大きな泡が足下から湧いて出る

  手の者の 代わりまするの声掛けも耳に届かぬのか 何かに取り憑かれ

 た様に一心不乱に取っ手を動かし続け 全身から汗が吹き出し意識が朦朧

 とし始めた頃 漸く水は少しずつ引いて行きゆっくりと渦を巻き始めた

  其の渦の真ん中で

⦅ … やはり 俺は此の船に乗る運命(さだめ)であったのだ …

   運命とあらば 神は我らを彼の地へ導かれる御積もりなのか … ⦆

  宏実の心の叫びが過去の記憶を呼び覚まし其の記憶が脳の中で渦を巻く

  渦は更に大きく激しい渦と成り 兄組のみならず縁者の方々迄をも巻き

 込んでしまった事に 宏実の心の帆柱は今にも折れ其うな程ぎしぎしと音

 を立てて揺れて居た 

                …

                …

                …

                …

                         つづく


  







  









 

 

  


  

 

  

 

 

  



 


   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の十七

        葬 送 の 御 霊 魂 玉

        そうそうの み たま だま



  何処迄が山なのか 

  何処からが空なのか

  判らぬ程の闇の中

  七尾の北西に 

  四方を小山や森に囲まれた

  赤浦と呼ばれる潟湖が在る

  南北に伸びた赤浦の潟は中程が細く括れ 

  其の括れの両岸から長さ二十間の橋が架かり

  其の橋の真ん中に源心が仁王立ちに立って居る

  手の者らに細かな指示を送り続ける二人の小頭の傍らで

  一体何が始まるのかと

  密かに心弾ませて居る万亀丸の姿があった


⦅ … あれが御霊魂玉(みたまだま) …

   ちょんこと 大き過ぎやしませんか 源心の御頭 ⦆ 

  源心が立つ橋の真下に橋脚に繋がれた小舟が浮かび 小舟の底板から立

 ち上がる棒の先には径三尺の提灯の様な物が据えられ 其の上部から突き

 出た管と紐の様な物が橋の上迄延びて居る

  其の小舟から橋と丁の字の形を為す様に 潟湖の北側へ五艘の小舟が舳

 先を橋に向けて並べられ それぞれの船尾と舳先は長さ二間の綱で結ばれ

  小舟には手の者が二人づつ乗り込み

  一人は舳先で水竿を水底へ打ち込んで舟を固定し

  一人は船尾に腰を下ろし 抱えた龕灯(がんどう)の灯りを橋の上から細

 かな指示を送り続ける背の高い小頭へ向けて居る

  小舟の長さも二間 故に橋の中央から五艘目の船尾迄の距離は二十間と

 成る 赤浦の周りを張る手の者らも皆 辺りに気を配り乍ら固唾を飲んで

 見守る中 水で濡らした大きな暗幕を橋の南側の高欄から垂らし終えた手

 の者が 背の低い小頭へ整い終えた事を告げ 続いて 

「 此ちらも良うござる 」

  背の高い小頭の言葉に 源心は諾の眼を向ける

  龕灯は整然と交互に並び闇夜の水面に映え乍ら 赤浦の潟に優しく揺蕩

 (たゆた)う小舟と共に静かに其の時を待って居る

「 良いか皆の者 試すは一度きり龕灯持ちは確と検せよ 良いな 」

「 はっ 」

  一斉に承りの声が響き 龕灯持ちは灯り口を塞いで眼を見開き 棹持ち

 は橋に向けた背中を丸めて眼を閉じ 他の者は黒色に染められた手拭いを

 目に巻き付ける

  橋の上では 背の低い小頭が鞴(ふいご)の取っ手を握り締め勢い強く風

 を送り 源心は心の内で数を数え

「 うむ 頃合いだ火を点じよ 」

  背の高い小頭が導火線に火を点じ じっ じじっじじっと微かに音を発

 し乍ら導火線は仄かに燃え進み 橋の地覆(じふく)から橋脚を伝って下へ

 と消えた 程無く かあっ と凄まじい閃光が一瞬にして放たれ 橋上に

 立つ源心らの姿が薄青白い光りに包まれ闇に浮いた

「 わっ 」 「 くっ 」 「 むおっ 」

  日頃 滅多な事では声を上げぬ者らが上げる程の光力であった

  背の低い小頭が龕灯の灯り口を開いて合図を送る 直ぐ様五艘目の小舟

 から合図が送られ続いて四艘目 少し遅れて三艘目の舟から灯りが届く

「 三艘目の舟尾迄十二間 此の距離ならば十分でござろう 」

「 甘いのう 藤八 」 

「 異論か 兄頭 」

「 逆に十二間有れば 反撃の時を与えるには十分な距離だ

  其れに今宵の様に 目に黒い手拭いを巻いたままでは闘えず龕灯も使え

 ぬ闇の中 我らは如何にして間を計れば良いのだ 」

「 そっ 其れは …

  万亀丸殿 御影の方々は如何に為されて居る 」

「 はっ 其れが … 御影の御霊魂玉はもっと小さく 私などは近付いて

 見れる物では無く 故に光りも淡く見えて居りましたので …

  此の様な激光 私 初めて目にしてござる 」

「 左様か … 御頭 」

  藤八が源心へ問い口を向けるも 源心は素知らぬ素振りで舟に乗り込ん

 で居た者らが橋の上に集まり終えるのを待ち

「 どうた 一艘目から申せ 」

「 どうだもこうだも御頭 

  導火線の燃え具合で来るとは判りましたが

  あの様な激光を諸に喰ろうては如何に其れがしとて 後ろへ仰け反るし

 か手は無く 我が目は今尚開ける事さへ儘成りませぬ 」

「 二艘目も同じでござる 」

「 三艘目はあの光りに耐えられはしましたが 

 視界は未だ覚束無しでござる 」

「 四艘目は未だ目の奥にちかちかと光りが残り

  動く事は出来ますものの 少々遅れを取るやも知れませぬ 」

「 五艘目も 同じでござる 」

「 うむ … 聞こえたか 藤七 」

「 はっ 五艘目の舟尾迄二十間

  此の距離ならば十分でござる … なれど 」

「 如何にして間を計る … か 」

「 はっ 」

「 ふむ … 藤八 困った時は 」

「 御影様 」       

「 うむ 皆御苦労であった御酒を用意して居る

  今宵は張り番の者を残しゆるりと休め

  砥草(とくさ)の茎を煎じた木賊(もくぞく)も揃えて置いて在る故 龕灯

 持ちは其れを飲むのを忘れるで無いぞ 痛む目に効く筈だ 」  

  源心の言葉に 手の者らは暗闇に笑みを隠し潟の東湖畔に佇む組屋敷へ

 漫(すず)ろと向かう

「 御頭も 今宵は御休みくだされ 」

  背の高い小頭が促すも

「 いや もう暫く此処に居る 」

「 もう 三日も寝て居らんのですぞ 」

「 藤七 藤八 御前ら此其休め 俺に付き合わんでも良い 」

「 しっ 然し御頭 今宵の張り頭は … 」

「 待て 藤八 」

  藤八の言葉を制した藤七の眼が そっと下へ動く

「 … むっ 兄頭  まっ 真逆… 」

「 恐らく … 其の真逆よ 」  

  小声で問う藤八へ藤七も小声で返し

「 其れでは 私は此れで 」

「 万亀丸殿 たまには二人に付き合うてやってくだされ 」

「 有難や御頭 我らも其う思うて居た処でござる

  否とは言わせませぬぞ万亀丸殿 のう兄頭 」

「 応よ 今宵は尼和殿との馴れ初めを聞かせてくだされ 」

「 あっ いや 私は今宵の内に戻りませぬと 」

  返す言葉も空しく 万亀丸の身体はあっと言う間に宙に浮き屋敷の中

 へと吸い込まれて行った

  三人を見送った源心は橋脚に繋がれたままの舟へ飛び乗り 舟尾に腰を

 下ろして龕灯に火を点じ 激光の残骸を眺め見る


  三日前の事である

  兼ねてから尊治に頼んで居た巻物を受け取った源心は 其れを手に深夜

 にも関わらず七尾城の作事場に向かい火術方の火薬師頭を叩き起こして居

 たのであった

「 親方 急ぎの用向きだ 頼む起きてくれ 」

  寝端を挫かれた上 行きなり巻物を突き付けられた火薬師頭は流石に仏

 頂面で迎えたものの時が時でも有り

「 此れと同じ物を作り 俺の目の前で試して見せてくれ 」

  と頼まれては

⦅  普段の源心殿とは思えぬ程の慌て振り 余程の事なのであろう ⦆

  気を取り直したものの 濃い縹色(はなだいろ)に染められた巻き物の表

 紙には 葬送の御霊魂玉(みたまだま)と墨書きされた外題の細長い紙が貼

 り付けられて居り

⦅  一体何の事やら ⦆

  やはり 御断り致そうかと億劫そうに紐を解(ほど)いて見たならば尾題

 の 光材を倍量致さば目眩ましに変ずの文字が目に入り 読むだけは読ん

 でやろうと 読み進む内に火薬師頭の居住いは正しいものとなり

  精読して後

「 源心殿 我ら爆裂を旨とする火薬玉作りを専(もっぱら)らとする者 其

 の者らに音もせず人も殺さず 只光りを発するだけの火薬玉を作れとは 

 何とも的を外れた事を申される御方じゃ 然リ乍ら 此れは面白い

  良うござる 御引き受け致しましょう 」

「 相済まぬ 此の忙しい時に引き受けてくれるとは 真に痛み入る 」

「 なあに 石動山攻めの弾薬は既に目処が立って居りますれば 御懸念に

 は及びませぬ なれど源心殿

  其れがし 石動山攻めの片が着くまで 此の場を離れる事は許されませ

 ぬ故 足りぬ用材は其ちらで御用意くだされ

  揃い次第 直ぐ様取り掛かれますよう備えて措きますが 先に竹細工師

 を一人廻して頂きますよう矢師頭に継(つな)ぎを付けてくだされ 」

「 相承知 で 他に何が必要なのだ 」

「 はい 竹は竹細工師に用意させる事として …

  紙は自前で何とか成り申そう …

  其れがしの手元に無い物と申しますと 先ずは砥糞(とぐそ)でござる

  此れは研ぎ場へ行きますれば 容易く手に入りましょう

  砥糞は 刃物の研ぎ初めには欠かせぬ物でござる故 腕の良い研ぎ師程

 砥糞は全て流さず取って措いて有る筈でござる なれど 完全に乾かして

 粉にせねば成りませぬ故 此ればかりは早めに御持ちくだされ

  後は … 鋸屑(のこくず)と鞴(ふいご)でございますが 鋸屑は此の作事

 場の一室(ひとむろ)に山と積まれ篝籠(かがりかご)に焼(く)べられるのを待

 つだけの物でござる 鞴は鍛冶屋で調達出来ましょう 」

「 以上か 」

「 はい … あっ 大事な物を忘れる処でございました 」

「 何だ 」

「 最後の仕上げに砂糖と塩を少々 … 」

  真事(まじ)か 想いつつも組屋敷へ取って返した源心は 手透きの者を

 集めて夜明け前には全て揃える事が出来 其の夕早くも仕上がったとの報

 せが入る

「 もう出来たのか 」

「 はい 用材さへ揃えば 存外容易いものでございましたな

  なれど源心殿 此の巻き物を信じて居なかった訳ではござりませぬが 

 真逆 砥糞や鋸屑が光り玉に化け様とは正に目から鱗 真に良い物を教え

 て頂きました 源心殿此の巻き物の主様に宜しく御伝えくだされ

  出来得る事ならば 一度御会いして見とうござると 」

「 うむ 今は何処の何方とも申せぬが時が来れば必ず会わせて遣わす 」

  はいと頭(こうべ)を垂れる火薬師頭へ

「 親方 整いました 」

  弟子が告げ

「 左様か さあっ 源心殿 参りましょう 」

  案内された部屋の壁板には防火と遮蔽の為の暗幕が張られ 弟子達が其

 の暗幕へ向けて口に含んだ水を霧状に吹き掛けて居る

  土間の中央に突き立つ細竹の上に径六寸 蹴鞠(けまり)程の丸い玉が乗

 り玉の下部から導火線が螺旋(らせん)に竹を伝わり 一つだけ灯りの点(と

 も)された燭台の下迄這って居た

「 源心殿 先ずは巻き物の外題通り

  葬送の御霊魂玉を再現致しまする … 始めよ 」

「 えっ 親方 初手は … 」

「 判って居る だが源心殿には時間が無いのだ

  其れに 元を素の目で見て貰わねば意味が無かろう 」

「 しっ 然し親方 此の距離では 」

「 構わぬ 遣ってくれ 」

「 … はっ では 源心様 御覚悟を 」

  火薬師頭と弟子達は黒色の手拭いを目に巻き付け 源心は弟子の一人に

 促され部屋の隅迄退き 他の弟子が鞴の取っ手を握り締めゆっくりと風を

 送り出す 鞴の送風口から伸びて居る管の先は土間に潜り込んで居る

  どうやら管は 土中を伝い細竹に繋がって居る様である

「 … 点ぜよ 」

  火薬師頭の声を合図に 別の弟子が燭台の灯りから付け木に火を移して

 導火線に点じ 其の線火の灯りに集中す可く燭台の灯りは吹き消され 仄

 かな炎がじっ じじっ じじっ と音を立て乍ら まるで産まれたばかり

 の龍の子が其の身に余る宝珠を得ようとするが如く細竹を燃え昇り 炎の

 鱗が宝珠に吸い込まれた刹那 かっ と閃光が煌めき源心の意に反し片方

 しかない目が思わず閉じた

「 如何でございます 源心殿 」

「 うむ … 想うて居た以上の光り様であった 」

「 左様でござりましょう 」

  手拭いを解いて向ける火薬師頭の面に笑みが浮かぶ

「 … 未だ 目が眩んで居るは 」

「 おい 手を貸して差し上げよ 」

  弟子に手を引かれ部屋に戻った源心の手に 濡れた手拭いが手渡され

「 目は潰れぬであろうのう 」

「 ははっ 御心配には及びませぬ

  暫くは目の奥がちかちかと痛みましょうが 必ず元に戻りまする

  なれど念の為 此れを御飲みくだされ 」

「 何だ 」

「 はい 砥草(とくさ)の茎を煎じた木賊(もくぞく)でござる

  痛めた目に良く効く薬でございます

  我ら火薬師には欠かせぬ物ではございますが 源心殿には御酒の方が宜

 しいですかな 」

「 両方くれ 」

「 ははは 流石は源心殿 此れ 源心殿へ御酒を 」

  畏まりましたと弟子らは奥へと消え

「 親方 後学の為に教えてくれ あの光り玉 何故(なにゆえ)音もせず 

 光りだけを発する事が出来るのだ 」

「 はい先ずは光材でござる あの光り玉の光材は砥糞と火打ち石を粉にし

 た物と 篩(ふるい)に掛けた鋸屑に硫黄の粉を塗(まぶ)した物でござる 」

「 砂糖と塩を忘れて居るぞ 」

「 はは 此れは一本取られましたな 勿論 何れも臼にて挽き粉にしてご

 ざいます 粉にする事で空気を送った際 玉内に満遍なく行き渡らせる事

 が出来ますので 」

「 うむ … で 」

「 はい 研ぎ師らが用います材種には決まりは無く 其れ其れが此れはと

 思うた石を用いるものでござる 故に 石の種類は多岐に渡り砥糞の中に

 は研がれた刃物の鉄粉(かなこ)も混じりまする

  鋸屑も檜 杉 松などが主でございますが此れらは付け木に用いられる

 程火の着きやすい木材でござる 火打ち石に付きましても 今其れがしの

 許にございます燧石(すいせき) 玉髄(ぎょくずい) 玻璃(はり) あじ(黒曜

 石)と全て使うて居ります故 鋸屑に硫黄の粉を塗す事で発火の作用が急速

 に促され 多岐に渡る材種があの様な光り様をするのでござりましょう 

  更に 其処の焙烙玉(ほうろくだま)を御覧あれ 」

「 … 此れがどうした 」

「 はい 瀬戸内の水軍が得手とする焙烙玉も 我らが得手とする爆裂玉も

 仕組みは同じでござる 焙烙玉は陶器を用い爆裂玉は紙ではございますが

 膠(にかわ)にて幾重にも重ね合わせた物でござりますれば 焙烙玉も爆裂

 玉も共に頑強な殻を持つが故に爆発の威力も増すのでござる あの光り玉

 の殻も紙で出来て居りまするが 」

「 俺には 薄紙に見えたが 」

「 はい あの紙は薬師(くすし)や我ら火薬師が扱いし薬包紙でござる

  此の薬包紙成る物 一度火が着きますれば あっと言う間も無く燃え尽

 きてしまう物でござる … つまり 」

「 … 爆発の際 圧が掛からぬ 」

「 左様 堅固な城門を破るには 其れなりの道具を必要とし其れなりの音

 がするものでござる なれど 其処の軒に掛かりし涼廉ならば … 」

「 腕押し処か指で済む 」

「 はい 故に光りを発すると共に ぼぉっ と燃え尽きる音を残すだけな

 のでござる 」

「 … 成る程 … 得心が行った 」

「 後は送る風の加減でござる

  強すぎても弱すぎても成りませぬ あの光り玉の成否は実は風の加減

 と言うても過言ではござりますまい 」

「 うむ 良う解った 」

「 其れで 源心殿 大きさは如何程 其して其の数は 」

「 うむ 径三尺 数は試しを含めて九つ 出来るか 」

「 八卦の陣ならぬ八光の陣でござりまするな 御任せくださりませ 

  其れ其れ 

  天 地 風 雲 龍 虎 鳥 蛇 と印し 仕上げて措きまする 」


  源心は龕灯の灯りを吹き消し 舟尾の腰掛けを枕にごろりと横になる

⦅ … 天 地 風 雲 龍 虎 鳥 蛇 …

   餓鬼の頃 左右組と組んで良う遊んだは …

   さて 後はどう誘(おび)き寄せるか なのだが … 其の前に ⦆

「 … 善 」

     …     …     …     …     …

「 居るのは判って居る 」

  舟尾の左側で ちゃぷりと音がし

「 … 久しゅうござる 源兄(げんにい) 」

「 元気其うだな 」

「 源兄も 」

「 片目の世界に漸く慣れた処よ 」

「 … … … 」

「 で 何用だ 」

「 話を聞いてくれるので 」

「 ふっ … 

  我らの張りを掻い潜り忍び入った事への褒美よ

  聞くだけは聞いてやる 」

「 忝(かたじけ)ない 実は ─ ─ ─

  善行は舷側に頭を当て 闇の水面へ向けて語り出し 暫しの後

  ─ ─ ─ どうだ源兄 俺の話に乗ってくれるか 」

「 … 其処な御方も善と同じ想いか 」

「 なっ 何を言う源兄 俺の外には誰も … 」

「 流石は伊賀倫組の頭領 服部源心殿でござる 」

  ざっと水が持ち上がり 源心が乗る小舟の舳先に黒い影が丸く乗り

「 御初に御目に掛かる

  其れがし 今は無き甲斐は武田の傍人組の頭領 ─

「 赤沼の黒丸 又の名を河童の黒太郎 … 殿 」

「 其れがしの又の名迄存知て居られるとは … 光栄でござる 」

「 ふっ 蛇の道は蛇 と云うやつよ 」

「 黒丸 来るなと言うた筈だぞ 」

「 善行殿 先程の光り玉を目にした以上 此の御方は我らを生きて返しは

 しますまい

  今彼方様に死なれては其れがし 遊佐様に顔向け出来ませぬ故

  其れがしが盾と成り申す さあ 今の内に 」

「 いや まだだ

  源兄 応えてくれ 俺の話に乗るのか 乗らぬのか 」

「 乗る訳が無かろう 」

  東の岸から声が上がる

「 其の声は 藤八 」

  西の岸からも

「 女御は騙せても 我らを誑かすには至難の業ぞ … 善 」

「 とっ 藤七 … おっ 御前ら 何時の間 ─

  善行の言葉が終わらぬ内に 東西から十字が飛ぶ

  がっ

  きっ

  東の十字は黒丸が

  西の十字を善行が叩き落とすも 藤七の肩越しから矢が走る

「 善行殿っ 」

  声より先に善行の前へ跳んだ黒丸の背中に どかりと矢が突き刺さる

「 くっ 黒丸っ 」

  黒丸は其のまま善行を抱き抱え ざぶりと湖(うみ)へ飛び込み

  続いて飛び込もうとする二人の小頭へ

「 待て 奴の噂は聞いて居ろう 水の中では敵無しぞ 」

「 俺達 二人掛かりでも … 」

「 藤八の小頭 私(わたくし)も居りまする 」

「 応よ御頭 奴は万亀丸殿の矢を背中に諸に喰ろうたのだ

  善が居ろうとも もはや我らの相手ではござらぬ 」

「 兄頭の申す通り 逃げるとすれば海に向かう筈

  松百(まっとう)の水門を閉じれば袋の鼠でござる 」

「 応よ 万亀丸殿は一足先に松百の水門で待ち設けて下され

  俺が水に入る 藤八 御前は岸に沿うて来い 」

「 待てと申すに藤七

  奴は矢を喰ろうたが 恐らく毛程も感じては居らぬ 」

「 私の投矢を毛程も感じぬとは 何故でございます 」

「 随分と前の事だが 奴ら傍人組と殺り合うた組頭から聞いた事がある

  奴の背中は盾の様だと

  幾ら十字を打ち込んでも けろりとして居った其うだ 」

「 故に盾になると 例えでは無く真の事でしたか 」   

「 なれど あの光り玉を見られてし申たのですぞ 」

  向こう岸から橋を掛け渡って来た藤七が問う

「 構わぬ 」

「 かっ 構わぬと … 」

「 … 御頭は 善の話に乗る御積もりで 」

「 判らぬ … が 真で有るならば 」

「 悪い話ではござらぬ … のう兄頭 」

「 … 真で有るならば … だがな なれど 」

  藤七の目が万亀丸へちらと向く

「 其れよ 尊治殿が遊佐を討つ意は変わらぬ 」

「 如何為されます 」

「 うむ … 困った時は 」

「 御影様 」

「 御頭も藤八も其の掛け合いは止めて下され 」

「 ならば兄頭 外に手は 」

「 無い 」

「 決まりだな さあ 万亀丸殿 飲み直しと致しまするか 」

  言いつつ 源心は舟を伝って岸へ上がり

「 あっ いや 私は … 」

「 其れがしにも尼和殿との馴れ初めを聞かせて下され 」

「 俺らも参ろう 兄頭 」

「 おっと 藤八 御前は役目に戻れ 」

「 へっ … 」

「 今宵の張り頭は御前であろう 」

「 其んな殺生な 」

「 文を垂れるな 」

「 へえい … 処で御頭 善の兄貴には向後どう継ぎを付けるので 」

「 付けんで良い 其れが継ぎと成る

  だが 火薬師頭への継ぎは忘れるでない 」

「 はっ はあ … 」

「 早く行け 早く戻って来ねば御酒は無う成るぞ 」

「 其れを早く言うて下され 」

  言うが早いか 藤八の足が地を蹴った


「 親方 つい今しがた倫組の小頭様が参られ

  上々であったとの継ぎがございました 」

「 ふむ … 左様か … 」

「 親方 此の三日 何やら御気分が優れぬ御様子

  何処か御身体の具合いが悪いのではござりませぬのか 」

「 はっはっ 報告がてら様子を見に参ったか 」

「 はっ 皆心配して居りまする 」

「 はっはっはっ 其れば済まぬ事をしたな

  心配は無用だ ちいと想う事があってな 」

「 … 想う事 … 何でございます 」

「 戯れ言と思うて聞いてくれ

  もし仮にだ 此の世から戦が無くなり天下泰平の世と成ったならば

  儂は直ぐ様御役を辞し 御前に跡を譲る積もりだ 」

「 なっ 何を申されます親方 」

「 まあ聞け 御前は弟子頭に恥じぬ腕前と成った

  もはや儂が教える事も無い程にのう 」

「 御誉め頂き真に嬉しゅうございますが 御辞め為された其の後は何を

 為される御積もりで 」

「 うむ 御前も目にしたであろう あの激しくも美しい光りの様を 」

「 はい 私にはあの光り玉 遠きにありて見ましても十分美しく闇に映え

 るものと想われますが 」

「 死者を御見送りする際の御霊魂玉なのだ本来其の様なもの なのであろ

 うよ 故に音を出しては成らぬと言うのも解らぬではないが われらにし

 てみれば火薬玉は音がするのが当たり前故 音がせぬのは気に入らぬ

  なれど 人を殺さぬと言う処は気に入った 御霊魂玉と言う名もな 」

「 はい 実は私も同じ事を想うて居りました 」

「 真か … 我らは此れ迄 何人の人を傷付け殺して来た事か …

  己れの手を汚さず他人の手を介しての事だが だから此其 我らの逝き

 先は地獄と決まって居ろうが 地獄へ行く前に一度で良いのだ人を傷付け

 ずましてや殺しもせず 愉しませる火術を披露してみたいのだ 」

「 其う言う事でございましたか

  ならば親方 先ほどの御話しは御断りさせて頂きまする 」

「 何故だ 前田様の火薬師頭では不服か 」

「 いえ 此の世が泰平の世と成るのであれば 爆裂玉も必要の無い物と成

 りましょう 然すれば私だけでなく他の者らも職に溢れてしまいまする

  親方 人を愉しませる火術など 我ら弟子には未知のものでござります

 れば 我ら又一から教えを請わねば成りませぬ故 其の折りが参りました

 ならば 我らを再び弟子として御側に置いてくださりませ 」

「 はっはっはっ 何時の間にやら口迄達者に成り居って

  ならば 何時職に溢れても良い様にせねば成らぬな 」

「 はい 」

「 のう弟子頭 ちいと試したいものがあるのだが 手伝うてくれるか 」

「 勿論でございます 既に何やら御考えが御有りなのですね 」

「 うむ … 朧気乍らな 」

「 其れはどの様な 」

「 大輪じゃ 」

「 … 大輪 」

「 其うじゃ 大輪じゃ 

  戦場に於いては火花は散るだけよ

  だが 何時の日か其の火花が散り終えた時

  命を散らした全ての者達の為に御霊魂を弔う可く

  盆を迎える夏の夜空に大輪の華を咲かせてやりたいのじゃ 」

「 やりましょう親方 泰平の夜空に 大輪の火の華を

  我らの手で咲かせてみせましょう 」

                         つづく

  

  


   

  




 




   


  


   御影 弟組 MIKAGE OTOGUMI 其の十六 

         茂菜 の 苛 立 ち

         もな の いらだ ち 




  男の背中を掻きむしる女御の手が思わず止まる

「 まっ 真でござりまするか塩沢様

  真に 真に私(わたくし)の様な女御を貴方様の妻に 」

「 真だ 俺は嘘など付かぬ 」

「 嗚呼 嬉しゅうござりまする …

  なれど 私を抜くには其れなりの銭を必要と致しまする

  其の様な御負担 掛けられませぬ

  茂菜は 塩沢様の其の御気持ちだけで十分でございます 」

  男の腹の下で身を捩(よじ)り 顔を横へ背けた拍子に目から目へ涙が

 ほろりと伝わり落ちた

「 はっはっはっ 銭の事ならば心配せずに良い 全て俺に任せ措け

  … 何だ茂菜 泣いて居るのか 」

「 戦で父も母も失い 頼る縁者も居らず何の取り柄も無い儘 天涯孤独

 と成りし身の上なれば 生きて行く為に致し方無く遊女(あそびめ)に此

 の身をやつして参りました私でございます …

  其の様な私を … 嗚呼 何を申し上げて良いのやら 

  言葉もござりませぬ 」

  左の腕で頬に杖付き 茂菜の面を覗き見る男の右手が桜貝の如き乳首

 をそっと摘まむ

「 んっ … さっ 然り乍ら 戦は近うござりませぬのか

  私は 貴方様の御身が心配で堪りませぬ … 

  つっ ついっ 想うては成らぬ事を想うてしまいまする … 

  わっ 私はもう一人は嫌でござりまする … うっ んっ 」

「 はっはっはっ 其方を迎える前に 先ずは其の心配性を直す事から始

 めねばならぬな 

  案ずるな 俺は死なぬ 其の様に出来て居るのだ 故に其方を一人に

 などさせぬ 其の日が来る迄楽しみに待って居れ 」

「 はい 貴方様を信じて待つ事と致しまする 」

  枕元の鉄瓶へ伸ばそうとする茂菜の手を封じた男は 其の儘ごろりと

 仰向けになり

「 御酒はもう良い さあ参れ 」

「 … あい … 」

  茂菜は男の身体に跨がり様眼を瞑り 目蓋の裏側に違う男の顔を想い

 浮かべ乍ら 徐に細身の腰を揺らし始めた … … …

 

「 御呼びでございますか 左近様 」

「 うむ 茂菜殿 其方らに一仕事して貰わねば成らぬ 」

「 まあ やっと左近様の御役に立てる日が参りましたか

  嬉しゅうございますが 其れは取りも直さず左近様の夜伽の御相手が

 叶わぬと言う事に他なりませぬ 茂菜には其れが寂しゅうございます 」

「 ふっ 何を萎らしい事を

  俺に隙が有れば 寝首を掻く積もりで居ったろうに 」

「 ほほっ 確かに

  我らを 巫女(ふじょ)組のみならず 傍人組共々救うて下された其の

 事由が判らぬ内は信を措く事など出来ませぬ故 」

「 今は信を措いて居ると申すか 」

「 ほほっ 左近様の御首(みしるし)が未だ其の御身体から離れては居りま

 せぬ 其れが何よりの証しでございます 」

「 ふっ 言い居るのう 茂菜殿 」

「 左近様 此れからは茂菜 と御呼び下され

  私はもはや貴方様のものでございます故に 何の遠慮も要りませぬ

  貴方様の命とあらば 何時でも何方様成りとも 其の首掻いて御覧に入

 れまする 」

「 うむ 良う言うてくれた 委細は追って報せるが 或男を誑かし骨抜き

 にしてくれ 首を掻くのは後の事 どうだ其方には容易いものであろう」

「 … 左近様 思い違いを為されては困りまする …

  我ら 銭で身を売る遊女(あそびめ)に非ず故に 如何に御役目とは申せ

  いえ 御役目であるから此其 心を偽り好いても居らぬ男に身を委ね偽

 りの伽を重ねます事存外苦衷なものなのでございます

  好いた御方と身体のみならず 心と心が真に結び付く事で 己れの命に

 張りが生まれ 其の御方の真を支えに 初めて容易いものと成るのでござ

 います 」

「 武田勝頼殿とは 真のものであったのだな 」

「 はい 互いに嘘偽りの無いものでございました 」

「 茂菜 其方に対する俺の心に嘘偽りは無い

  此の俺が此れ程愛惜しいと想うたのは初めての事だ 

  尤も 人を欺き慣れた俺の言葉など信じられぬであろうがな 」

「 同じ事を言わせて下されますな 信じて居りまする …

  なれど左近様 亜由様は未だ我らに … と申しますより 私に信を措

 いては居られぬ御様子 … 

  別段 何をされ言われた訳ではござりませぬが

  茂菜には其れが少々気掛かりでございます 」

「 ふっ 気にせんで良い あの女御は其方の美しさに妬いて居るのだ 

  只 其れだけの事よ 」

「 妬いて居るのは寧ろ私の方でございます

  あの様に美しい御方 甲斐には居りませんでしたので … 」

「 ふっ 又其の様な 兎に角頼んだぞ 茂菜 」

「 はい 此の茂菜 必ずや貴方様の意に沿うてみせまする … 」


  茂菜 姓は望月を称し今は亡き 甲斐武田の巫女(ふじょ)組の頭領

  望月千代女(ちよめ)の娘である

  三十路はとうに過ぎて居る筈なのだが十は若く見え 其の面立ち

 は清楚で気品に満ち 四肢は細いが着物に隠れた胸と尻は良く肉付

 き男の情感を掻き乱す 正に官能の美体其の物の持ち主であり 其

 の面からは想像にし難い程の性(さが)にして 其のしなやかな肢体

 で絡まれ性技の限りを尽くされた男で 此の女御の虜に成らぬ者は

 一人として居なかった


⦅ … あの亜由と言う女御の眼 …

   私(わたくし)は あの女御と同じ眼をした女御を知って居る ⦆

  亜由と初めて会うた時 茂菜は其う感じた

  笑顔なれど 其の眼は笑うて居らぬ茂菜の母 

  千代女と同じ眼をして居る女御だと

  物心付いた頃 初めて母の其の眼を見た茂菜の幼い心は一度壊れた

  或る夜 茂菜は母が祖父と交(まぐ)わう場を垣間見た

  見せ付けられた と言う可きか

  其の様は正に畜生の交わりであり 獣の咆哮が茂菜の耳を襲い祖父の

 肩越しに茂菜を見詰める 笑顔なれど眼の笑うて居らぬ母 千代女の姿

 が其処に在った

  幼い乍らも 男と女の其の行いが何を意味するものなのかを既に知っ

 て居た茂菜は

⦅ … あたしは 本当に父様の娘であり爺様の孫なのであろうか …

 … 其れとも 爺様の娘なのか … 

   爺様の娘と言うのであれば あたしを産んで下された母様とは母

  娘でありながら姉妹なのであろうか … ⦆

  大人でさえ導けぬ答えを 茂菜の小さな脳は必死に導き出そうとし

 導けぬまま 茂菜は魔の夜を迎えてしまうのである 

  千代女から事前に報されて居たのであろう

  祖父は 茂菜の初花を待って居たかの様に其の夜 茂菜の寝所に忍び入

 り無残にも幼い花を朱に染めて散らし 崩れ掛けて居た茂菜の心は完全に

 壊れてしまったのであった

  壊れた心を抱えたまま一年が過ぎようとした頃 祖父は何時もの様に未

 だ未熟な茂菜の身体を弄び 足を拡げて押し入った

  未熟乍らも美しさは既に表へ現れて居り 其の美しくも未熟な身体は

 小さく仰け反り 両手は布団の両端を固く握り締めて居る 

  己れのみすぼらしい胸を 膨らみ始めた茂菜の乳房へ押し擦る祖父は

 枯れ枝の様な細腕で茂菜の細首を抱え乍ら其の時を迎えようとして居た

  祖父の其の時に合わせるかの様に 茂菜の括れた腰から伸びる柳の枝に

 も似たしなやかな足が枯れ木に絡み付き 枯れ木と柳が一本に成ったと同

 時に 茂菜の可憐な唇から初めて女の声が上がる

  其の一連の流れが祖父には堪らぬ喜びであったのか

「 おっ おおうっ 茂菜っ 」

  枯れ木の洞(うろ)から歓喜の声が漏れ出 其の時を迎える可く枯れ枝を

 茂菜の脇の下で突っ張り 筋張る顎が上を向いた刹那

  茂菜の瞳が煌と光り 布団の下に隠し置いた二枚の剃刀を素早く引き抜

 き 祖父の顎の下で交差させ一気に掻き切った

  全身朱に染まった茂菜は 恍惚の面を残したまま命と共に果てたもう一

 つの祖父を切り落とし母千代女の寝所へと向かう

  部屋に近付くにつれ 又もや獣の咆哮が茂菜の耳をつんざき 其処には

 兄六郎の鍛え抜かれた身体に股がり 夢現の情気を湛え乍ら狂喜に湯揺す

 る母の姿があった

  無言でもう一つの祖父を 母目掛けて投げ付けた茂菜の口の端が微かに

 横へ伸びるも 自覚無き 笑顔なれど眼の笑うて居らぬ茂菜が其処に居た


⦅ … 私(わたくし)は 畜生の家に畜生の子として産まれ 畜生共に育てら

   れた …

    私の様な生き物は 此の世に産まれて来ては成らぬ生き物なのだ

    あの女御が 畜生の行いをして居るのであれば 赦さぬ

    其の時は 私があの女御を逝かせて遣る ⦆

「 … あっ はあうっ … もっ もう いっ 逝きまするうっ … 」

「 俺もだ茂菜 共に果てようぞっ むっむおうっ むおおうっ 」

  男は 茂菜の膨らみへ突っ伏して果てた

  男の背中を優しく撫でて居た茂菜の手が 男の掻き出す鼾と共にぴたり

 と止まり 豚の如き男の身体をごろりと横へ追いやった其の手で 己れの

 乳房を揉みながら右手の中指を秘壺へ誘(いざな)い 親指が膨らんだまま

 の実(さね)を擦り出す

「 … んっ んんっ 逝かぬ … まだ逝けぬ … くっ …

  何時もの事なれど

  私の身体に火を着けたまま 己れだけ逝き居る此の豚め 

  幾ら何でも早すぎる

  此れでは 蛇の生殺しではないか

  … ふっ んっ … 此の私が 自らを慰めねばならぬとは 

  … くっ あと少し もう少し … 逝かぬ 逝けぬ … 嗚呼 …

  だっ 誰か 茂菜を 茂菜を逝かせてっ … 」

  身 悶え 喘ぐ茂菜が 颯(さっ)と蚊帳を抜けるなり

  燭台の灯りを ふっと吹き消し

「 誰じゃ 」

  闇の庭を睨み付ける

「 名無しでござる 」

「 御前か 何用じゃ 」

  言いつつ 一糸纏わぬまま 濡れ縁へ腰を掛けた茂菜は 立てた右膝

 を揺らし乍ら両手を後ろへ付きつつ 笑うて居らぬ眼を向ける

「 善行殿が申されるには 用済みと成れば左近は巫女(ふじょ)組を始末す

 る積もりで居ると 」

「 であろうな 」

「 故に 其の前に 我が傍人組は巫女組を連れて山を抜けよ と 」

「 其れは成らぬ 其の間 誰が遊佐様を御守り致すのじゃ 」

「 半開きが居りまする 」

「 あの男 信用成らぬ 」

「 直ぐ戻ります故 」

「 成らぬ 我ら巫女組は自力で山を抜ける故 傍人組は我らに構わず全力

 で遊佐様を御守り致せ

  茂菜が其う申して居ったと 善行殿へ伝えよ

  黒丸にもじゃぞ 良いな 」

  其の善行殿がと 口に出掛けたものの御頭が付いて居るのだと思い直し

「 … 抜けられますか 」

「 戦が始まり居れば 誰も遊女(あそびめ)などに構うては居れまい 」

「 左右組の事を言うて居るのでござる 」

「 ほほっ あの男の事じゃ 我らを殺るのに 手の者は使わぬ 」

「 …   …   … 」

「 判らぬか 」

「 はっ 」

「 申し訳ごさらぬ 

  あの者ら どうやら前田の息の掛かった遊女共の様でござる

  と 左近に告げられたならば御前はどう致す 」

「 はっ 遊ぶだけ遊び其の日が来ましたならば … 」

「 其う言う事じゃ 」

「 …   …   … 」

「 何じゃ まだ府に落ちぬのか 」

「 其の日とは つまり 此奴らが山を抜ける時 」

「 其うじゃと言うておろう 」

「 山を抜けるのは 戦が始まる直前でなければ成らぬ筈 」

「 其うじゃ 」

「 前田が仕掛けて来ねば 抜けられませぬ 」

「 と言う事は 」

「 此奴らに 荷駄組に探りを入れても何の意味も無し

  只 前田を張って居れば其れで良うござる 」

「 意味も無いのに 何故左近は我らを充てごうたと 」

「 はっ 」

「 名無し 御前にしては良う気付いたな

  其方ら傍人組を駒として使う為じゃ 捨て駒としてな 」

「 右近組一組で倫組に当たらせるのは分が悪い 

  故に 我らに合力せよと 」

「 端から其の積もりで居た訳では無かろうがな …

  左近と倫組の頭領とは因縁浅からぬ仲と伝え聞く

  左右組が上杉の手下(てか)で居る以上 何れ倫組と当たるは此れ明白

  なれど 倫組と正面切ってやり合うても 現在(いま)の左右組では勝て

 ぬ 其う踏んで居た左近の眼の前に我らが居た … 」

「 成る程 其れで我らを … 」

「 其う言う事じゃ 

  なれど 初手は傍人組と左右組とで当たる積もりが 」

「 銭を奪う計画に変わり 」

「 我ら傍人組と右近組は 左近組が銭を奪う迄の時間稼ぎの捨て駒 」

「 其う言う事じゃ 納得か 」

「 はっ 此れですっきり致しました 心置き無く裏切れます故 」

「 ほほ 私もじゃ 」

「 … 其の豚も 茂菜様を裏切りましょうや 」

「 当たり前じゃ

  愛惜しいと想うてくれて居るのは真の様じゃがな

  私を連れて行けば荷駄頭と謂えども 此の豚の命は無い

  其れが判らぬ程此の豚も馬鹿では無い …

  何じゃ名無し 妬いて居るのか 」

「 いっ いえ … 妬いてなど … 」

「 嘘を申すな 其う面に書いてある 」

「 まっ 真逆 」

  思わず面を上げた名無しの面前に 茂菜の美しい脚がすたりと立ち

  名無しの眼前で茂菜の茂みがさわりと揺れる

「 名無し

  あの豚は 一度眠りに付いたならば朝迄起きて来ぬ豚じゃ

  故に … のう 名無し

  朝迄 … 朝迄 嗚呼 …     」

                         つづく